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篠山城 ~大書院が有名な城~

 5月の暑い日に篠山城を登城する。   ~パンフレットより~  篠山城は、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が、慶長14年(1609)豊臣氏の居城である大阪城の包囲と、豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を抑える拠点とするために篠山盆地に築いた城です。築城工事は西日本の15カ国20諸侯の大名に夫役を命じた天下普請で行われ、縄張奉行の藤堂高虎(三重県津城主)、普請総奉行の池田輝政(兵庫県姫路城主)らが指揮を執り、突貫工事によりわずか1年足らずで完成しました。ただし、天守閣は家康の命令で築か

    • 伊賀上野城 ~忍者の里にある城~ 

       新緑がきれいな季節に伊賀上野城を登城する。   ~パンフレットより~  “忍者の里”と呼ばれる伊賀国は、山に囲まれた9里四方の小さな盆地、その中心は上野城下町である。町の北側の丘には、白亜三層の伊賀上野城が、静かな雰囲気を醸しながら、端麗な姿を見せていて、白鳳城の雅名がある。  天正13(1585)年、伊賀の国を領した筒井定次が三層の天守を築き、北に表門を構えた。豊臣秀吉の没後、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝ち、豊臣政権の継承者としての地位を確立するに及んで、慶長13(1608

      • 和歌山城 ~紀州の名城~

        冬の和歌山城を登城した。天守閣に着いた頃には夕日がきれいだった。   ~パンフレットより~  天正13年(1585)、羽柴(豊臣)秀吉が紀州を平定し、弟の秀長に命じて岡山(虎伏山)の峰に創建したのが和歌山城。藤堂高虎らが普請奉行を勤め、高虎が手がけた最初の本格的な近世城郭といえる。秀長は大和郡山を居城としたため、桑山重晴が城代を勤めた。秀長家が途絶えると、桑山氏が城主となる。豊臣・桑山時代に山嶺部分や岡口の整備に取り組んだ。  慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が

        • 岐阜城② ~壮大な眺望を望める城~

           前回は主にめい想の小経(水手道)ルートの登山の様子を紹介した。今回は天守閣からの眺望を中心に紹介したい。 ○天守閣からの眺望  遠くまで見渡せ、本当に美しい景色が広がっている。苦労して歩いた甲斐があった。近くを通る長良川も小さく見える。 ○紅葉  あまりきれいに撮れていないが紅葉がきれい。 ○天守閣 ○下山  下山は七曲り登山道を選択した。疲れがあり、道中の写真を撮り忘れてしまった。 ○長良川の対岸から  長良川の対岸から見た岐阜城。山頂に天守閣が見える。

        篠山城 ~大書院が有名な城~

          岐阜城① ~壮大な眺望を望める城~

           日本100名城である岐阜城に登城した。以前に登城したときはロープウェイを利用したが、今回は意を決して麓から歩いて天守を目指した。12月に訪問したが、この日は天気が良く、汗をたくさんかきながらの登城となった。 ~パンフレットより~  岐阜城は、かつて稲葉山城と称していました。金華山頂にはじめて砦を築いたのは、鎌倉幕府の執事二階堂山城守行政と伝えられています。戦国時代には、斎藤道山の居城でもあったところです。特に岐阜城の名を天下を示したのは、永禄10年(1567年)(一説には

          岐阜城① ~壮大な眺望を望める城~

          月山富田城② ~山頂部の石垣が素敵な山城~

           前回に引き続き、月山富田城を紹介する。  険しい七曲りを超え、ついに主郭部へ入る。  縄張りの詳細を記録し忘れてしまったため、写真のみで紹介します。  三の丸・二の丸・本丸と一直線上で細長い縄張りをとっている。石垣や堀切があり、防御面もしっかりしている。360°あたりを見回せることや近くに川があることからも城としてよい立地だと感じた。  近くに安来市立歴史資料館があり、事前に立ち寄り、資料等を見ながら登城するのがおススメです。今回は時間の関係で見学する範囲が小さかったの

          月山富田城② ~山頂部の石垣が素敵な山城~

          月山富田城① ~山頂部の石垣が素敵な山城~

           秋の月山富田城に訪問した。天気はくもり。比較的涼しく、山城を歩くのにちょうどよい気候だったと記憶している。以下、パンフレットから抜粋して城について紹介する。 ~パンフレットより~  富田城は、中世、出雲国を統一し、戦国大名となった尼子氏が、出雲支配の拠点とした城である。尼子氏が城を退去した後は、吉川氏等毛利氏一族が支配した。関ヶ原の戦いで毛利氏が敗れた後は、吉川氏に替わって堀尾氏が出雲国に移封されて富田城に入った。慶長13年(1608)に堀尾氏が出雲支配の中心を松江に移し

          月山富田城① ~山頂部の石垣が素敵な山城~

          岡山城 ~川面に映える漆黒の城~

           冬の昼下がりに岡山城を訪問した。天気はあいにくの曇り。JR岡山駅から歩いて向かう。 以下、パンフレットより いつも豊かな清水をたたえて流れる旭川、日本三名園の一つ「後楽園」を背景にしたこの城は、天守閣の基壇(天守台という)が北に大きく突き出した不等辺五角形という、全国に全く例のない珍しい形をしており、また塩蔵を併設した複合の天守閣である。かつての岡山城の位置は、今の天守閣のある位置より西に300mほど行った、現在市民会館や放送局の建っている高台(『石山』という)にあった。

          岡山城 ~川面に映える漆黒の城~

          丸亀城 ~石の城~

          天気がいい日に丸亀城を訪問した。丸亀城の魅力は現存天守と壮大な石垣である。街中から見える石垣は堂々としていて迫力がある。 以下、パンフレットより引用。 標高66mの亀山に築かれた平山城。別名亀山城とも呼ばれています。本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪があり、東西約540m・南北約460mの内堀内204,756m2が史跡範囲です・「石の城」と形容されるその名のとおり、丸亀城は石垣の名城として全国的に有名です。 ○堀・門・天守 内堀・大手門・天守を1枚の構図に写した。

          丸亀城 ~石の城~

          高知城③ ~南海の名城~

          前回に引き続き、高知城を紹介する。 ○「詰門」2階へ  前回紹介した詰門。1階はダミーであることは前回記載した通りである。いよいよ本丸へ向かうため詰門の2階部分に入る。 ○いよいよ本丸へ  多くの道のりを経て、いよいよ本丸に到着した。写真は天守と本丸御殿である。両方とも現存しており非常に価値の高い施設である。現存しているものの特有の良さを感じた。 ○物見窓  横長の窓を壁に設置して視界を広げ、敵の動きを監視する。現存しているのは高知城のみ! ○忍び返し  忍び

          高知城③ ~南海の名城~

          高知城② ~南海の名城~

          前回に引き続き、高知城を紹介する。 ○「詰門」開放! 高知城では2月頃に詰門を開放し、梅ノ段を見学できるようになっている。そのことを知らず、たまたま2月に訪問した。 ちなみに写真の詰門は本丸と二ノ丸をつなぐ役目を果たしており、藩政時代には「橋廊下」と呼ばれた。2階は家老・中老などの詰所として用いられ、現在の呼称となっている。 ○反対から見た詰門内部 梅ノ段から見た詰門内部の様子。門内は侵入した敵が容易に通り抜けられないよう、入口と出口の扉の位置が「筋違い」に設置されて

          高知城② ~南海の名城~

          高知城① ~南海の名城~

          貴重な現存天守が残る高知城へ登城した。廃城令や第二次世界大戦等で多くの天守が失われたため、現存する天守は全国で12城しかない。高知城は天守だけでなく、追手門や本丸御殿なども現存で残っており、多くの見どころがある城郭だ。 なお冒頭の写真は高知城前にある高知城歴史博物館から撮影した。朝日がいい感じに差し込んでいる。 ○追手門と天守 高知城の写真でよく目にする構図。現存する追手門と天守を一緒に映すことができるのは高知城だけである。攻め込む側としては天守まで遠い道のりを感じさせる

          高知城① ~南海の名城~

          今治城 ~水堀が壮大な海城~

          日本三大水城であり、日本100名城にも選ばれている今治城を訪問した。 ○朝1番に到着 午前8時30分に今治城へ到着した。まずは城の周囲を散歩する。天気が非常によく、風もおだやかであった。 ○案内板 ○地元の方のおすすめ撮影スポット のんびり散歩をしていると地元の方に声を掛けていただき、おすすめの撮影スポットへ。風が全くない日は水面に波がたたず、きれいに反射するらしい。今日は少し波があるが、比較的きれいとのことであった。 ○水面に浮かぶ天守 ○いよいよ登城 橋を

          今治城 ~水堀が壮大な海城~