エガオが笑う時 第5話 凶獣病(5)

 翌日、私はいつもと変わらずキッチン馬車で働いた。
 いつもと変わらない、いつもと変わらないはずなのに何故か4人組はじっと注文を取りにきた私の顔を覗き込んでくる。
 ニヤニヤと笑みを浮かべながら。
 私は、意味が分からず眉根を寄せる。
「何ですか?」
 私は、思わず不機嫌そうに言う。
 しかし、彼女たちのニヤニヤは止まらない。
 私は、むっとなって唇を紡ぐ。
「エガオちゃん」
 サヤが眼鏡の奥でにっこり微笑む。
「何かいいことあった?」
 えっ?
 心臓がどきんっと跳ね、思わず鎧の下に隠した花の指輪の上に手を置く。
「なんか凄い嬉しそうにゃ」
 ディナは、猫の獣人らしく溶けるようにニタつく。
 嬉しそう?
「表情に出てるぞ」
 ディナが三白眼を細めて笑う。
 私は、思わず顔を触る。
「笑ってもニタついてもいないけど幸せそうに蕩けてるよ」
 イリーナが可笑しそうに笑う。
 幸せそうに蕩けるとはどんな顔?
 私は、トレーを脇に挟んでベタペタ自分の顔を触る。
 その仕草が面白いのか?4人はさらにニヤつく。
「化粧のせいではないですか?」
 今日は、マダムが用事があるからといつもより短縮して化粧を施してくれたのでそのせいで印象が違うのでは?
 しかし、4人はは首を横に振る。
「確かにいつもより薄いが元が綺麗だから問題ない」
「化粧じゃなくて内面から出てるにゃ」
「弾んでると言うか、浮かれてると言うか、とにかく楽しそうだよ」
「萌えるわぁ」
 4人は、嬉しそうに楽しそうに言いながら私を探るように見てくる。
 私は、困ってしまい、思わず後退る。
 指輪を隠しておいて本当に良かった。
 見られたら揶揄われるどころではすまない。
「注文!」
 キッチン馬車からカゲロウの声が飛んでくる。
 ああっしまった。まただ。
 4人もカゲロウに怒られて肩を竦める。
 私は、急いで4人から注文を受けると逃げるようにキッチン馬車に走った。
 しかし、キッチン馬車に行ったからといって私は顔を上げることが出来なかった。
「遅くなってごめんなさい」
 私は、顔を俯かせたまま4人の注文を伝える。
 カゲロウは、注文を聞きながら案の定、私の態度がおかしいことに気づき、顎に皺を寄せる。
「どした?」
「・・・何でもありません」
「じゃあ、顔を上げろ。愛想よくしろとまでは言わないけど顔を伏せるのはお客様に失礼だぞ」
「大丈夫です。お客様の前では問題ないですから」
 私の答えにカゲロウは意味が分からないと言わんばかりに顎の皺を深くする。
 確かに意味が分からないだろう。
 カゲロウの顔を見ると恥ずかしくて頬が熱くなってまともに見ることが出来ないなんて。
 それを知ってか知らずか4人組は私の態度を見てさらにニタニタ笑う。
 いい加減腹が立つ。
 と、いうか、昨日、あんなことがあったのにカゲロウは何とも思ってないのだろうか?
 私は、恥ずかしくて思い出す度に悶えて寝れなかったと言うのに。
 しかし、そんな私の思いとは他所にカゲロウは淡々と料理を作り、トレーに乗せていった。
 私は、顔を上げないままに注文の品が全て揃ってるのを確認してからトレーを持って4人組のところに戻る。
 また、揶揄われるのかと思ったが話題は違うところに行く。
「ねえ、エガオちゃん」
 チャコが大きな目を不安そうに揺らして私を見る。
「マナちゃんはどうだったにゃ?」
 チャコの問いに私は、言葉を詰まらせる。
 チャコが不安そうに顔を顰める。
 私の馬鹿、と思いながらも言葉を探す。
「元気でしたよ。昨日は弟さんの誕生日パーティーで盛り上がったんじゃないでしょうか?」
 私は、冷静を装いながら言葉を紡ぐ。
 チャコは、私の言葉を信じてくれたのか、固く笑う。
「それなら良かったにゃ・・・」
 チャコは、大きな目を伏せて、そしてまた私を見る。
「エガオちゃん、今度、マナちゃんとこ行く時に私もついて行ってもいいかにゃ?」
 チャコの言葉に私は動揺しそうになるのを抑える。
「マナちゃんは私にとっても妹みたいなものにゃ。あの子は忘れてるかもしれないけど、ちゃんと会ってお話したいにゃ」
 チャコの切実な訴えに私は、胸を締め付けられた。
 チャコに嘘を付いてしまった罪悪感が私を刺す。
 しかし、だからこそ本当のことを言うわけにはいかない。
「分かりました。今度一緒に行きましょう」
 私がいうとチャコは、嬉しそうに笑った。
 とても可愛らしい笑みだった。
「ところでチャコ。お姉ちゃんは?」
 イリーナが聞くとチャコは、唇に皺を寄せて顔を顰める。
「元気でうるさすぎるにゃ」
 体調にも変化なく、襲われたことへの精神的外傷トラウマもなく、元気に学校に通っているらしい。
「大学受験も控えてるから寝込んでらんないと叫んでるにゃ」
 チャコは、少しゲンナリする。
「最近、会ってないけど相変わらずみたいね」
 サヤは、面白そうに笑う。
「まあ、黒い獣に襲われた人たちは大概そうみたいだね」
 ディナは、三白眼を細めて注文したレモンスカッシュを飲む。
「一体、何の為に襲ってるんだろう?」
 それは私も疑問であった。
 黒い獣の正体はマナ。
 カゲロウに言わせれば凶獣病ライカンスロープという感染症によるものらしい。
 感染症。
 と、いうことはチャコのお姉さんや襲われた人たちも感染しているということになるが話しを聞いているだけでも無症状だ。
 つまり感染させてマナと同じような獣にするのが目的ではない?
 それでは一体・・・?
 私は、顎を手で摩りながら思考に至る。
 その様子をサヤがニタァと笑ってみている。
 そのあまりの気持ちの悪い笑顔に私は、思わず引いてしまう。
「な・・なに⁉︎」
 サヤは、細くて綺麗な人差し指を私に向ける。
「その顎を触る仕草・・・」
 サヤは、笑みを深める。
「店長とおんなじだね」
 ぼんっ。
 私の顔全体が赤くなり爆発する。
 カ・・・えっ?
「そうだね。店長と一緒だ」
「いつも一緒にいると影響受けるのね」
「似たもの夫婦だにゃ!」
 そう言って3人もからかいだす。
 私は、恥ずかしさのあまり狂乱し「夫婦じゃありません!」と思わず叫び、カゲロウと他の客もびっくりする。
 その間も4人組は「夫婦、夫婦」と揶揄う。
 私は、いい加減にして!と叫ぼうとした、時だ。
「誰と誰が夫婦ですって?」
 穏やかで上品、全身を凍てつかせる冷ややかな声が背後から聞こえた。
 寒気を伴う気配が場に広がり、客たちの顔が引き攣り、4人組に恐怖が走る。
 私は、殺意さえ超える冷たい怒りに振り返ることが出来なかった。
「あら、エガオちゃん無視かしら?」
 なんだろう、この決して逆らうことを許さない静かで強い、支配力のある声は。
 私は、恐る恐る、恐る恐る振り返る。
 そこに立っているのは凍てつくほどに穏やかに微笑んだマダムであった。
「マ・・・マダム・・」
 私は、自分の顔が青ざめ、痙攣しているのが分かる。
「今日は来れないんじゃ・・・」
「あら用事があると言っただけよ。来れないなんて一言も言ってないわ」
 マダムは、穏やかに微笑みながら左手で自分の左頬に触れる。
「それとも来ちゃいかなかったのかしら?」
 目の奥が薄く光る。
 そこまで来て私は何でマダムが怒っているのか?と言う疑問が湧いた。
 私・・・何かしたっけ?
 しかし、これだけ怒ってるのだからきっと何かしたのだ。
 私は、恐怖に溶けそうな頭で必死に考える。
「マ・・マダム・・」
「なあにエガオちゃん?」
 笑顔がとても怖い!
 私は、懺悔するように思いついたことを答えていく。
「私・・マダムがいなくてもちゃんとお勉強しました!」
 私の絞り出した言葉にディナが円卓から落ちそうなほどに転ける。
「ちゃんとご飯も残さず食べたし、お風呂の後に髪もちゃんと乾かしました」
 イリーナが目が飛び出さんばかりに剥いて口をぽかんっと開ける。
「鎧下垂れも1人で選べました!」
 チャコが爪を剥き出して頭を掻きむしる。
「あら、それは偉いわね」
 マダムは、優しく褒めてくれた。
「ただ、夜更かしはしました。サヤが描いた漫画っていうのが面白くて」
「それはいけないわね」
 マダムの目が薄く光る。
 私達のやり取りに4人組が「いや、小学生か!」「言いつけ守りすぎだろ!」「どんだけ過保護にゃ!」「最後に私を陥れないで!」と各々声を上げる。
 しかし、どれだけ言葉を並べてもマダムの怒りの理由に当たらない。
 マダムがゆっくりと優雅に近寄ってくる。
 私は、まさに蛇に睨まれた蛙の如く身を竦ませる。
「ねえエガオちゃん」
「はい・・」
「結婚ってどう言うことかしら?」
 ・・・・・・・はいっ?
「なんか風の噂で聞いたんだけどね。エガオちゃんがどうしようもない下半身でしか物事を考えられない鳥の巣ヤローに手籠にされたっていうんだけど・・・」
 マダムは、ゆっくりとゆっくりと首をキッチン馬車に向ける。
 マダムの眼光が激しく光る。
「どう言うことかしらねえカゲロウ君?」
 マダムの声が聞いたこともないくらい低く唸る。
 カゲロウの顔が青どころか濃茶になる。
「え?はい?」
 カゲロウは、思わずよく分からない声を上げる。
「貴方、あれだけ順序は守りなさいって言ったわよね・・」
 そう言いながらマダムは、私の身体を抱きしめる。
「私があの時、あんなこと言ったから間に受けたの?いい大人が?」
 マダムは、よしよしと言わんばかりに私の頭を撫でる。
 怒りの震えが私に伝わる。
 私もそれに釣られて震える。
「こんな可愛いエガオちゃんを穢すだなんて・・」
 マダムの唇が表現出来ない程に歪んでいく。
「貴方・・・今日何回死ぬのかしらね?」
 カゲロウは、洗っていた皿を全て落とす。
 4人組の顔が一斉に青ざめ、逃げるように円卓から立ち上がる。
 伝説の軍馬、スレイプニルことスーちゃんの赤い目が恐怖に震える。
「マ・・・マダム?」
 私は、マダムの服のすそを掴んで誤解だと言おうとする。
 しかし、マダムは私の頭を優しく撫でて震えるような穏やかな笑みを浮かべて私を見る。
「大丈夫よエガオちゃん。ちゃんと仇は討ってあげるからね」
 かつてこんなに身と心が震えるようなことがあっただろうか?
 私は、カゲロウの命の危険を感じ、必死に訴えようとした。
 しかし、目の端に影を捉えて私は言葉を飲み込む。
 公園の隅、じっとこちらを見る影。
 それは間違いなく黒と白の水玉の髪をした犬の獣人の少女、マナであった。
 マナは、私と目があったことに気づき、逃げだす。
「マダムごめんなさい!」
 そう叫んで私はマダムの胸の中から抜け出すとマナを追いかけて走った。

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