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やさしい傷口

 どこかで気球が破れている。
 ぱん、ぱん、と小気味よく、カラフルな膨らみを爆ぜている。それは遠い彼方のことで、たとえるならば昔話のようなやさしさで、今もこだましている。十月がいつの間にか終わり、霜月に入ってもまた低迷する気持ちのままだった。そんなことをいまだにやっている私が、幼くて痛い。

 このところ、過去の凄惨な事件や、刑務所内の生活、ヤングケアラーやきょうだい児、虐待に介護、それらを追うニュース番組ばかり見ている。それらをみて本気で心をいたませたり、怖くて寝付けなくなったり、わかっているのにまた手繰り寄せてしまう。なぜかはわからない。障害者女性を狙ったレイプや、父親からの性虐待、どうしてこのようなことが起きるのか心底わからない。幼い頃からうっすら男性が苦手なのはたぶん、母子家庭のせいだけれど、そこにこういった事実が積み重なることでより強固になってしまったのかもしれない。実際に、彼氏もいるし、実生活にはなんの影響もないのだけれど、男性と女性だと漠然としたイメージで女性を選んでしまう。男性目線だとどうなのだろう。男性を選ぶのだろうか。個人を定義しない、性別に対してのその人自身の概念で、たとえば電車で横になるのなら、だとか、より生活に関わってくる上で、どちらが選ばれるのだろう。

 最近は本当にずっと沈んでばかりいて、現実逃避が欠かせない日々だ。
 大切に思うひとの前では、すべてを曝け出すべきなのだろうか。たとえそれで自分が楽になったとしても相手にマイナスイメージを与えたとしても、その意味で結果として追い込まれるだろうとしても。いや、きっと曝け出さなくてもいいんだろう。わたしには鳥がいるし、鳥が手の中で丸くなってくれればそれで安心の意味を知ることができる。だけどやっぱり、弱い部分はいらなくて、いつも明るいあなたが好きだと言われると、曖昧な気持ちになる。明るくなれないときはもう連絡していないけれど、それが正解かもわからない。そもそも、相手に伝える体力もない。ただ軽い創作やインパクトのある題材を摂取して、第三者的に心を動かしているだけだ。それがいいことか悪いことかなんてわかっているくせに。

 自分の弱いところを見るのはつらい。わたしは空っぽだと思う。遠くで気球がわれている。泣き声のようにも、鳴き声のようにも、無き声のようにもきこえる。わたしにも、安心できる場所がたーんとあったこと。きちんと覚えていたい。
ひだまりのなかでお昼寝したこと、祖母がかけてくれたタオルケット、祖父が内緒だよとくれたいらないおかき、母が毎日くれたおやすみのキス、みんなみんなおぼえていたい。かえりたいと思わないように、きちんとしまっておきたい。



05.1103


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