大佐のブログ

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大佐のブログ

アラフィフのサラリーマンが気ままに書いています|自己紹介はプロフィールタグから|現在は葬儀社でアフターサービスを担当|葬祭ディレクター1級取得|生命保険大学課程修了|猫と音楽が好き|

マガジン

  • SS

    学生時代のバンドサークルの思い出をまとめたエッセイ

  • 認知の父、心配の母

    認知症を発症した父を見守る母の心配ごとを記録したエッセイ

  • 21世紀の精神異常者

    転職とうつを繰り返す私(僕)の私小説

最近の記事

SS⑩

サークル最後のイベントは卒業生を送り出す『追い出しコンサート』だ。 2年生が辞め、3年生たちはサポートをしてくれるが僕ら1年生にとって、初めて運営主体として行うイベントだった。 問題がいくつかあった。 一つ目は学生会館大ホールが、日程の問題で取れなかったことだ。 先に軽音楽部が予約を入れていた。 例年だとお互いの幹部同士で相談をして日程を調整するのだが、今年はうちの『追いコン』自体開催が危ぶまれていたから、それを待ってもいられない軽音楽部が音響や照明会社のスケジュール

    • 認知の父、心配の母⑩

      父は次第に、昔とは違う父になっていった。 母は当分このことを妻や娘、姉や弟の家族にも内緒にして欲しいと言った。 そう、この頃の私はまだ、妻や娘と会話をしていた。 今の住まいに引っ越し子猫のげんを迎えた幸せな家族の最後の時期だった。 今ではげんは立派な猫になった。それだけが救いだ。 手術後の疲れもあるから当分の間実家には来ないようにとお願いをしてと、母は付け加えた。 父のそんな姿を嫁や孫に見せるわけにはいかないし、万が一あの興奮状態で女性に襲い掛かるような事態にでもな

      • 認知の父、心配の母⑨

        この父の入院・手術の良かった点は、もちろん胆嚢の摘出が無事成功をしたことだった。 悪かった点は、約ひと月の入院生活は父の認知の症状をさらに進めたことだった。 腹腔鏡による手術は開腹手術に比べて、傷も小さく回復も早い。 それだけであれば、おそらく一週間もしないで退院が可能なはずだった。 しかし、高齢で生活習慣病全般の数値が高めの父には食事療法を兼ねた生活指導入院というものが追加された。 それは前回の腰の圧迫骨折の際の入院生活と同じように、刺激のない単調な日々の繰り返しで、

        • SS⑨

          3年生の先輩の幹部たちが引退する、最後の総会が今でも忘れられない。 それは今まで総会では強面を保ってきた幹部の先輩たちが、公の場で初めてその人本来の姿をさらす場でもあり、それを知っている先輩たちにとっては一年間の労いと共に、絶好のイジリの機会だったのだ。 新入生でサークルに入会してから、幹部の先輩はある意味遠い存在であり、個別に話をすることや個人的に仲良くしてくれる幹部の先輩もいたが、あくまでサークルの公の場では、上下関係の会話に限られていた。 それが最後の総会では、一

        マガジン

        • SS
          10本
        • 認知の父、心配の母
          10本
        • 21世紀の精神異常者
          11本

        記事

          SS⑧

          その日は幹部候補による施政方針演説のための総会だった。 2年生の先輩の幹部候補5人が前に並び、来年の方針を述べる。 それに対しての質疑応答がされ、最終的には全員の承認をもって新しい幹部として認められるはずだった。 しかし、総会はものの5分で打ち切りになった。 新会長候補の先輩が高熱の為、演説の途中でその場に倒れ込み、そのまま下宿まで担ぎ込まれる事態となりそれ以上の継続が不可能となったからだった。 その後、どのように新幹部候補と現幹部の間でやり取りがあったのかは僕ら1年生

          認知の父、心配の母⑧

          母によれば、その頃の父は食後にお腹の痛みを訴えることがあったという。 ただ、しばらくすれば自然に治まっていたようで、まだらボケの父は医師の前ではそうした自分にとって不都合なことは忘れてしまっていた。 なにか言えば手術を受ける口実を与えてしまうと考えたのかもしれない。 かかりつけ医の診察に同席をしていた母から、痛みの原因として胆石の可能性が疑われた為、総合病院での検査を勧められた経緯を聞いていた。 病院や検査嫌いの父にとって、母の心配は有難迷惑な話だった。 そんな気の

          認知の父、心配の母⑧

          認知の父、心配の母⑦

          父が自転車で転倒事故を起こした当日は額からの出血以外には目立った外傷もなく、本人もさほど痛がる様子もなかったから、その夜私はあまり心配はしていなかった。 しかし、翌朝父の顔には目の周りにしっかりとした青あざが浮かんでいたという。 前日に頭を打ち額から出血もあったことから、やはり念のためかかりつけ医に母が連れていき診てもらうことになった。 診察の結果、打撲と額の裂傷くらいで大きな問題はなかったという。 痛み止めと額の傷の化膿止めの軟膏などを処方されたくらいだったのでひとまず

          認知の父、心配の母⑦

          SS⑦

          話が少し遡る。 僕が1年生の冬、ひとつ上の代は幹部の上級生たちとモメて、全員で辞めてしまった。 原因のひとつはサークルの古い体質を継承するか、変えていくかだった。 歴史のあるサークルだったから、よくある昔ながらの厳しい上下関係や音楽とは関係のない理不尽なことも多かった。 入学当初から振りかえってみると、桜の花びら舞う中でさまざまなサークルから勧誘を受けたが、受験から解放され晴れて大学の門をくぐったばかりの僕にはどのサークルも皆優しそうで親切な先輩ばかりに見えた。 その中

          SS⑥

          僕の担当する合宿は毎年夏休み中に3泊4日で長野の高原に出かける。 冬はスキー場の高原だが、音楽スタジオを備えた宿場がいくつもあり、夏場に僕らのような学生サークルが全国からやってきては、バンドの練習をしたり、バーベキューや各種レクリエーション、夜には恒例の肝試しなんてものもやっていた。 春先には、そうした宿場と学生サークルの間を取り持つ、長野の旅行代理業の通称『ツネさん』がやってくる。 いつも事前に電話をくれたから、合宿担当と他の幹部で都合のつく者がツネさんと打合せをすること

          認知の父、心配の母⑥

          妻へと電話をし、私もその神社の裏の空き地に到着した。 父は無言だったが、それは転倒のショックもあるのだろう。 救急で病院へ連れていくほどではなさそうだ。 私の車の助手席に父を載せ、折りたたみ自転車はなんとかトランクに収まった。 父の買い物袋にはウィスキーの瓶といくつかのつまみが入っていて、中身はどうやら無事のようだった。 妻と娘にはそのまま先に帰宅をしてもらい、私は実家へと父を送り届けることにした。 実家に戻ると、母は明るい部屋で父の額のけがの具合を見て、応急の処置をし

          認知の父、心配の母⑥

          SS⑤

          僕とクワコはサークルの幹部をやっている。 サークルでは毎年3年生が会長、内務(実質の副会長)、会計、合宿、プロコンサートの担当をする。 会長はサークルの顔だ。 音楽活動でも先頭を切ってやっていくし、その腕前だけで後輩たちを引き連れていくカリスマ性も求められている。 ライバルの軽音楽部や他の大学サークルと合同のイベントを企画したり、招待されたり、自分のバンド活動以外も忙しい。 OB・OGがサークル室へ顔を出してくれる際の接待やライブをする際にお世話になっている音響会社、照明

          認知の父、心配の母⑤

          自転車で転倒して道路端に倒れてうずくまっていた父を発見し、車を停めて介抱し、なんとか父から自宅の電話番号を聞き出し連絡をくれたのは30代の女性だった。 母が電話をとり、その女性から状況を聞いた。 どうやら父が自転車で転倒し、はずみで眼鏡を壊した上に頭にけがをしているようだが意識ははっきりしているし大事はないようだった。 女性から父のいる場所を詳しく聞いたのだが、車を運転することのない母にはイマイチ場所がピンとこなかった。 母は息子の私か嫁の私の妻に現地へ向かわせるので、直

          認知の父、心配の母⑤

          SS④

          『おい、Aをくれ』 クワコがいつものように言った。 正確には僕とクワコはお互いに半音下げのチューニングにしていたから、 僕のギターの5弦の開放はAフラットなのだが。もう、いちいちそんなことは言わなくても伝わる。 僕のギターはロッキング式のナットで、家とサークル室の移動くらいではまず音程が狂う心配はないが、アンプ、エフェクターとの間につなげたチューナーで念のためのチューニングも済ませていたから黙って開放弦を鳴らした。 クワコも僕もいわゆる絶対音感はない。 しかし、基準の音さ

          認知の父、心配の母④

          妻からの電話で、漸く事の次第を知った私は母にも折り返しの電話をいれた。 母は私と連絡がとれ少しほっとしたようではあったが、前回の父の単独事故から引き続きの事態に、やはり気が気でないようだった。 母によればいつものように夕方になり酒を買いに自転車で出かけた父が、暗くなっても帰宅せずさずがに心配になり、父の携帯に電話をしたがいっこうに出る気配もない。 それもそのはずで、携帯は父の部屋に置きっぱなしだったということが分かり、そのことで母はますます思うようにならない父に対してイ

          認知の父、心配の母④

          SS③

          水龍軒の廃業は瞬く間に学生の間を駆け巡った。 『え~、もうミックスフライ定食食べれへんの~、ショックやわ~』 『マジで!!焼肉定食もう一度だけ食べたいわ!!』 おのおの、お気に入りのメニューとの別れを惜しんだ。 焼肉といえば大阪出身の同級生は、水龍の焼肉定食を初めてオーダーした際 『なんやこれ!?豚やないか!!牛やないんかい!詐欺やでホンマ~』 と、肉と言えば牛という食文化が当たり前という話をしてくれた。 僕にしてみたら、豚でも牛でも焼いてある肉なら焼肉なのだが。

          認知の父、心配の母③

          父はもともと大酒のみというほどではないにしても、毎日の晩酌だけが楽しみの自称アル中患者でもあった。 昔から夕食時に他の家族が晩御飯を食べていても、父だけは定番のマグロの刺身とイカのつまみをあてに1時間でも2時間でも飲み続けていた。 早く食器の片付けをしたい母は、いつもイライラした口調で 『まだ飲むんですか!早くご飯食べちゃってくださいよ!』と 手つかずのままのおかずを前に悠然と飲み続ける父を叱咤した。 姉と私、弟は毎日繰り返されるそうした、家族の風景にほとほと嫌気がさし

          認知の父、心配の母③