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「面白さ」や「楽しさ」は他人が提供してくれると勘違いしている痛い人たちは、その間違いにいつになったら気がつくのだろうか。|小さきアプリ屋の悩み

お一人様向けのサービス」や、「副業」が流行っている。これは実は凄いことで、

・自分は何が好きなのか
・自分は何がやりたいのか
・自分は何に向いているのか
・自分はどんなスキルを持っているのか

などなど、「自己分析」がしっかりできていないと、それらを満足に堪能することはできない。特に学生の頃なんかは、自分が何者なのかも分からないし、将来、何がやりたいのかも曖昧で、それが社会人になっても解決しないことだって別に珍しくもない。

昔は、如何に仲間と徒党を組むか、が何故か個人のステータスになっていて、それは日本の教育システムでは仕方がないことだったが、こうして今、自分自身に何が求められていて、何を求めていけるのかを生き方の主軸にできるというのは本当に尊くて、大切で、素晴らしくて、でもそれは本来、人間としては当たり前の環境なんだろうと常々感じる。

だからこそなのだが、「そうではない人たち」が目立つようになってきたと思う。特に、「面白さ」や「楽しさ」は他人が提供してくれると勘違いしている人たちが痛々しい程だ。

こういう人たちは昔から大勢いる。例えば、仕事で例を挙げるなら、

・会社が面白くない(楽しくない)から辞める
・仕事が面白くない(楽しくない)から辞める
・職場が面白くない(楽しくない)から辞める
・先輩や後輩が面白くない(楽しくない)から辞める
・同僚が面白くない(楽しくない)から辞める
・取引先が面白くない(楽しくない)から辞める

この選択に「後悔」や「反省」がなく、むしろ「正しい」と思っている人たちだ。

勿論、日本国憲法第22条の「職業選択の自由」は素晴らしい。私も過去に、ごねる会社側に対して何度もそれを突きつけて、何社も会社を辞めてきた。

何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

だから、会社を辞めることは一切否定しない。肯定する。だが、その辞める「理由」に、上記に列挙したことが含まれているのなら、その勘違いは恥ずかしくて痛々しいからすぐに考えを改めろと私は言いたい。


何故、「面白さ」と「楽しさ」の中心に、自分がいないのだろうか?

何故、自分以外の誰かや環境が、「面白さ」と「楽しさ」の中心になっているのだろうか?


自分以外の誰かが面白さを教えてくれて、自分以外の誰かが自分を楽しくしてくれて、自分以外の誰かが自分の人生を豊かにしてくれるのでは決してない。

自分が面白いかどうか、自分が楽しいかどうか、人生は自分の選択で、他人が介在する余地はない、自分の思い込みで、いくらでも面白くも楽しくもなる。

大学生や専門学生のインターンをよく採用するが、若手の正社員も含めて、「仕事(や職場)が思っていたよりも面白くなかった」と言って早々に辞めてしまうことが多々ある。「思っていたよりも」とは、一体どういうことなのだろうか。その事前の想像は、明らかに、誰かや環境がきっとこうして面白く楽しくしてくれるんだろうな、という他力本願な恥ずかしい思い込みだ。

例えば、仕事が、いきなり面白いなんてことは殆どない。仕事が面白くないのは、思い通りにできないからだ。それは新人なら、スキルが足りなくて、失敗も多いからだ。だから必死に勉強する。少しずつ、仕事ができるようになってくる。私はもう 15 年弱アプリ屋だ。新人の頃は本当にチンプンカンプンで、毎日終電帰りで、思い通りにアプリが作れないし、そもそもロジックが理解できないし、生活する為に辛いことばかりだった。面白さも楽しさもない。でも、日々の勉強が実って、経験が知識が蓄積して、アプリを思い通りに作れるようになったとき、仕事が思い通りにできるようになったとき、それが凄く面白くなる。楽しくなる。

これは、誰かが自分に仕事を一から百まで徹底的に教え込んでくれたからだろうか。仕事の楽しさを常々誰かが自分に説いてくれたからだろうか。長い年月を掛けて、誰かや環境が面白さと楽しさを自分の為にようやく揃えてくれたからだろうか。

絶対に違う。それは自分が「面白い」と「楽しい」と思えるように変わっただけだ。そう思えるように成れただけだ。

今、仕事が面白い人、職場が楽しい人も、改めて、よく考えてみてほしい。その面白さと楽しさは、自分から湧き出たものなのかどうかを。それが、誰かが揃えたものではないのかを。

面白さと楽しさは伝染する。誰かが面白がっていて、楽しがっていたら、自分も面白いと思えてくる、楽しいと思えてくる。それは、他人の面白さと楽しさに「便乗しているだけ」だと、気づかない。

ドキュメンタル シーズン4」で飯尾が退場した時(エピソード4)、以下のようなコメントを口にしていた。

ああやって松本さんがあの、誰か笑うと入って来られるじゃないですか。
あれ、ホッとしますね。
松本さんがちょっと笑顔で入ってくると、
ああ、面白いことやってんだなあと。
あれがないと怖いですね。

誰かが笑っていると安心する。誰かが楽しんでいると安心する。確かに、これは飯尾の言う通りだ。今、この空間は、面白いことをやっているんだ、楽しいことをやっているんだ、その空間にいる自分もそう感じていいし、きっとこれは面白いから、楽しいから、自分は今、面白いし、楽しい人生を送れている。

勘違いせず、意識して、それに依存しているなら構わない。それを、自分自身の面白さと楽しさだと思い込んでいるのならば、それは本当に痛々しい。

もし自分が居なくなったら、その面白い空間は変化するだろうか。もし自分が便乗しているだけなら、その空間は変化しない。自分は居ても居なくても影響がない人間だ。その自覚が持てているだろうか。

今、会社や職場が楽しいなら、その楽しさを自ら作り出した「一人」が、必ず存在する。それは創業者かもしれないし、側近の誰かかもしれないし、新入社員だったかもしれない。その一人が作り出した面白さが、伝染して、どんどん便乗されて、大きな楽しさになっている。新たに面白さを作り出せる人が加わって、さらに大きな面白さになっている。便乗する人たちも増えて、ますます大きな「安心」を生み出している。

その空間の中に、環の中に、「安心」の中に、自分は便乗しているだけなのか、便乗していることにすら気づいていないのか。

気づいていないのなら、誰かが作ってくれた今の「面白さ」と「楽しさ」にすぐに気がついて、それに感謝しなければならない。「面白くない」「楽しくない」と不平を口にするのは、お門違いだ。そう口にしていることが証明してしまっている、自分の力で、「面白さ」と「楽しさ」を一から作り出せていないのだから。

食費入力のみ家計簿アプリ「食費簿」、自慰管理アプリ「アイナーノ」、どちらも御陰様で好調です。より良いアプリ開発に役立てます。