人見知りを辞めた考え方、人は自分のことは全く気にしていないと自覚する
20代のある時、人見知りを辞めた。なぜかというと、人見知りは無駄で勿体ないと思ったから。人見知りによるデメリットは多い。本気で人見知りを辞めたい人は、考え方を変えて練習することで自分を変えられる。
人見知りの心理
「これを言ったらやったらどう思われるだろう、ううう。タイミングがわからない。やっぱり辞めておくか、、、。今日も人見知りが発動してしまった。。。」
人見知りの人は、「人にどう思われるか」を非常に気にしている。
自分が行ったことによって自分が悪く思われたらどうしよう、よく思われたいという考えが根本にある。人見知りがある人は、そういうエゴがあることを自覚する。しかし、そういうエゴがあること自体は悪いことではない。誰しもが多少なりとも備えているものである。
人見知りは無駄
なぜかというと、ほぼ全ての人は他者に興味がないから。
人見知りをする人が、自分にどう思われるかを気にして喋ったり行動を躊躇して何も動かないとする。相手からすると、何も喋らないのだからよくわからないし、興味も湧かない。何をしたいか不明の人に手を差し伸べるほど、人は他者に興味がない。
人見知りの人だって、他の人見知りの人が何を考えてようが何も喋ってこなければ、興味が湧き辛いだろう。
そもそも相手は自分に興味がない。自分が相手にどう思われるか悩んで"実際に何も実行しない"のなら、悩むこと自体が無駄ではないか。
人見知りは勿体ない
打ち解けるまでに時間がかかる、それによりいいタイミングやラッキーを逃す可能性があがる。
もっと早くに話せる関係になっていれば、トントン拍子に進んだ何かがあったかもしれない。人見知りをしていると、そういうのを逃していることに気づかない、気付いても乗れない。
克服方法
考え方を変えて、行動を変える。
考え方:人見知りをしなくなった段階で、誰かと会話している現在はどうだろうか。その相手は自分のことを嫌ったり離れていっているだろうか。もしそうでなく、太くなくても続いている関係の他者がいるとする。それは、人見知りのじゃないモードを他者はある程度受け入れられているということだ。
行動:最初から人見知りじゃないモードで始めてみる。
初対面の人に嫌われようが今までの人生は何も困らない。好かれないことに意味を持たない。世の中に人はゴマンといる。次行こう、次々!
何を話したらいいかわからない場合はこれ。
どういう人が人見知りを直せるのか
本気で自分を変えたくて行動するなら変わるし、何か言い訳をして変えるために何も動かないのなら一生そのまま。できるできないではなく、本気か本気じゃないかだけ。方法論を知っているけど言い訳をしてやらない人は、本気では人見知りを辞める気がない、本当は人見知りでも本当は困っていない。
まとめ
結局何事も本気度に依る。
本人が人見知りで困っていないなら直す必要はないと思う。困っていないのだから変える気が起きないのは当然。