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おっぱいが負けるシチュエーションを発見した


はじめに

世の中、大抵のものは、おっぱいに負ける。大抵のものとおっぱいとを競わせた時、人々はおっぱい側を支持する。おっぱいは大抵のものに勝つ。

ところが今日は珍しい事例としておっぱいが負けるシーンについて紹介したい。

ところで日本人は「生〇〇」が好きだ。生クリームとか生ビールとか、生パスタとか生チョコとか、生がつくと美味しい印象を抱きやすい。それらが濫用されることを危惧するコラムがあったりもする。

そんな「生」表現の一つに、食べ物じゃあないんだけど「生足」ってのがある。今日は「生足」をきっかけに、おっぱいが負けるシチュエーションについて紹介していこうと思う。


「生足」という表現

「生足」という表現は妙な性的情緒がある。言葉が、独特というか固有のエロスを纏っている。

素足とか裸足とか、生足に近い表現がある。また、脚線美とか足フェチとか、美しさやエロスをめぐる表現が生足という言葉の近いところにある。それでも生足には、なおそれらの言葉に埋没しない情緒があると信じている。

例えば中学校とか高校のとき友達のうちに行ったら、その友達のねーちゃんが部屋着でいて、ショートパンツみたいなのを着てテレビ見てたりスマホ見てたりしているわけだ。まぁ生足なんだが、ちょっとドキッとするわけだ。

あるいは私の隣のマンションのおねーさんは制服を着る仕事をしていて、朝ゴミ出しで一緒のタイミングになることがある。田舎だからな、農協とか信組とかを想像してほしい。たまに休みの日が重なることがあって、普段と違ってハーフパンツにサンダルでゴミ出しするところに出くわすわけだ。まぁ生足なんですが、ちょっとドキッとするわけだ。

生には「生き生きとした」というニュアンスのほか「生々しい」というニュアンスがある。これらは虹のようなグラデーションでニュアンスとして広がっていて、ちょっとえっちになる方向を含め、全体としては良い印象を私は持っている。

「生足」の持つ不思議な情感は「生」の持つこうしたニュアンスに下支えされているのだろう。


「生乳」という表現

論じてきた「生足」という言葉が持つ情景を確認してきた時、なぜ私たちは「生乳」でそれを行わなかったのだろうか? と思うことがある。

なぜ日本人は、歴史のある段階で「生乳」をおっぱいの良さを表現する言葉として使用せず、牛からとれたての加工前の牛乳を指す言葉として選んでしまったのだろうか。

これがわからない。

これが、一向に、わからない。

「生足」でできたことを、「生乳」でできない。

この事例は、おっぱいが乳業業界に敗北した事例として位置付けられる。

乳業業界のあゆみと現在

「生」という言葉でおっぱいと牛乳とが競争した時、私たちの日本語では牛乳の方を勝たせて採用させている。あのおっぱいに勝つ生乳とは一体どれだけのポテンシャルを秘めているのだろうか。

北海道の田舎では、先進的な明治・大正期の事例を除けば、昭和初期に農民たちの多くがようやく牛飼いを始める。昭和初期の何度かの凶作を経て、天候不純に影響されにくい牛を飼い始めたのだ。

北海道製酪販売組合という雪印メグミルクの前身になる組織が、地域の産業組合と連携する。このことで田舎でも牛乳の販売先が現れることになる。農民たちは農作物とは別の収入源を大地から得られるようになる。

北海道製酪販売組合連合会十勝製酪工場(北海道帯広市)
帯広市図書館ウェブサイトより引用(https://www.lib-obihiro.jp/kyodo/ehagaki/)

北海道道東に広がる根釧台地は湿地帯が多い。農業に不向きな土地では酪農が行われた。町営の鉄道が彼らの産業を支えた。湿地帯を貫き、網の目条に簡易軌道と呼ばれる小さな鉄道が伸び、産業を支え、人々の暮らしを支えた。

浜中町営軌道
松原遊士様のウェブサイト「思いで鉄道探検団」より引用 https://www.omotetsu.com/omoide2/hamanaka/index.htm

現在、鉄道は役割を終え、専用のミルクローリーが整備された根釧大地の舗装道路を走っていく。

中標津町養老牛
中標津町養老牛の乳牛感謝之碑 神社のところにある
別海町上風連
別海町上風連の畜魂碑 地域センターの裏の建物の横にある

同じく北海道道東地方にある十勝平野でも酪農は盛んとなった。十勝の農業協同組合からリーダーが生まれ、自分たちの生産品を自分たちで加工販売するための工場・会社組織を誕生させた。のちのよつ葉乳業だ。

設立の地に今も大工場がある。「よつ葉乳業十勝主管工場」だ。

http://www.tokachigawa.net/sightseeing/yotsuba.html

2018年、北海道胆振東部地震が発生し、北海道は大停電となった。牛は生乳を出し続けないと乳房炎になる。加工工場が停電で稼働しないと、生乳を捨てることになる。

よつ葉乳業十勝主管工場は乳製品工場では唯一大停電下を自家発電で耐え、農家からの生乳を加工し続けた。また、他社で処理できない生乳も緊急的に請け負った。農家の組合から生まれた会社が、地域に威信を示し、畜産農家の矜持を守った。


おわりに

「生足」みたいに「生乳」がちょっとえっちな雰囲気を包含する言葉となる可能性は十分にあった。

ところが、私たちは生乳をここ100年、地域の産業として育んできた。生乳で人々の暮らしが成り立ち、生乳のためにいろんな社会システムが成熟してきた。今日も牛さんが生乳を出してる。絶対出してる。そして多くの人がその仕組みの中で働いている。この歴史とミルクの重さが、今回のケースではおっぱいに優ったということなのだろう。

おっぱいに関しては「生おっぱい」とか別の言葉で「生」の良さを示せると良いのではないかと思う。




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