同類が集まるインターンから見えたこと___将来に焦る必要ある?

この夏、インターンを焦って探す大学生が多かったのではないだろうか?

内定取り消しや募集人数減少に関するニュースが目に付くようになると、コロナが就活を困難なものにするという事実に多くの学生たちが自分の将来を心配し始めたに違いない。

それならば今からインターンをして内定に繋がるようにと就活に焦る学生が多くのインターンに応募したであろう。東京や大阪で行われることの多いインターンだが、今年に関してはオンラインにインターン形式を変更する企業も多く、地理的な格差が縮まることも相まって倍率が高くなったのではないかと思う。

そして大学3年の私も今夏、インターン探しに焦っていた。メディア関連の仕事に興味のある私は、テレビや新聞社、通信社をメインに情報を集めていたが、いくつかの企業に応募したものの選考結果が残念なものに終わった私は自信をなくし、志望する職業分野の幅を広げるべきかと悩み始めた。それと同時に、多くの企業が短期インターンの選考に二次面接を含んでいることに疑問を感じざるを得なかった。志望理由や、自分が過去にあげた成果等を書かせるエントリーシートの質問は、生半可な気持ちでインターンに参加する余地を学生に与えないのだ。もちろん、インターンは社会人体験であるため、学生気分や中途半端な態度で参加することがご法度なのは当然だが、どうにもこの凝り固まった就職活動の仕方に疑問を感じざるを得なかった。

どこかモヤモヤしたものを抱えながらも今年の夏、結局私は某メディアの一日インターンに参加した。実際、選考に通り対面式のインターンに参加することができたことで少しの自信が生じ、就職についてポジティブに考えられるようになっていた。どうやら私はとても単純なようだった。

そうして迎えたインターンの日。正直にいうと、どんな学生が同じ会社を目指しているのだろうという好奇心の方がインターンシップの内容に対する期待に勝っていたかもしれない。参加者がそれぞれ席に着く間、一足先に着席した私は配布された書類の中に参加者リストを見つけた。さっと目を通すと、似通った大学名がずらりと並んでいた。錚々たる大学名が並び、同じ大学名が連なることも容易くない。コロナ渦の夏休みだということもあるし、カタカナの大学名や地方の大学名もあるかと思ったが、カタカタは私のみだった。

参加者の自己紹介タイムが始まると、それぞれ学生活動やゼミ、あるいはボランティアやスタートアップなどを通して得た経験をすらすらと話しだす。経験豊富でキラキラした情熱を持って自己紹介する彼らを一人一人見つめながら、内心では自分の番になったら何を言うべきかと気を揉んでいた。正式な場で突然自己紹介を求められ、名前と大学以外に話すことが瞬時に思い浮かばなかった私は、もうその時点で他の就活生と何かが違っていた。(あえていうなら、趣味くらいか?と思っていたレベルである。)自己紹介を通して自分のアピールする、という就活生であるなら当たり前のことが、私の頭には一欠片も存在していなかったのだ。台本を読むかのように自己アピールが流れ出てくる他の参加者を見つめながら、この空気感をなぜか俯瞰的に見る私がいた。

私の番になると、緊張で震える手でマイクを持った私は自分の大学で学んでいることを中心に自己紹介を始めた。私は他の参加者のように、いわゆる意識高い系のゼミに参加していない。参加者の中には外交官養成ゼミなるものに参加するなどしていて、両手を上げて大学生活を楽しんでしまっている私からすると、他の参加者の自己紹介は驚きの連続だった。そうして少々怖気付きながらも、私は胸を張って自己紹介をした。ロンドンにいるからこそ学ぶことのできるイギリスの文化や政治、社会運動、歴史などを時間をかけて学んでいること。肌で人種や地域格差、社会階級格差などを感じ、自分の価値観や考え方が大きな影響を受けたこと。イギリスと日本を常に比較しながら両方の良さ、惜しいところなどをひしひしと感じていること。そしてイギリスでできた友達から将来に対する考え方について大きな影響を受けたこと。日本にいたら感じることのなかった感情を、私はイギリスで感じることができるようになったのだ。そんなことを頭に思い浮かべながら表面的な自己紹介をした私は、マイクを下ろした瞬間、なんとも言えない自己肯定感を自分に感じていた。他の人とは違うところで、30度ほど違うベクトルで少しずつ成長している自分に安堵し、誇りに思った。

インターン自体はとても充実していて、某メディアに就職したいと本気で思うようになった。その一方で、インターンに参加している学生たちのほとんどが、都内の優秀な大学から参加していることに違和感を感じた。それと同時に、似通った背景を持った人々がメディアを牽引している様子を目の当たりにし、少々懸念を抱いた。オーウェン・ジョーンズ著、「チャヴズ」内で言及されているイギリスメディアの中流階級化との類似性を感じざるを得なかった。

インターンを重視する学生、そしてインターンに受かる学生、内定を獲得する学生、就活を準備立ててする学生…。どの学生も将来に対する考えが固定化しているように感じる。その背景には、ただ流れに流され、楽しく今を生きることが不安定要素であり、”負け組”(個人的にこの言葉が嫌いだ)であるという価値観を多くの学生が持っていることにある。私はこの夏、そんな固定化された考えに焦らされ、不安を募らせられ、違和感を感じ、懸念を感じた。今を楽しむ。今を生きる。それの何が悪いのだろうか。方向が一つ定まっていれさえすれば、そんなに焦ることもないのではないだろうか。逆に言えば、人生一度きりの20代を目一杯楽しむことをせず、悩むことに浪費することほどもったいないことはないと思う。私はこの夏、将来について焦ったことで「今を楽しく生きる」という結論を得た。


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