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日ごろから気を配れる「用字」のこと。

どんなときにどんな漢字を使うか、自分のなかで決まりごとを持っている人がたくさんいます。たとえば、メールの宛名を「◯◯さま」とするか、「◯◯様」とするか。あるいは「お疲れ様です」と「お疲れさまです」。身近にもいろいろな例がありますが、こだわりの漢字の使い方があれば、ぜひ教えてください。

3種類の表記体系を使い分けること

漢字を使うか、ひらがなを使うかで、字づら(見た目)が与える印象が異なるのは日本語の特徴です。

「お疲れさまです」という言葉を例に考えてみると、「様」を使うよりもずいぶんとやさしい印象になります。直線的で画数の多い漢字だから堅苦しい印象になるのかもしれません。そもそも「様」は目上の人への敬称ですから、関係性の緊張感を暗に込めてしまうのかもしれません。

漢字とひらがなのバランスで書き言葉の印象が変わることを私たちは体験的に知っていて、それぞれの環境やキャラクターによって選択的に使っています。「わたしはそんなことを考えたことがない」という人でさえも、無意識にそういった「用字」の影響を受け、また同時に与えています。

用字ってなに?

用字とは、漢字の開き(漢字にするか、ひらがなにするか)や単語の送りがな、カタカナ語の書き方、約物(句読点や括弧など)の使い方のお作法です。例えば、報道機関によってルールは異なり、絶対的な答えがあるものではありません。ライティングの分野によっても異なります。

一般的な商業ライティングにおいては、共同通信社『記者ハンドブック』を参考にすることが多いですが、副詞や補助動詞のひらき方(どの漢字をひらがなにするか)は、暗黙知だったり、編集者ごとに考えが違ったりします。

用字の大切さ

文章を編集するとき、用字ルールを決めておく必要があるのは、まず文字ユレをなくすためです。また、多人数が単一の媒体にかかわる場合にも非属人的に文章のマナーを管理できるという点でも有効です。

しかし、本当にそれだけでしょうか。

いうまでもなく、用字は文章のマナーですが、それはトーンや温度、態度を決めます。用字そのものが十二分に表現の一部であり、書き手や媒体の考えを表しています。あるいは、言葉の使い方に対する工芸的なこだわりや美意識にも通じるので決して軽んじてはいけないと考えています。

前述のとおり、用字に答えはありません。媒体によってルールを変えてもよいし、説明できるのなら自分だけのこだわりがあってもよいと思います。そのこだわりは、決められた用字ルールに沿う「美しさ」ではなく、3種類の表記体系が用意された書き言葉の豊富な表現可能性を追求する「美しさ」です。

吉行淳之介の「からだ」のこと

最後に。用字といって思い出すのは、先日亡くなられてしまった宮城まり子さんの『淳之介さんのこと』収録の『机』というエッセイです。少しだけ引用します。(※宮城まり子さん:歌手として女優として活躍、ねむの木学園を創設、作家・吉行淳之介のパートナー)

「まりちゃん」と呼ばれ、子犬みたいに喜んで、ほめられるのかと、飛んで行って叱られた。私はカラダを「身体」と「軀」とどちらかがいいかわからず勝手に書いていた。彼と知り合い、彼の小説を読みはじめ「軀」という字が良くみえて、なにか感想かなんかに、「その軀は」と書いた。好きな人の使う字なので、見てほしいので持っていったのだ。
「この字は君には向かないよ。僕がこの『軀』を使い始めたのは、娼婦とか弱いカラダ、なんか美しい苦労したカラダに使ったの、君に向かない。『軀』もつまらないな、『身体』は小学校の体操みたいだから書くな、そうだね、君は『からだ』とひらがなで書くのが一番似合うんじゃない? やさしいからね。『からだ』と書きなさい」

文春文庫『淳之介さんのこと』のP.54から引用しました。エッセイの名手でもある宮城まり子さんが自身の文章を吉行に読んでもらったとき、「からだ」をどのように書くとよいか吉行がアドバイスをしたくだりです。

もちろん商業的なライティング、ビジネス文書のライティングと、文学作品やエッセイの文章を横並びにすることはできませんが、どちらも同じ日本語。用字そのものが表現であることが伝わるでしょうか。

「こんなことにこだわっていますよ」という編集者にとっては至極当たり前のことを書こうとこれを書きはじめたのですが、ライティングの用字ルールなんていうものは、プロのライターや編集者が知っておけばよいもの。

そんなことよりも、もしこれを読んでくださった方が日ごろのテキストメッセージやメールで用字に気を配ることで、同じ文章でもより多くのことを伝えられること(あるいは伝わってしまうこと)を知っていただけるとうれしいです。

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