5月の暑い日に篠山城を登城する。 ~パンフレットより~ 篠山城は、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が、慶長14年(1609)豊臣氏の居城である大阪城の包囲と、豊臣家ゆ…
新緑がきれいな季節に伊賀上野城を登城する。 ~パンフレットより~ “忍者の里”と呼ばれる伊賀国は、山に囲まれた9里四方の小さな盆地、その中心は上野城下町で…
冬の和歌山城を登城した。天守閣に着いた頃には夕日がきれいだった。 ~パンフレットより~ 天正13年(1585)、羽柴(豊臣)秀吉が紀州を平定し、弟の秀長に命じて岡山(虎…
前回は主にめい想の小経(水手道)ルートの登山の様子を紹介した。今回は天守閣からの眺望を中心に紹介したい。 ○天守閣からの眺望 遠くまで見渡せ、本当に美しい景色…
日本100名城である岐阜城に登城した。以前に登城したときはロープウェイを利用したが、今回は意を決して麓から歩いて天守を目指した。12月に訪問したが、この日は天気が…
前回に引き続き、月山富田城を紹介する。 険しい七曲りを超え、ついに主郭部へ入る。 縄張りの詳細を記録し忘れてしまったため、写真のみで紹介します。 三の丸・…
秋の月山富田城に訪問した。天気はくもり。比較的涼しく、山城を歩くのにちょうどよい気候だったと記憶している。以下、パンフレットから抜粋して城について紹介する。 …
冬の昼下がりに岡山城を訪問した。天気はあいにくの曇り。JR岡山駅から歩いて向かう。 以下、パンフレットより いつも豊かな清水をたたえて流れる旭川、日本三名園の一…
天気がいい日に丸亀城を訪問した。丸亀城の魅力は現存天守と壮大な石垣である。街中から見える石垣は堂々としていて迫力がある。 以下、パンフレットより引用。 標高66mの…
前回に引き続き、高知城を紹介する。 ○「詰門」2階へ 前回紹介した詰門。1階はダミーであることは前回記載した通りである。いよいよ本丸へ向かうため詰門の2階部分…
前回に引き続き、高知城を紹介する。 ○「詰門」開放! 高知城では2月頃に詰門を開放し、梅ノ段を見学できるようになっている。そのことを知らず、たまたま2月に訪問し…
貴重な現存天守が残る高知城へ登城した。廃城令や第二次世界大戦等で多くの天守が失われたため、現存する天守は全国で12城しかない。高知城は天守だけでなく、追手門や本丸…
日本三大水城であり、日本100名城にも選ばれている今治城を訪問した。 ○朝1番に到着 午前8時30分に今治城へ到着した。まずは城の周囲を散歩する。天気が非常によく、風…
kimuchem
2022年8月9日 18:19
5月の暑い日に篠山城を登城する。 ~パンフレットより~ 篠山城は、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が、慶長14年(1609)豊臣氏の居城である大阪城の包囲と、豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を抑える拠点とするために篠山盆地に築いた城です。築城工事は西日本の15カ国20諸侯の大名に夫役を命じた天下普請で行われ、縄張奉行の藤堂高虎(三重県津城主)、普請総奉行の池田輝政(兵庫県姫路城主)らが指揮を執り
2022年8月8日 10:12
新緑がきれいな季節に伊賀上野城を登城する。 ~パンフレットより~ “忍者の里”と呼ばれる伊賀国は、山に囲まれた9里四方の小さな盆地、その中心は上野城下町である。町の北側の丘には、白亜三層の伊賀上野城が、静かな雰囲気を醸しながら、端麗な姿を見せていて、白鳳城の雅名がある。 天正13(1585)年、伊賀の国を領した筒井定次が三層の天守を築き、北に表門を構えた。豊臣秀吉の没後、徳川家康が関ヶ原
2022年8月7日 11:32
冬の和歌山城を登城した。天守閣に着いた頃には夕日がきれいだった。 ~パンフレットより~ 天正13年(1585)、羽柴(豊臣)秀吉が紀州を平定し、弟の秀長に命じて岡山(虎伏山)の峰に創建したのが和歌山城。藤堂高虎らが普請奉行を勤め、高虎が手がけた最初の本格的な近世城郭といえる。秀長は大和郡山を居城としたため、桑山重晴が城代を勤めた。秀長家が途絶えると、桑山氏が城主となる。豊臣・桑山時代に山嶺部
2021年10月6日 23:18
前回は主にめい想の小経(水手道)ルートの登山の様子を紹介した。今回は天守閣からの眺望を中心に紹介したい。○天守閣からの眺望 遠くまで見渡せ、本当に美しい景色が広がっている。苦労して歩いた甲斐があった。近くを通る長良川も小さく見える。○紅葉 あまりきれいに撮れていないが紅葉がきれい。○天守閣○下山 下山は七曲り登山道を選択した。疲れがあり、道中の写真を撮り忘れてしまった
2021年10月1日 08:13
日本100名城である岐阜城に登城した。以前に登城したときはロープウェイを利用したが、今回は意を決して麓から歩いて天守を目指した。12月に訪問したが、この日は天気が良く、汗をたくさんかきながらの登城となった。~パンフレットより~ 岐阜城は、かつて稲葉山城と称していました。金華山頂にはじめて砦を築いたのは、鎌倉幕府の執事二階堂山城守行政と伝えられています。戦国時代には、斎藤道山の居城でもあった
2021年9月26日 17:32
前回に引き続き、月山富田城を紹介する。 険しい七曲りを超え、ついに主郭部へ入る。 縄張りの詳細を記録し忘れてしまったため、写真のみで紹介します。 三の丸・二の丸・本丸と一直線上で細長い縄張りをとっている。石垣や堀切があり、防御面もしっかりしている。360°あたりを見回せることや近くに川があることからも城としてよい立地だと感じた。 近くに安来市立歴史資料館があり、事前に立ち寄り、資料等
2021年9月22日 23:19
秋の月山富田城に訪問した。天気はくもり。比較的涼しく、山城を歩くのにちょうどよい気候だったと記憶している。以下、パンフレットから抜粋して城について紹介する。~パンフレットより~ 富田城は、中世、出雲国を統一し、戦国大名となった尼子氏が、出雲支配の拠点とした城である。尼子氏が城を退去した後は、吉川氏等毛利氏一族が支配した。関ヶ原の戦いで毛利氏が敗れた後は、吉川氏に替わって堀尾氏が出雲国に移封
2021年9月2日 09:59
冬の昼下がりに岡山城を訪問した。天気はあいにくの曇り。JR岡山駅から歩いて向かう。以下、パンフレットよりいつも豊かな清水をたたえて流れる旭川、日本三名園の一つ「後楽園」を背景にしたこの城は、天守閣の基壇(天守台という)が北に大きく突き出した不等辺五角形という、全国に全く例のない珍しい形をしており、また塩蔵を併設した複合の天守閣である。かつての岡山城の位置は、今の天守閣のある位置より西に30
2021年4月26日 07:54
天気がいい日に丸亀城を訪問した。丸亀城の魅力は現存天守と壮大な石垣である。街中から見える石垣は堂々としていて迫力がある。以下、パンフレットより引用。標高66mの亀山に築かれた平山城。別名亀山城とも呼ばれています。本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪があり、東西約540m・南北約460mの内堀内204,756m2が史跡範囲です・「石の城」と形容されるその名のとおり、丸亀城は石垣の名城として全
2021年4月20日 08:46
前回に引き続き、高知城を紹介する。○「詰門」2階へ 前回紹介した詰門。1階はダミーであることは前回記載した通りである。いよいよ本丸へ向かうため詰門の2階部分に入る。○いよいよ本丸へ 多くの道のりを経て、いよいよ本丸に到着した。写真は天守と本丸御殿である。両方とも現存しており非常に価値の高い施設である。現存しているものの特有の良さを感じた。○物見窓 横長の窓を壁に設置して視界
2021年4月15日 11:17
前回に引き続き、高知城を紹介する。○「詰門」開放!高知城では2月頃に詰門を開放し、梅ノ段を見学できるようになっている。そのことを知らず、たまたま2月に訪問した。ちなみに写真の詰門は本丸と二ノ丸をつなぐ役目を果たしており、藩政時代には「橋廊下」と呼ばれた。2階は家老・中老などの詰所として用いられ、現在の呼称となっている。○反対から見た詰門内部梅ノ段から見た詰門内部の様子。門内は侵入
2021年4月11日 16:02
貴重な現存天守が残る高知城へ登城した。廃城令や第二次世界大戦等で多くの天守が失われたため、現存する天守は全国で12城しかない。高知城は天守だけでなく、追手門や本丸御殿なども現存で残っており、多くの見どころがある城郭だ。なお冒頭の写真は高知城前にある高知城歴史博物館から撮影した。朝日がいい感じに差し込んでいる。○追手門と天守高知城の写真でよく目にする構図。現存する追手門と天守を一緒に映すこ
2021年4月6日 08:26
日本三大水城であり、日本100名城にも選ばれている今治城を訪問した。○朝1番に到着午前8時30分に今治城へ到着した。まずは城の周囲を散歩する。天気が非常によく、風もおだやかであった。○案内板○地元の方のおすすめ撮影スポットのんびり散歩をしていると地元の方に声を掛けていただき、おすすめの撮影スポットへ。風が全くない日は水面に波がたたず、きれいに反射するらしい。今日は少し波があるが