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平坂のカフェ 第4部 冬は雪(19)

 今日、私は何度目かの乾いた唾を飲み込んだ。
 緊張しすぎて何度水を飲んでも口が渇く。
「凄い汗よ。大丈夫?」
 隣いるお母さんが私の異様な緊張状態を気にして声を掛けてくる。
「うん・・・大丈夫だよ」
 声が震えすぎて棒読みになる。

 今日は私の個展の内覧会だ。

 広すぎるフロアの壁とは幾つも置かれた白地のパーテションに私の絵が飾られ、淡い照明が当てられている。入り口付近には友人の会社やアパレル会社の関連企業や私が投稿しているSNSの運営会社、どこで知ったのか私の投稿をフォローしてくださっている方々から送られてきた胡蝶蘭の祝いの花が飾られている。
 中心には簡易的な舞台が作られており、両者の役員とコラボレーションのTシャツの試作品が人型に着せられて並んでいる。Tシャツには1週間前に見せたばかりのレモンの木とアーモンドの木の絵がプリントされていた。
 仕事が早いと舌を巻く。
 本当は私も舞台に上がって一言二言話すようにに言われていたのだが必死に断った。
 この場にいるだけで身体が震えるのに舞台なんて上がったら心臓が止まってしまう。
 確かイタリアで修行したシェフが作ってくれたと言う料理もとても豪華だ。
 立食パーティなので基本はアラカルトなのだがマルゲリータやペスカトーレと言ったピッツァやアラビアータやカルボナーラ等、日本に馴染みの合う料理からカプレーゼ、レンズ豆とモツの煮物、カツレツ、子羊の串焼き、ラザニア、パニーニ、デセールもティラミスや季節のパンナコッタなど盛りだくさんでワインや酒も並んでおり、両親や友達たちも大喜びだ。
 それと子連れもいるからかおにぎりとか卵焼き、タコの形のウィンナーも置いてあった。
 それを見て少しだけ緊張が解れた。
 1週間前に声をかけたと言うのに両親も友達も快く、と言うかとんでもなく喜んできてくれた。友達の中には有休使ってきてくれた子もいる。
 両親達は当然だが友達達もみんなドレスアップして普段とは違う大人びた印象を受ける。
 私もこんな時だからと紺色のドレスを着て、薄手だが化粧もしてきたが右目の眼帯とピンクのカーディガンは変わらないのでやはり子供っぽい気がしてしまう。
 それなのに皆んな「綺麗!」「カナヤバーい!」と揶揄ってくる。
「今日は楽しみだね」
 友達の1人がニヤニヤしながら言ってくる。
 この内覧会のことを言ってるのだろうけど緊張してそれどころじゃないと言ってやりたかった。
 舞台では友人がスピーチをしている。普段とは違い、美しい所作で美しい言葉を並べている。
 内容は会社がアパレル会社とコラボレーションするきっかけとなったらこと、私のことだった。
 学生時代から注目していたこと、今回のコラボレーションを企画した時に私の絵しかないと思ったなど散々褒め称えられ、その度に両親や友人、お客様たちの視線が私に集まり、胃が破裂しそうだった。
 そして本当に胃が破裂するような衝撃が走る。
「それでは本日の主役であります"KAnA"様から一言頂きたく思います」
 司会からの突然の言葉に私は言葉を理解する前に嗚咽しそうになる。
 両親と友達たちが歓声を上げる。
 私は、舞台に立つ友人を睨みつける。
 断ったはずなのに・・・!
 しかし、友人はそんな私の無言の怒りなど気に留めず、いや気づきもせずに親指を立ててウインクする。

 いや空気読め!

「"KAnA"様よろしいでしょうか?」
 司会が少し困ったようにこちらに呼びかけてくる。
 両親と友達たちが期待の眼差しをこちらに向けてくる。
 私は、嘆息し、舞台に向かって歩いていく。
 その間にもお客様やスポンサー、アパレル会社や友人の会社の人達の憧れと期待、そして羨望の眼差しが追いかけてくる。

 誰かとも関わらず、誰もが関わるのを避けてきた私にこんな日が来るなんて・・・。

 彼のお陰だよね・・・。

 誰よりもウザく、誰よりもうるさく、そして何があっても私の側にいてご飯を一緒に食べ、私が絵を描くのを一番近くで見守ってくれたり彼の。

 私・・・頑張ったよ。

 私は、心の中の彼に向かってそう報告した。
 答えは・・・返ってこない。

 舞台に上がると友人が悪戯っぽい笑みを浮かべて私を出迎える。
「簡単でいいよ」
 私は、友人に向かって唇を尖らせる。
 司会の人がワイヤレスマイクを私に渡す。
 何を話そう?かと思った途端に再び緊張が走って身体を硬直させる。
 まずは感謝だ。
 ここにいる両親、友達、友人、友人の会社の人達、そして私の絵を評価し、喜んでくれている人達、皆さんに感謝を言いたい。
 私は、マイクを口の近くに持ってくる。
「本日は・・」
 私は、次の言葉を告げることが出来なかった。
 頬に急に暑くなり、耳の奥で破裂音が響く。
 その後に痛みと衝撃が走り、私はその場に倒れる。
 悲鳴が聞こえる。
 舞台と客席が騒然とする。
 人々が慌ててるが現実ものと感じられずまるで人形劇のように見えた。
 何が起きたかさっぱり分からない。
 分かるのは頬の熱と痛み、そして恐怖だ。
 倒れた私の前に見知らぬ男が立っている。
 黒と白の髪が混じった汚らしく髭を生やした小柄で小太りな初老の男。
 彼は、私を睨む。
 私は、その目を知っている。
 相手を憎み、嫌う目。
 誰かを傷つけることを厭わない目。
 幼い頃に見た・・・馬鹿げたくらいに残酷な目だ。
 私の口から悲鳴が上がる。
 歯の根が合わず、逃げたいのに体に力が入らない。
 私は、男の目から自分の目を反らすことが出来なかった。
 警備員達が男を抑えようとするも男の力は凄まじく、振り解かれる。
 怖いのに、逃げたいのに、目を反らすことが出来ない。
 逃げたら・・・また殴られる、蹴られる。
「お前のせいだ」
 男は、低い声で噛み締めるように言う。
「お前のせいで・・・俺は・・・」
「・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・」
 無意識に私の口から言葉が漏れる。
 男の姿と頭の中に浮かんだ誰かの姿が重なる。
 似ても似つかないのにその姿が重なる。
「ごめんなさい・・・お父さん・・」
 男が足を上げる。
 その足が自分のお腹を踏みつける映像が浮かぶ。
 私は、怖いのに目を閉じることが出来ない。
 男の足が私に振り下ろされる。

「ごぶっ」

 男の口から短い呻き声が上がる。
 狂った目が白くなり、そのまま腹這いに、私の真横に倒れ込む。
 倒れた男に変わるように現れたのは白いシェフコートを着た長身の男性だった。
 その手には赤いフライパンを持っている。
 私は、男性を凝視する。
 波を打ったように癖のある髪、少し幼さの残った精悍な顔つき、そして日に焼けたような赤みがかった目・・・。
 左目から涙が流れる。
 しかし、それは恐怖による涙ではない。
 シェフコートを着た男性は、私に近づき、膝を付けると優しく私の肩を触る。
 恐怖も嫌悪感も湧かない、優しく温もりのある手。
 男性は私に笑いかける。
 あの頃と変わらない、優しい朗らか笑みで。
「もう大丈夫ですよ。先輩」

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