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共著『世界に学ぶ自転車都市のつくりかた』(学芸出版社)が発売となりました

共著で参加させていただいた『世界に学ぶ自転車都市のつくりかた 人と暮らしが中心のまちとみちのデザイン』が学芸出版社より発売となりました。足かけ3年、本当に長かったですね、編著者の宮田さん、共著者の南村さん早川さん。そして伴走いただいた関係者の皆さん、執筆を応援してくださった皆さんに、完成する前から読みたいと言ってくださった皆さん。恐る恐る宮田さんにツイッターでお声をかけていただいたのはいつだったのか確認すると、それは2020年7月下旬のことでした。ドイツにいる得体の知れない私に白羽の矢を刺してしまったがためにされたご苦労は、予想をはるかに上回るものだったと想像します。私はその反面、宮田さんに編集していただけることが恐ろしく贅沢なことだと、月日の流れと共に理解したのでした。この本に参加させていただけたこと、貴重で濃密な時間を共に過ごさせていただいたこと、一生分の「光栄」を使った気分です。心より感謝申し上げます。

〜ここから私的あとがきです〜

さて、そんなめでたい発売日は月の第2金曜日です。月の第2金曜日と言えば、デュッセルドルフのクリティカルマスの日。デュッセルドルフに住んでいた2018年まで、5年間毎月ほぼかかさずに走ったクリティカルマスの日です。そして実はちょうど10年前の11月、私はそのクリティカルマスを初めて走り、この「道路交通規則に則って自転車交通をアピールする」集いにどハマりしてゆくのでした。日本で自転車を軸とした交通部門の低炭素化を目指す持続可能なまちづくりにどうやって取り組めばよいのかわからなかった私が、ドイツで自分で探し当てたその市民による活動は、決して規模の大きいものではなかったけど、同じ目的のために動く人々と出会えたことに私はとにかく安堵して高揚した。そんな10年前のその日のことや数々の夜のことを今でもよく覚えている。

その日から10年。その当時、自分のライフワークを仕事にすること、住みたいまちで仕事を得ること、住みたいまちに住むことは、どれもはるか彼方のこと思えていた。それらが今年一応すべて叶ったので、まだダメなところは色々あるにせよ、自分は成長したのだと思う。

デュッセルドルフが州都のノルトライン=ウェストファーレン州では、"ホーム"のクリティカルマスやクリティカルマス・ツーリズムと称して仲間と隣街に行くことが自分のカレンダー上、最も大事なことで、それは主に仕事で貯まる大量の嫌なことを相殺し、その後につながるまぎれもないベースを形成してくれた。そして2018年に起こった州民イニシアチブでの直接民主主義の地鳴りを確かに持って、2年ほど毎月通っていたベルリンではなく、プランBであったヘッセン州へ引っ越した。

偶然移り住むことになったフランクフルト都市圏オッフェンバッハでは、やはりクリティカルマスやキディカルマスを通して友人関係を広げ、仕事を効率化して時間を捻出し、自分がなりたかった「動ける市民」として住民請求、州民請求に1件ずつ関わった。自分にできることはすべてやったと思えるほどコミットし、時間を投じられたのは幸せなことだが、「非EU市民=被有権者」としては市民として活動することの限界を見た。

そんな数々の現場とその現場が置かれた状況を本に載せられる言葉にするために、自分に撮るのを任せてもらったデモの写真が採用された記事から、連邦交通省のモビリティ調査報告書までざっと300点くらいは目を通し、行ける限りすべてのオンライン&オフライン会議の類に顔を出し、くすぶり続けるドイツの状況を追い続け、理解を深めることに努めたことも、私の成長に大いに加担してくれたと思う。執筆というのは本当に有難い機会であった。

そんな風に10年ほど、ドイツで車社会から持続可能な交通転換=自転車を軸とした「交通シフト」「モビリティシフト」を目指す市民活動をしていると、たくさんの人に出会った。そして出会わない人がいた。それは私のような、非ドイツ人で非EU人の民で、自転車デモ以上に参加し、それをつくる側にいる人だ。特に州民請求、住民請求の署名を集める時に、他の被有権者を見つけられないことを奇妙に思い始めた私は、そもそもどうしてこんなに骨の折れることを自分の自由時間を使って、外国人として他の国の自転車走行空間が少しでもオランダやコペンハーゲンに近づくことを願って無償で活動しているのかと振り返ってみた。

するとそこには、私の「強いられたモビリティ」があった。大学時代、労働社会学を少しでもかじっていた私には、日本で働きながら持続可能なまちづくりの一環としての自転車関係の市民活動をすることは想像し難く、就職したいと思った自転車関係の事業を行う会社は新卒を採っておらず、中途採用も全員男という状況だった。そもそも精鋭化を嫌い、ウー/マンパワー希望だった私には、世界最大の自転車ロビー団体の層の一員になるほうが敷居が低く、現実的な生活を送ることが想像できた。それはある種の特権だと思うが、それ以外のことは想像できなかった。その理由は、自分が男性ではないことで色んな職業像が想像できなかったことによることが大きい。私がもし男だったら、ドイツに来ていたかを問えば、同じ答えにはならない。

最近「日本で自転車がトレイラーを牽引した状態の全長の規定はあるのでしょうか」というなぞなぞを、近年知り合うことができたその筋の皆さんにお伺いすると、時差問わずすぐにリアクションをくださることに密かに感激していた。しかしほぼ全員、そんなテーマのコミュニケーション相手は私が知る限り男性なんですね。私がしこたま野外活動して成長して初めてつながることができた皆さんの多くが男性であり、年々その率が上がっていることは、私の「強いられたモビリティ」の答え合わせをしている気さえする。

担当させていただいたドイツ章では、ドイツ国外まではその活動が知られにくい、車社会に隠れがちな自分がよく知る人々の実情が少しでも伝わってほしいと願って書いた。ドイツの"イベントは多いのに混沌し暗がりがいつになっても晴れない状況"からすると、結果と展望に遮るものが少ないパリがどれだけ書きやすかったことか。長年の個人的な期待が現実となった今、やはり他のまちまで引っ張って行ってほしい。

ここまで読んでくださったあなたがもし我々の本を持ってドイツに来られた暁には、私のモビリティの届く範囲であれば、カーゴバイクツアーをアレンジできますのでご連絡ください(あとがきクーポン)

交通のみならず、ジェンダー格差、戦争、為替などに起因する、あらゆる「強いられたモビリティ」が少しでも無くなることを願って


2023年11月10日フライブルクより 小畑和香子

P.S. 現在本の実物の到着を楽しみに待っています


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