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平坂のカフェ 第4部 冬は雪(26)

 それから私の・・・私達の生活は目まぐるしいものだった。

 私と彼は、結ばれた。

 私達は、結婚する。

 もう迷わない。

 私は、彼と生涯人生を共に歩むのだ。

 離れることなんて考えられない。

 私と彼は、今後のことに付いて話し合う。
 彼の予定としては秋頃にはイタリアに戻ることになる。
「あっちで仕事を一区切りさせたらこっちに戻ってきて働くよ」
 私に迷惑を掛けたくないと思った彼はそう言ってくれたが、もう決して離れないと決めた私は首を横に振る。
「私もイタリアに行く!」
 彼は、とても驚き、仕事は、絵はどうするのか?と聞いてくる。
 絵は、どこでも描ける。
 個展も次の場所で開催するのは世間が夏休みに入った当たりだ。それが終われば迷惑をかけることはない。付いて行くことが出来ると彼を説得すると、彼は「ちゃんと社長さんに話してから決めよう」と至極真っ当な答えを返された。思えば学生の頃から彼の右にも左にも向けない真っ直ぐな意見に何も言えなくなっていた気がする。懐かしい反面、その頑固さにわたしは唇を尖らせる。

 そして次に行ったのは報告だ。
 私と彼の両親へ。
 友達へ。
 仕事関係の人へ。
 私達は、互いに肩を並べ、手を握り、挨拶に回った。
 その挨拶で彼は3度ほど命の危機を感じることになる。

 まずは両親への挨拶だ。
 彼の両親は、驚くほどすんなりと了承してくれた。
 高校を卒業したばかりの息子を単身でイタリアに行く事を許すような両親だ。懐が広いと言うか、緩いと言うか、彼はこの両親の遺伝子を引き継ぎでいるのだな、と分かるくらいに大らかだった。
「奔放な息子ですがよろしくお願いします」
 彼の両親に恭しく頭を下げられ、カチカチに緊張していた私は「どう致しまして」と訳の分からない事を言って笑いを誘ってしまった。それから私の事を知っていた彼の兄弟たちからサインを強請られた。
 次に私の両親の時だが・・・これが1度目の危機だった。
 玄関を入った瞬間に両親から今まで感じた事のない怒りの気迫が溢れており、私は思わず足を後退させてしまった。
「どうしたの?」
 彼は、のほほんと私の顔を見て尋ねてくる。
「お前か・・・」
 そのあまりに冷たい声が父から発せられたものであることに私は最初気づかなかった。
「うちの娘を傷物にしてくれやがったのは・・」
「あんたなんかにうちの可愛いカナを渡しはしないわ」
 優しい母から漏れるのは呪詛のような低く重い声。
 流石の彼も冷や汗を流す。
 それから玄関で話す事1時間、彼は土下座をして「娘さんを僕に下さい」「必ず幸せにします!」「幸せに出来なかったら僕の命を捧げます!」と必死に両親を説得・・と言うか懇願した。
 両親は、眉一つ動かさずに仁王立ちしてそれを聞き、私は、彼の口から流れる"私の事がいかに好きか"という話しを聞かされ過ぎて顔を押さえて悶えた。
 その後、両親たちも彼の必死さ、私への想いに納得し、結婚を認めてくれ、居間へと上げてくれた。
 父は、「娘を頼む」と彼に酒を注ぎながら泣き、母も「貴方の幸せになる姿が見れて嬉しい」と子どもみたいに私を抱きしめてくれた。
「ところで・・・新居はどうするの?出来れば近くに住んで欲しいんだけど・・・君仕事はどちら?」
「イタリアです」
 2回目の命の危機の始まりだった。
 私の家から帰る時、彼が心底疲れた様子で「娘をもらうって大変なんだな」ってぼそっと呟き、そして私の頭を撫でて「カナはしっかりと愛されてるよ」と笑ってくれた。
 私もとても嬉しくなって「うんっ」と頷いた。

 次に友達へだが、こちらは共通の友人がほとんどなので飲み会という形で報告してする事にした。場所は、彼が今働いている小さなリストランテ、オーナーも快く承諾してくれて貸切にしてくれた。
 SNSで大切な話しがあるから会えないかと伝え、私の方、彼の方含めた10人以上が集まってくれた。
 料理はもちろん彼が作った。
 本場仕込みの料理に友人達は舌鼓を打ち、酒を飲んで盛り上がる。
 ちょっとした同窓会だ。
 そして頃合いを見て結婚する事を報告する。
 皆んな固まった。
 固まって・・固まって・・・声を上げた。
「おめでとう!」
「えっ⁉︎マジでマジで⁉︎」
「えっいつの間に⁉︎どうなったの?」
「カナぁぁぁ良かったねええええ!」
 友達は、動揺し、狼狽し、そして祝福してくれた。
 彼の友達たちは「祝いだあ!」とシャンパンをオーダーして彼の顔に掛けて騒ぎ、私の友達たちは全員泣きながら「カナが幸せになってくれて嬉しいよお」と言ってくれた。
 私と彼は、お互いに顔を見合わせ、笑った。

 最後に仕事関係だが、彼の場合は職場がイタリアだし、いま働いているリストランテも期間限定だからそんな必要はない。と、いうか報告したようなものだ。
 問題は私の職場関係だ。
 絵画教室は、もう通う事は出来なくなるので今月付の退職を願いでた。店長は「おめでとう」と嬉しそうに言ってくれ「個展を開いた段階で覚悟してたよ」と言って笑い、少ないけどと言って餞別をくれた。
 友人の方はと言うと・・・。
「別に構わん」
 さも簡単に了承してくれた。
「絵はどこでも描けるからな。契約に支障をきたすことはない」
 彼女が出した条件として

 必ず電話やオンライン会議が出来る体制を作る事。
 新作が出来たらデータで友人に見せる事。他社での仕事を受ける時も報告すること。
 個展やどうしても対面での会議が必要な場合は帰国すること。その際の交通費や宿泊費は会社が持つ。

 これが守れるなら問題ないとのことだった。
 拒む理由がないので私も了承する。
「まあ、それはさておいて・・」
 友人は、笑顔で、笑顔で彼を睨みつける。
「よくも私の大事なビジネスパートナーに手を付けてくれたな」
 友人の言葉の一つ一つに殺意が込められてる。
 彼は、思わず身を引く。
「契約可能だったから良かったものの、万が一には損害賠償も辞さないところだったぞ」
 友人は、相変わらず笑顔だ。
 笑顔で殺意を振りまいていた。
「幸せにしないと命はないものと思え」
 彼は、こくこくと何度も頷いた。
 私もつられて頷いた。
 これが第3の危機だった。

 こうして私達は全ての挨拶を終えた。
 私達は、公園のベンチで疲れを癒していた。
「疲れたあ!」
 彼は、ぐっと肩を伸ばす。
「お疲れ様」
 私は、自販機で買ってきた缶コーヒーをカレに渡す。
 彼は、コーヒーの銘柄をまた顔を顰める。
「カプチーノかあ」
「・・・嫌いだった?」
 イタリア生活が長いから好きだと思っていたのに。
 しゅんっとしている私を見て彼は慌てた首を横に振る。
「違う違う!好きだよカプチーノは!あっちだと朝に飲むものだからさ」
 私は、思わず口を丸くする。
 そんなことは知らなかった。
「勉強しないと・・な」
 彼に恥をかかせる訳にはいかない。
 そんな私の気持ちを察したのか、彼は私の頭に手を回し、ぎゅっと抱きしめる。
 彼の温まりと匂いが私を包む。
「ゆっくり覚えればいいよ・・ゆっくりと」
 彼の声が耳の中に浸透していく。
 心地よさに目を閉じる。
 プチンっと何かが切れる音がした。
 彼は、私の頭から手を離す。
 彼のジャケットの裾のボタンに私の右目を包む眼帯が引っかかっていた。耳にかける紐が切れている。
「ごめん!」
「んー大丈夫。こんなこともあるから予備持ってるんだ」
 私は、鞄から予備の眼帯を取り出そうする、と。
 彼は、じっと私の顔を見ていた。
 いや、彼が私の顔を見るのなんて珍しいことではないが今日はいつもと違う。なんというか・・子どもが宝物を見つけた時のように輝いている。
「?どうしたの」
「・・綺麗だ・・」
 私は、眉を顰める。
 こんなたくさんの人も前でまた惚気る気なのか?
 私は、恥ずかしくなり、やめてと言おうとするが、彼はただ優しく微笑んだ。
「カナの右目・・・とっても綺麗だよ」
「えっ?」
 私は、思わず右目の下の瞼を触る。
「朝方のお月様みたいだ」
「やめてよ・・何も見えてないんだから」
 嫌というよりも恥ずかしくなり、顔を背ける。
 彼は、私の手をきゅっと握る。
「見えてないのかもしれなきけど、しっかり映ってたよ」
「えっ?」
「俺の顔!」
 そういって彼は朗らかに、優しく笑った。
 私は、彼の胸に顔を埋めた。
 彼の前でなら私は何も隠さなくていいのだ。
 全てを出して良いのだ。

 それから私は眼帯を付けるのを止めた。
 彼が綺麗と言ってくれたから。
 もう私に隠すものなど何もないから。

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