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SS④

『おい、Aをくれ』
クワコがいつものように言った。

正確には僕とクワコはお互いに半音下げのチューニングにしていたから、
僕のギターの5弦の開放はAフラットなのだが。もう、いちいちそんなことは言わなくても伝わる。
僕のギターはロッキング式のナットで、家とサークル室の移動くらいではまず音程が狂う心配はないが、アンプ、エフェクターとの間につなげたチューナーで念のためのチューニングも済ませていたから黙って開放弦を鳴らした。

クワコも僕もいわゆる絶対音感はない。
しかし、基準の音さえもらえばそれを頼りにすべての弦をチューナーなしでも合わせることはできる。

もともとクワコは幼いころからピアノを習っていたから、鍵盤の腕前と音楽に関する知識や理解の深さでは同期の中では一、二を争うものがあった。

そしてなにより耳が良い。
自分のベースはもちろん、ドラムや僕のギター、ボーカルまでもその音程やリズムのずれをかなり正確に、そして立体的に把握できた。

一浪で夜間学部に入学したクワコは昼はスタンドでバイトをしながら、夜には僕ら昼間部の連中とバンドの練習もしていたから、実際のところほとんど講義には出ていなかった。
しかし音楽に関しては自分にも他人にも厳しかった。

バンドマスターは僕だったが、音楽的な要はクワコだった。

SSの前身のバンドの音楽性もクワコの趣味やその音楽的な基盤でもあるクラシックと、僕の好きなハードロックの共通するところから始まった。
1年生の学園祭の時にドイツのメロディアスハードロックバンドのコピーを演ったことがきっかけでそれ以降一緒にバンドを続けることになった。

お互いにシンプルでストレートなロックよりも、テクニカルで複雑な構成のものが好みだった。
当時新しいジャンルとして認知され始めていた、プログレッシブ・ハードやメタルのバンドにも激しく触発されていたから、そんな音楽をやりたいと思って一年後輩のオヤジをツーバス使用の手数の多いドラマーに育てていった。

オヤジはまっすぐな性格をした後輩で、同学年にいる他の有望なドラマーとは一味違うテクニシャンを目指すことを自身の喜びとしていたから、本当によく練習をして驚くほどの成長を見せていた。


ジャズ研の外ではサークルの同期や後輩たちが、早く始めろとウズウズしている中、エースケもマイクの調整を終え、僕に向けてOKの合図を見せた。

5曲準備してきた中で、先ずはこの曲から合わせてみようと僕が言う。
クワコもオヤジも『やっぱりな』という感じで笑う。

エースケも『ですよね』と頷く。

集まったオーディエンスに対して、あいさつ代わりの最初の曲だ。

オヤジのスティックがカウントを叩き、一拍目はいきなりの休符。
そこから変則リズムのイントロ、激しくハイハットが叩かれ、速いテンポのヘヴィなリフへと展開していく。

ワウワウを効かせたバッキングのAメロに入ると同時にエースケのボーカルも入ってくる。
僕とクワコの音量にも負けていない。
確かな声量と声の質。

緩急をつけ、次第にアップテンポなサビへと進む。
まだ僕もクワコもコーラスのマイクをとる余裕はないが、充分だ。

そのまま、速いパッセージのフラッシーなギターソロへ進み、ダブルチョーキングのビブラートの後、細かなカッティングとボーカルの絡みをみせて、最高潮でのブレイク、大サビからエンディングソロまで一気に駆け抜けた。

ーこの4人なら!

僕とクワコの想像した以上の手ごたえを感じた瞬間だった。


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