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【 #エッセイ 】名訳現る/私の耳は貝のから
ジャン・コクトー
運良く安価で手に入れることができた、堀口大學の訳詩集『月下の一群』(新潮文庫版)をぺらぺらと眺めていた。
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ちゃっちいものだったからなくてもいいや
読み進めていると、ひとつの詩に目が留まる。
『耳』 ジャン・コクトー
私の耳は貝のから
海の響をなつかしむ
※引用にあたって、字体は一般的なものに
変更・統一している
おおっ! ものすごく有名なやつだ!
……恥ずかしながら、これがジャン・コクトーによって編まれた詩であることも、堀口大學の手による訳詩だったことも知らなかった。
それにしてもあまりにも美しい言葉だ。
どうやら多分に意訳を含んでいるらしい。
七五調の押韻も加えられ、軽やかなリズムを感じる。
正確ではないのかもしれないけど、私たちの心により残るように訳されている。
翻訳の妙というものを感じざるを得なかった。
たった2行の詩からイメージが膨らむ。
耳に貝がらをあて、浜辺に佇む(あるいは本当に貝がらの耳の人)。
そして潮騒を聴きながら追想に耽っている。
そんな情景だろうか。
何の貝がらなのかは書かれていないが、不思議と巻き貝を思い浮かべる。
波の打ち引きの様子やその音まで聞こえてくるようだ。
ああ、いいなぁ。
不意なる出会いに興奮して、この記事をしたため始めた次第である。
***
ここでああ、いいなぁで終わると短すぎるため、コクトーの『貝』が登場するまでのページで気に入っているものをいくつか紹介しておきたい。
ギヨーム・アポリネール
『刺殺された鳩と噴水』 ギィヨーム・アポリネール
刺殺されたやさしいおもかげよ
花のやうななつかしい唇よ
ミヤよ マレイーよ
イエットよ ロリーよ
アンニーよ さうしてお前 マリーよ
君等は今どこにゐるか
おお 若い娘たちよ
ああ それなのに
噴水のかたはらで
祈つたり泣いたりする
この鳩はうつとりする
そのかみの日の思ひ出よ
戦争に出た私の友達よ
眠る池水の中から
君達のまなざしが天へ吹き上(あが)り
次いでさびしげに落ちて来る
ブラックやマックス・ジャコブは何処にゐるか
夜明のやうな灰色の眼をしたアンドレ・ドランは何処にゐるか
レーナル ビリー ダリズ 達は何処にゐるか
寺院の中に鳴りわたる足音のやうな
その名を思ひ出すさへ心はくもる
志願したクレムニッツは何処にゐるか
今では皆が死んでゐるかも知れないのだ
ああ 思ひ出に私の心は一ぱいだ
ああ 噴水が私のなげきの上に泣く
戦争に出た彼等は北の方で戦つてゐる
夕ぐれがおりて来る おお 血のやうな海
戦の花 月桂樹(ラウリエ)がおびただしく血を流す
この液体の庭のなか
訳注・この詩、原作は鳩と噴水と池
の美しいカリグラムになつてゐる。
※引用にあたって、字体は一般的なものに
変更・統一している
こちらは『カリグラム』(1918年刊)という詩集に載っているものだ。
『アポリネール詩集』(堀口大學訳・編纂、新潮文庫)にも所収されていて、そちらではずいぶん訳に修正が加えられている。
機会があれば読み比べてみてほしい。
本来はカリグラム(文字の配置に凝った視覚詩)になっているようだ。
さて、ここでは引用したほうで話を進めよう。
この詩からはアポリネールが、人情にあふれた人物であることがひしひしと伝わってくる。
あるいは愛に飢えたさみしい人だ。
序盤に出てくる名前は交際したことのある女性であろう。
また戦争にかり出された友人達も名を連ねる。
彼らの安否を心配しつつ、もう二度と会えないかもしれないという恐怖におびえている。
平和の象徴である鳩は刺殺され「うっとりする」
『アポリネール詩集』では「失心する」となっているため、「うっとり」の解釈は難しい。
役目を終えた安堵によるものなのだろうか。
噴水が嘆きの上に泣き、庭に液体がたまっている。
血と液体、あるいは噴出のイメージがところどころに見られ、悲しみの奔出(あるいは落涙)と戦争の惨禍が詩的なアナロジーで結びつけられている。
なんだかこちらまで泣きそうになってくる。
何度読んでもそうなるのだ。
マックス・ジャコブ
『火事』 マックス・ジャコブ
火事は
展げた孔雀の尾の上に咲いた
一輪の薔薇ですね。
『地平線』 マックス・ジャコブ
彼女の白い腕が
私の地平線のすべてでした。
※引用にあたって、字体は一般的なものに
変更・統一している
『火事』
孔雀の尻尾を火事にたとえるとは!
火と孔雀の色はまったく違うけれど、孔雀の尾羽を広げる行為が求愛行動であることを鑑みれば、火事、そして(おそらく赤い)薔薇は恋い焦がれる情動を表現しているのではないだろうか。
『地平線』
これもすごいな……。
おそらくふたりは抱き合っている(いた)。
抱き合っている間だけ世界はふたりのものとなり、地球の地平線などなくなってしまうのだ。
***
これら2つの詩は、散文詩集『骰子筒(さいづつ)』(1917年刊)に所収されている『鶏と真珠』から抜き出されたものだ。
『鶏と真珠』は多くの断章を連ねるような形式で書かれているものであり、本来はそのひとつひとつにタイトルはない。
また『火事』と『地平線』と名付けられたそれらは隣り合った断章なのだが、『月下の一群』ではなぜか原文とは掲載の順番が反対になっている。
『鶏と真珠』を抄出したものが『フランス名詩選』(岩波文庫)にも載っている。
こちらも『地平線』と『火事』のふたつが抜き出されているという事実はたいへん興味深い。
なんでここだけ紹介したんだとずっと思っていたのだけど、堀口大學が取り上げたところだからそれに倣ったのだと思うと納得できた。
***
まあこんなところにしておこう。
近ごろは哲学書や思想書、芸術書を読むことが多いのだが、ずっと目を通しているとどうしても疲れる。
そんなときは詩集を読むと、身も心も安まる。
『月下の一群』にはまだまだ訳詩が載っている。
これからもゆっくり読んでいこう。
参考文献(刊行年順)
●『骰子筒 散文詩集』、マックス・ジャコブ作、北川冬彦訳、厚生閣書店、1934年
●『アポリネール詩集』、ギヨーム・アポリネール作、堀口大學訳、1954年(第十五刷改版)
●『月下の一群 堀口大學譯詩集』、堀口大學訳、新潮社、1955年
●『フランス名詩選』、安藤元雄・入沢康夫・渋沢孝輔編、岩波書店、1998年