私の勝手な自己満足。
私は相談に乗るときに相手が嫌な思いをしないように、なるべく相手を傷つかないような言い方に気をつけているつもりだ。
でも私が相談をすると現実を言われて傷つく。分かっているんだけど私は庇って欲しかった。
現実を分かっているからそうして欲しかった。
でも人は自分の鏡っていうじゃない?
私も知らず知らずにそうしてしまっているのかもしれないよね。
本当は何にも分かっていないのかも。
あぁなんだかもう人に会うのも嫌だなぁ。
このままキティちゃんのハッピーセット買いに行こうかな。
あぁなんだかもうどうしたらいいのだろう。
相談を聞き続け、相談できずに苦しんで。
人を褒めるときに羨ましい、私なんて、、って言う人あんまり得意じゃなくて。
人を褒める時ってその人が幸せだったり頑張りが実ったりする時じゃないですか。その時はその人が主役で。
だから私が羨ましいって言った瞬間その人のお話は終わって私のお話になってしまうじゃない?だから私は人を褒めたり頑張ったり凄いって言ったりする時はなるべく自分の話はしないようにしているんです。
でもそれは私の自己満足で。
人ってたくさんいるからそのときにいいなぁ〇〇ちゃんは私は〜って言う人も中にはいて、あぁ自分のことしか考えてないのかなとか今落ち込んでいるのかなでも今はこの人を讃える時だよねって思って少しムッとします。でもそれは私がしている自己満足の延長線に出た感情。
つまり強要してはいけないものなのであって。
こう言うことを常日頃考えて生きていてとてつもなく落ち込む時があります。それもまた自己満足から出る感情であって。
私って自己満足で生きているんです。
相手を褒める時は相手だけの話。
どんなに深夜でも押しボタン式の短い横断歩道のボタンを押す。
でもそれってみんなにとって幸せにはならない。
もしかしたら私の勝手な自己満足のせいで青だった信号が赤になり車が止まって急いでいた用事に間に合わなかったとかしちゃうかもしれない。
じゃあ私の自己満足は悪になる。
全員幸せになれることはないって分かっていて、誰かが我慢をしないといけないことも分かっている。
でも私の自己満足で誰かが不幸になるのならそれは避けたい。
何かをやるってことは何かを犠牲にしないといけない。
分かっているけどだったら私が犠牲になればいい。
怖いけど。辛いけど。
私の心の悩みや恐怖は誰が受け止めてくれるんだろう。
たぶん知らない誰か。これを読んでくれる誰かに受け止めて欲しい。受け止めなくてもらわなくてもいいのか。
でも
ただ知って欲しい。
私のことを知っている周りの人たちに話すと重いし自分も意識しないといけないのかという私の勝手な自己満足に左右されてしまうから。
だからこうして吐いて自我を保っている。
また明日から私が私でいるために。
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