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認知の父、心配の母⑧

母によれば、その頃の父は食後にお腹の痛みを訴えることがあったという。

ただ、しばらくすれば自然に治まっていたようで、まだらボケの父は医師の前ではそうした自分にとって不都合なことは忘れてしまっていた。

なにか言えば手術を受ける口実を与えてしまうと考えたのかもしれない。

かかりつけ医の診察に同席をしていた母から、痛みの原因として胆石の可能性が疑われた為、総合病院での検査を勧められた経緯を聞いていた。

病院や検査嫌いの父にとって、母の心配は有難迷惑な話だった。

そんな気の乗らない父を、母がなだめたりすかしたりしながらやっとの思いで検査までたどり着いたのだった。

しかし入院手術の説明の際、父の『手術をやりたくない』宣言によって全て無駄骨になってしまい、その結果が母の怒りとして現れた。


母がとった次の手は、そうした父への怒りをはっきりと示すものだった。

お酒を飲ませない。
それに食事療法の開始だった。

母がかかりつけ医に事の顛末の報告と併せて相談をしたうえで決めた。
ーこれまでは、父に対して甘かった。
 今後は徹底的にやる。
 そう決めた。

医師からも今後の為にも必要とアドバイスを受け、即日実行した。


結石があることは検査ではっきり分かったので、アルコールや脂肪分の多い食生活の見直しが必要だった。

母がそのことをはっきりと父に告げ、ご飯も玄米をまぜたものに変え、父の大好きなラーメンもダメ、当然お酒は禁止とした。

手術を拒否した以上しょうがないが、父が少しかわいそうにも思えた。
しかし、父の面倒を見るのは一緒に暮らす母だ。
反対する権利も資格もないように思い黙って母に協力することにした。

私ができることは、父の買ってきたウイスキー冷蔵庫に残っていた缶ビールを引き取って代わりに自宅で飲むことくらいだったのだが。


それでも父は母に隠れて深夜にこっそり酒を飲んでいた。

転倒して以降、自転車も乗ることができなくなったので歩いていける近所のスーパーや酒屋、コンビニへと母が忙しくなり目の届かなくなる夕方になると黙って出かけては自室にウィスキーの小瓶や缶のハイボール、つまみなどを隠し持つようになった。

かかりつけ医での血液検査の数値がおもったように改善していないことと、父の自室の大量の空き瓶で母に露見することとなった。

言うことを聞かない父への怒りはさらに高まった。
母のイライラは私にも向けられ、自然と私の足も実家から遠のいていった。


しばらくして、母から実家に来るように呼び出しの電話が入った。

ついに我慢できない痛みのでた父が観念し手術を受けることにするという。

再びの医師の説明、手術の同意書や入院の身元保証人への署名などを経て、全身麻酔の腹腔鏡による手術と併せ、父の生活改善指導や食事療法を含めて約一か月の入院となった。

この入院生活が次の段階へと進むきっかけとなった。

良くも悪くも。


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