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認知の父、心配の母⑨

この父の入院・手術の良かった点は、もちろん胆嚢の摘出が無事成功をしたことだった。

悪かった点は、約ひと月の入院生活は父の認知の症状をさらに進めたことだった。

腹腔鏡による手術は開腹手術に比べて、傷も小さく回復も早い。
それだけであれば、おそらく一週間もしないで退院が可能なはずだった。

しかし、高齢で生活習慣病全般の数値が高めの父には食事療法を兼ねた生活指導入院というものが追加された。
それは前回の腰の圧迫骨折の際の入院生活と同じように、刺激のない単調な日々の繰り返しで、もともと運動嫌いな父が一日の大半を寝て過ごしたことが認知機能に影響したと思う。


退院後の実家での食事は、母が苦心をしてヘルシーなメニューを考えて父に三食を提供した。

当然お酒は抜きだ。

それが分かっていても酒が飲みたい。
父は何度も母の目を盗んで入院前のように買い物へと出かけた。

しかし、入院生活ですっかり筋力の落ちた父は、近所の酒屋にすら歩いていくことが困難になっていた。

なんとかたどり着いても、買い物袋を抱えたまま帰宅途中で歩けなくなり、道端に座込んでいるところを近所の方が見つけて母に知らせに来たりもした。
小柄な母が父をなんとかして連れて帰るようなことが続き、それは母に新たな心配ごととしてのしかかった。

日中でも玄関の鍵をかけておいて、隙をみて父が出かけようとすると一緒についていき、夕方になるともうご飯にするからと言って外出を諦めさせた。

そうした日々を繰り返し父の外出への意欲は次第に低下していった。
すると今度は別の問題が起き、また母から私に電話が入った。


『・・・ああ、悪いね。あんた、今すぐ来てくれない?』と涙声でいう。
夜の10時近い時間だ。
嫌な予感がした。万一が頭をよぎる。

しかし続く母の話は私の想像とはまったく違う内容だった。

『・・・言いにくいんだけど、あんたにしか話できないから』と暗い声で母が話を始めた。

9時半を過ぎ、自室で寝支度をしていたところ、別室の父が大声で母を呼ぶ声が聞こえた。

夜中に何事かと驚いた母が部屋に行くと、父が下着を脱いで下半身を丸出しにして、爛々とした目で母を見ていたという。
そしてベッドに横たわって、母に『こっちに来い』と誘う。

どこか手術後のお腹の具合でも悪いのかと思い、近づいた母の手をつかみ、ベッドに引き入れようとする。

すごい力だったという。
それに今まで見たことのないような顔をしていたらしい。

母は父の意図を察して全力で抵抗し、なんとか父の手を振りほどきその場を逃れて自室に引き返し、私に電話をしたという。
こんなことは考えてもみなかった。

電話の裏からは父が大声で母を呼んでいる声が聞こえる。
母は恐ろしさのあまり震える声で私に助けを求めている。

とにかく実家に向かうと告げ、電話を切り急いで車で向かう。


実家に着くと、父の部屋の隣にある駐車場に車を乗り入れた。
玄関を開けると、真っ先に父の部屋に行った。

父は突然の私の出現に驚きながらも何事もなかったようにちゃんとズボンを履きベッドに腰かけていた。私とは目を合わせようとしない。

母は一番奥の自室で襖を閉め、籠っているようだ。

私が襖を開けると明らかにおびえていた。

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