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認知の父、心配の母④

妻からの電話で、漸く事の次第を知った私は母にも折り返しの電話をいれた。

母は私と連絡がとれ少しほっとしたようではあったが、前回の父の単独事故から引き続きの事態に、やはり気が気でないようだった。

母によればいつものように夕方になり酒を買いに自転車で出かけた父が、暗くなっても帰宅せずさずがに心配になり、父の携帯に電話をしたがいっこうに出る気配もない。

それもそのはずで、携帯は父の部屋に置きっぱなしだったということが分かり、そのことで母はますます思うようにならない父に対してイライラすると同時に呆れてもいるようだった。

それにしても、また警察に相談をすることになるのだろうか。
前回あれだけやりあった上に、またお世話になることを考えると気が重い。私はバイパスを降り、信号待ちにそんなことを考えながら、行き交う車のヘッドライトが右へ左へと流れていくのを眺めていた。
実家に向かって車を走らせる。あたりは暗く私の心も暗かった。


実家に到着すると母は思ったよりも冷静で、連絡のとれない父の心配よりも、作りかけの夕ご飯の支度をどうすべきかの方が気にかかっているようだった。

私はそうしたところはとても母らしいと思ったが、そんなことより目下のところの問題はどのようにして父を探すかということだった。

連絡がとれない以上、父の行きそうな市内の店を片っ端から虱潰しにしていくか、やはり警察に相談するくらいしか思い浮かぶことはなかった。

既にパートの仕事の終わった妻が、小学生の娘と一緒に車で思い当たる店を手がかりを探りに回っていると聞き、私は警察に相談へ出向くことにした。

前回の事故の際には父が車で隣町まで行ってしまっていたので、市内の同報無線での捜索は功を奏さなかったのだが、それでも県警のネットワークにより深夜にはなったがなんとか無事発見することができた。
今回は折りたたみ自転車での外出で、75歳を過ぎた父が行ける範囲は知れていたから見つかるのは時間の問題だと思ってもいた。


前回の時は運転中に道に迷い、田舎道沿いの建設現場の道路で脱輪事故をした父だったが、なんとかジムニーの運転席から脱出し近所の家に自力で助けを求め、その家の方のおかげで警察への連絡をしていただくことができたのだった。
それが夜の10時過ぎだったと聞いた。
その方には突然に大変なご迷惑をおかけした上に、ありがたいことに警察が到着するまでの間父を介抱してくださったのだった。

事故翌日には私が、その家の方へお礼の電話を入れお詫びとお礼のご挨拶に伺いたい旨をお伝えした。
その方は平日はお仕事の為、土日であれば在宅とのことであったから、当時総務部付けで復職をしていた私にとっては土曜日の日中に訪問の約束をいただけたことは幸いだった。

お世話になったその家というのは、私が社会人になってからの営業区域内でもあり、独身時代には一軒家で一人住まいをしていた場所からもほど近くであったから、その土曜日の日中に父母を連れて出かけてみるとなんだか以前の仕事での訪問活動のような慣れ親しんだ感じがした。

お家の方は60代くらいの落ち着いた男性の方で、母の差し出した菓子折りを丁寧に断りながらもなんとか受け取って下さり、とにかく父が無事でよかったねとこちらを労ってくれた。
父はいつものように言葉は少なかったが、それでも丁寧にお礼を述べ感謝の表情を浮かべていた。

隣町は昔ながらの地域のつながりの残る、小さいがとても人情味あふれる町なのだった。
平成の市町村大合併によって、隣接する市に吸収され町名はなくなりはしたが今でもそうした名残はいたるところに感じられ、私にとっては大好きな町でもある。


私がそんなことを思い返しながら、再び警察署の駐車場に車を停めた時だった。

母から私の携帯に連絡がきた。
父が見つかったという。

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