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お便りのはなし

昨日、とある仕事で「お客様の声」をどう表現するか考えていた。結果、「お便り」と提案することに。それが良かったかどうかはさておき、便りって良い言葉だなあと。

日々、連絡を取りたい人にすぐに連絡を取れる便利さを享受している。この便利という言葉に、便りの「便」が入っているのだけれど、人の消息をすぐに知れるし、たいていの幼馴染も消息をたどれる。文字通り、利器に便って、便りを求められるというわけ。

便りって、会わないから、便り。その知らせに消息を便る。あの人はどうしているのだろう、なにを考えているのだろう、どんな気分だろう、想像が補って関係性が成り立つ。手紙の言葉なんてついつい長くなってしまうけれど、本当は短くてよいし、全部分からなくてよいのだろうな。

すべてを説明してもどうせ伝わらないし、伝わるわけがないのだから、相手に便ってもよいのかもしれない。すると、もう少しだけ人に対して寛容でいられるのではないかしら。

本当に相手に伝えたいことはなんだろう。それは言葉を尽くさなければいけないことなのだろうか。そんなに書き散らかして、言いたいことはずいぶんシンプルだったりするのだから、便りなんて、それ自体に意味がある、きっと。

今はだれかに何かを伝えられることが普通だから、中身ばかりに目がいきがちだけれど、本当は便りがあること、その人が生きていることを喜べばいい。

せわしない日常のなかで、だれかについて考えること、想像すること、その瞬間が時間差で交わるだけで、実はとても豊かなのかもしれない。

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