見出し画像

おとなになってもこわいもの

こわいものってありますか?

おばけ、宇宙人。それとも、自然災害とか、病気とか、死ぬこととか。苦手なものじゃなくって、こわいもの。

なんだかいわゆる霊感とかにまったくうとくって、ついぞ幽霊のたぐいは見たこともなく。映画『学校の怪談』の撮影場所になったくらいに割と気味の悪い小学校に通っていたのに。

小さいころから今もなおずっとこわいのは、宇宙人。5つか6つのときは、おうちでトイレに行くときも、リビングから駆け足。廊下で待ち伏せているかもしれない宇宙人に隙を見せません。用を足すときも、後ろをふりむいて確認。宇宙人ならどこへでもテレポートしてくるかもしれないし、なんなら誘拐されるかもしれないから、幽霊なんかよりよほどにこわかったのです。

宇宙人嫌いに拍車をかけたのは、母親の『X-ファイル』ブーム。ちょうど流行っていたころでした。VHSを借りてきていたのか、夜な夜な気味の悪いグレイ型宇宙人がテレビに登場し、その度に泣きわめいてチャンネルを変えるように懇願するも、その声もむなしくトラウマタイズされたわけでした。

小学校からうちに帰るときは、心のなかで「地球には何億とたくさんの人がいるわけで、そのなかで誘拐されるひとりに選ばれるなんて、そんな偶然あるわけない」とおまじないように唱えていました。

6歳くらいのころ、キャトルミューティレーションなんて言葉を知って、ひえええと恐怖におびえていたのです。知識の吸収とともに、恐怖もまた急速に大きくなっていく仕組み。平成初期のテレビにときおり登場する「私は宇宙人にさらわれました!」のイメージ映像では、海外のどこかの寂れた森や牧場とかが舞台。日本の住宅地ならきっと大丈夫……。いやでもサンプルは幅広く選ばれているのかもしれない……などと子どもらしくもなく考えていたものです。

てなわけで、おばけよりもエイリアンが怖いんです。っていう話がしたかったわけではなくて、どうして宇宙人が怖いのか大人になった今、考えてみたんです。

たぶん、こわかったのは宇宙人じゃなくて、「誘拐されるかもしれない」ことだったような気がします。自分の居場所から引き離されることの不安と恐怖が強い子どもでした。

幼少期に母親が長期入院したせいで、すっかり分離不安を抱いて、入院中に親代わりだった6歳歳上の従姉妹はいわば穴埋めになったのか、今でも親以上の存在だったりします。

ハウスのシチューのCMで、白熱灯の温かい光が漏れる窓の外からカメラが部屋のなかの団らんにフォーカスしていく映像があって、それがゴールデンタイムのアニメ番組の間に流れる度に、なぜかぽろぽろ涙がこぼれていました。7歳か8歳ごろ。

その後、思春期からいろいろなことがあって、強くも鈍くもなったけれど、離別が苦手なのは変わらず。「私、離別ぜんぜん平気!!」なんて人はいないでしょうが、「一生会わない」とか「一生会えない」とか、そんな類のストーリーやセリフが人一倍こたえるのです。

大人になって、というか、最近になって、少しずつ自分のことが分かりはじめることも多く、おもしろいものです。早熟な平野啓一郎にあこがれた10代、ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』を19歳で書いて死にたかったという三島にあこがれた20代。30歳を過ぎても呑々と生きているなんて本当に不思議。いまだに宇宙人はこわいけれど、たぶん誘拐されるような理由もなさそうだし、そろそろ人間のほうがおそろしいことが分かってきた年ごろかもしれません。(冗談です!)

■おまけ
 孤独、離別もので、読みやすい名作3選

『海も暮れきる』吉村昭
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000205685

『狂人日記』色川武大
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000168987

『かくかくしかじか』東村アキコ
http://cocohana.shueisha.co.jp/story/higashimura/kakukaku/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?