見出し画像

SS⑤

僕とクワコはサークルの幹部をやっている。

サークルでは毎年3年生が会長、内務(実質の副会長)、会計、合宿、プロコンサートの担当をする。

会長はサークルの顔だ。
音楽活動でも先頭を切ってやっていくし、その腕前だけで後輩たちを引き連れていくカリスマ性も求められている。
ライバルの軽音楽部や他の大学サークルと合同のイベントを企画したり、招待されたり、自分のバンド活動以外も忙しい。
OB・OGがサークル室へ顔を出してくれる際の接待やライブをする際にお世話になっている音響会社、照明会社(どちらにもOBが務めている)との窓口でもある。どちらの会社からもアルバイトの依頼がよくあった。

アルバイトは1日で8000円ほど即金で頂けたから、月末近くの苦しい時の助けの神でもあった。
ただし、プロの業者の仕事は厳しい。
まとまった人数を出すために軽音楽部にも声をかけて一緒に働いた。
軽音の人気バンド『コーラル・ブルー』のギタリストのナスくんと親しくなったのはこの照明会社でのアルバイトがきっかけだった。

一浪で夜間部に入ってきた彼は、当初から頭角を現し活躍していた。
彼の作るヘヴィメタルの曲はリフも印象的だが、ギターソロもテクニカルでハーモニック・マイナースケールを駆使したシーケンスフレーズなどを僕は耳コピしてマネしたりした。

背が高く茶髪の長髪、トレードマークの赤いフライングVを引き倒すステージングは見るものを魅了した。
黒の革ジャンにタイトなジーンズ、ブーツ姿で学内を闊歩する彼は、いかにもロッカー然としていてカッコよかった。


内務(副会長)はサークル内部のまとめ役。
毎週のサークル全員出席の総会では、遅刻や無連絡の欠席などを厳しく叱責し、後輩からは恐れられる存在だ。
大人数でおこなうイベントや様々な役割分担をする上でこうした嫌われ役も必要だった。

僕は会計と合宿を兼任、クワコはプロコンサート担当だった。

会計はサークル費の集金と口座の管理、イベントごとの収支計算と会計報告の取りまとめ、イベント後の打ち上げの飲み会の手配や支払い、皆で使う機材の購入などをやっていた。
通常はもうひとり幹部を立てて、合宿担当にすべきだったのだがこの年幹部は4人だけだったから、全体の負担からすれば僕が合宿を兼任するしかなかった。

プロコンサートというのは、秋に行われる学園祭に呼ぶプロミュージシャンを招聘するという大役を大学側、そして学生自治会からうちのサークルが代々一任されていた。
大学との予算の打合せから、業者との間での呼べるプロの選定、ポスターの配布やチケットぴあでのチケット販売、ラジオや各種メディアでのプロモーションから当日の運営全般までを取り仕切る重要な役目だった。

前年の大学の設立五十周年の際には、大型予算が投入され『忌野清志郎』を呼ぶことができ、大勢の一般客が学生会館大ホールにあふれんばかりという凄まじい盛況だった。

その前年はプレイグスだった。これは玄人受けする骨太なロックバンドだったが一般的な知名度はそれほどなかったからチケットを軽音にもおすそわけできる余裕があった。

さすがに清志郎は軽音に渡せる余裕は一枚もなかった。
前売りで即売となり、軽音の友人のナスくんからは
『そこをなんとか、ホンマたのんます!』とお願いをされ、なんとかしたいのはヤマヤマだったが、でないものはでなかった。


当日ケータリングを担当した、短大生(市内の別の短大だが、先輩の妹の友達だったので特別にサークルの一員となっていた)のキミちゃんは、自分のベースに清志郎から直筆のサインをもらい一緒に記念撮影までしてもらい、涙を流して感激していた。

僕らがいつもライブをやっている同じホールに清志郎が立つ姿は、今でも僕の瞼の裏に焼き付いている。

そんな清志郎も今では鬼籍に入っていることに、時の流れを感じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?