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認知の父、心配の母③

父はもともと大酒のみというほどではないにしても、毎日の晩酌だけが楽しみの自称アル中患者でもあった。

昔から夕食時に他の家族が晩御飯を食べていても、父だけは定番のマグロの刺身とイカのつまみをあてに1時間でも2時間でも飲み続けていた。

早く食器の片付けをしたい母は、いつもイライラした口調で
『まだ飲むんですか!早くご飯食べちゃってくださいよ!』と
手つかずのままのおかずを前に悠然と飲み続ける父を叱咤した。

姉と私、弟は毎日繰り返されるそうした、家族の風景にほとほと嫌気がさしていて、自分の食事を終えると我先にと自室へと引き上げたものだった。


車のカギを見つけられない父は、苦肉の策として以前購入したが乗る機会のないまま放置していた、緑色の折りたたみ自転車に乗って酒やつまみを買いにお気に入りの酒のディスカウントストアやスーパーへと繰り出すようになった。

それも決まって夕方になってから出かけるのだった。

母は夕食の支度(父と二人分だけにはなっていた)、風呂の掃除とお湯張りなど、夕方はとても忙しくしており、さらにそうした父の外出癖にも煩わされることになった。


昔から父は一人で外出することを好んだ。
私たち家族を連れてショッピングなど、よほどのことがない限りしなかった。

父の現役時代といえば、休みは日曜日だけ。
朝早くから夜遅くまで良く働いたと思う。

貴重な日曜の休みは体を休めることで精いっぱいだったのだろう。
私の記憶の父の日曜日は、朝から竹村健一のTV番組を見てのんびり過ごし、昼食を食べた後になって気が向けば家族を連れて買い物に出かけたことが、たまにあったというくらいだった。

夕方になっても買い物へ出かけないようなら、機嫌の悪くなり夕食の支度を始めようとする母を気遣ったのかどうかはわからないが、父は急に外食に出かけると言いだし家族に支度をするように仕向けた。

私たち子供は大喜びだったが、そうした予定の立たない父の気まぐれな行動にうんざりの母はいつも不機嫌な様子で腫物に触るような感じだった。

たまのせっかくの外食だったがロイヤル・ホストで見かける他の家族のように幸せいっぱいというような雰囲気ではなく、まるでお通夜のように誰も口を利かず、ただもくもくと各々のメニューを食べるだけだった。


ある日の夕方、妻から私の携帯に電話が入った。

『お義母さんから連絡いってない!?大変みたいだよ!』

確かに母からの連絡はあったが、会社から帰宅途中で運転中だった私は、着信に気が付きながらも折り返しはしていなかった。

ちょうど信号待ちだったので、妻からの着信はでることにした。
嫌な予感がしたからでもあった。

妻の話によると、その日も夕方になって自転車で外出をした父が2時間近く経っても帰宅していないとのことで、心配をした母が私に電話をいれたが出ないので妻に連絡をしたということだった。

時刻は既に19時近い。
私の心拍数が急激に上がるのが分かった。

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