見出し画像

演劇関係の配信について今感じること。プレーヤーの特性、ユーザーの特性、コンテンツの特性。

外出や行動に制限がかかる中、演劇関係の配信が増えた。

過去作品や記録映像の公開、読み合わせ、Zoom演劇、次なる新たなコンテンツの模索。

プレーヤーの発信を通して「こんな世界があったのか!こんな楽しみがあったのか!」と新たに興味関心を抱いてくれる人がいる。劇場の空気感や体験を思い出し「勇気や元気を貰った!ありがとう!」と声を返してくれる人がいる。

プレーヤーが発信を頑張る一方で「作品や団体の個性が見えず似たり寄ったりに感じる」「距離感が埋められなくて寂しさを感じる」「積極的に動こうという姿勢は尊敬するものの無理に配信する必要はない」と、コンテンツの特色や差別化が見えずに飽き始めている人もいれば、劇場の空気を知っているからこそ寂しさを感じてしまい今は距離を置きたい人もいる。

そういった中、個人的には作り手と受け手の間に乖離が生まれている印象がある。まだうまく言葉にできない部分もあるのだけれど、今の時点で自分が感じていることをメモとして残しておこうと思う。

作り手・プレーヤーについて

とても雑な分類ではあるけれど、プレーヤーには以下のようなパターンが多いように感じる。私も作り手として活動することがあるからどれもわかる。視点をどこに置くかで変わるから正しい正しくないという判断ができるものでもない。

また、配信をするかしないかはまた別の話。演劇とは呼べないし呼んで欲しくないけど配信している、というケースも少なくない(はず)。

演劇は演劇である、配信を演劇とは呼べない、呼んで欲しくない。
 演劇とオンライン演劇は別物である、それを理解した上で演劇という言葉を用いていく。
どうしたいとか、どうしたらいいかとか、正直わからないけど皆やってるからやっとく。

受け手・ユーザーについて

ユーザー側は、これまで舞台や演劇という分野に対しどういうスタンスであったか、単推し・箱推し、その他の理解、価値観や違いがあまりにも多岐にわたるので表現しにくいけれど、いわゆるヘビーユーザーとライトユーザー、ビギナーという感覚で考えると理解しやすいかもしれない。心情とか感受性の差も大きいので見るか見ないかはまた別の話。

演劇は演劇であって、配信は演劇ではない。だから認めない。
演劇は演劇であって、配信は演劇ではない。それを理解した上で受け止める。
作り手側に様々な葛藤があるのは承知している、その上で推しを支えたい。推しが生きる業界を盛り上げたいし支援したい。
演劇とかよく知らないけどいい機会だし見てみるのもいいんじゃない?
演劇とかよく知らない、SNSで燃えてたのは知ってる。

配信型コンテンツへの移行について

活動に制限がかかる以前から舞台・演劇に特化したサービスで配信を行っている団体は少なくないけれど、そういった既存の顧客に対してのアプローチではなく、新型コロナウイルスの影響を受けて配信を始めたケースについて。

リアル・オフラインがストップしてしまったことへの焦りから心の整理のつかないまま勢いで配信に移行、理由は後から探す。
今できるせめてもの発信、心の栄養・潤いとして自分が提供できるものを発信していきたい。
商業大手がやっているから。
投げ銭、有料、グッズの販売促進など、少額でも収入に繋げたい。

発信者一人ひとりの視点が違うことを今、わざわざ主張・指摘する必要はない。

リアルからオンラインへの移行に伴い、「舞台芸術とは・演劇とは」というところで葛藤を抱える人もいる、技術的な部分で戸惑う人もいる。仕事のキャンセルが続く不安と疲弊もある、環境が変わったことへのストレスもある。そんな状況で一人ひとりが模索しながら、今自分に必要なことは何か・自分ができることは何かを考え、選択し、行動している。

「たとえそれが自分の価値観や行動、選択と違ったとしても、水を差すようなことをわざわざ発信する必要なくない?」

っていうのはSNSなどでたまにそういう発言をされている方を見かけるから。ストレス溜まっているからなのかわからんけど、視点や論点が違うのに物申して他人をサゲる意味がわからん。なんなの?マウンティング?だとしたら何に対してのマウンティングだかもわからんけども。なんなの?プライド?だとしたらどこに向けてのプライドだかわからんけども。

少なくとも私は、今このタイミングで演劇論を語る人より、足掻きながら次の一手を探り未来に繋ごうとする人を応援・支援したい。

配信型コンテンツの難しさについて

プレーヤーはカメラ・モニターを相手にすることとなり、観客のリアクションがわからない中で見せ、魅せなければならない。

受け手としては没入感・ライブ感を得難い配信というコンテンツの中で、どれだけ集中できるか・どれだけテンションを維持できるかという話になってくる。

実は前述のプレーヤーの特性、ユーザーの特性、コンテンツの特性という話よりも重要なのはコレ。ここが配信型コンテンツの一番難しいところだろうなと思っている。プレーヤーとしては多分きっと実感も乏しく、やっていて単純におもしろいとは言えないんじゃないかな。特にオフラインからオンラインへの移行だから。今は切り替わってすぐだから気づいていない人もいそうだけど。物足りなさとか虚しさとか不安みたいな類。で、たぶん役者がある程度満足できる方向のコンテンツにすると、今度はユーザーが取り残されることが多くなるはず。ここについては今日は触れないけれど。

さて、ここからどうなるか。どうするか。自分には何ができるか。そんなことばかり、毎日あきもせずに考えている。



この記事が参加している募集

コンテンツ会議

サポートありがとうございます。いただいたサポートは創作活動にあてさせていただきます。