ココルームの日々
呱々の声 釜芸関係者編 「わたしと釜ヶ崎芸術大学(ココルーム)」 釜ヶ崎芸術大学に様々な形で様々に関わる人に話を聞いて、あらためて釜芸とはなんなのか、みなで考えてみたい、とはじまった企画です。ココルームがはじまって20年、釜芸が開校して10年、ですがまずは現在に関わる人に話を聞きながら、これからの釜芸を見渡したいと考えています。 過去や現在に触れながらも、みながそれぞれの考える未来を展望する—そんな場所になることを願っています。
釜ヶ崎芸術大学にまつわるコラムです。 執筆者は、上田假奈代(詩人)、永井玲衣(哲学)など。
毎日が人生劇場、ココルームの日々をほぼ毎日、Facebookで投稿しているココルーム日記(ココ日)。ココ日が一番はじめに投稿されたのは2021年11月のこと。それから5ヶ月経った2022年3月、今まで投稿されてきたココ日をアーカイブするために少しずつ投稿します。
#02 それってアートだよね。だから。江藤まちこ アートとは?という問いは、陳腐なほどに永遠の命題である。学生時代は芸術学を選んで勉強していた。社会人になる頃にはバブルは崩壊していて、とにかく手に職をつけようと凝り固まって昼も夜も休日も働き、アートに対しては長年鑑賞者でいた。でも、好きだった。2015年に家族の都合で東京へ移ることになり、すわチャンスと、アート現場の担い手を育成する学校に通った。運営したり表現する側に、アートの関わり方が拡がった。数年前、20代の頃に通ってい
永井玲衣 伊藤さんはふらりとやってくる。 そして、ふらりといなくなる。 わたしは伊藤さんを思い出すときはいつも、さりげなく去っていくその背中を目に浮かべる。 からから笑って、細くてきれいな手を振って、ふらりといなくなってしまう。伊藤さんはどこへ行くのだろう。 ―わたしも最初会ったとき、厳しい、厳しいの、社会とか誰も信用せえへん顔をしてるわっていうのはもちろんわかったし。 でもほぐれていくところを、伊藤さんは通ってくれたというか、関わってくれたから、こうして付き合いがつづい
永井玲衣 ―チラシもらったのね。それまたすごいことですよね。綺麗なひとがね、和服姿だったんだけど、綺麗だったんです。あらあ、えらい綺麗なひとがなあ、来たんだなって。チラシをもらって、これ行ってみようっていうのがきっかけですよ。 坂下さんはのっそり、のっそりやってきた。杖をついて、緑色のマスクをして、するりとわたしの隣に座って、昨日あったできごとを話すみたいに、釜芸のことについて語りだした。 名前の知らない葉っぱが生い茂るジャングルのような庭の奥にある小部屋で、わたしたちは
上田假奈代 10年。 水はあまねく下の方へ、流れる。 もっとも、低いところへ。 なにかが堰き止めたとしても、ゆっくりといつのまにか、下へ。 汗やなみだ、痰、つば、小便も、雨や結露、雪。 埃や枯葉、ことばも、いっしょに流れていった。 釜ヶ崎芸術大学は、水のように流れていった。10年。 はじまりは、釜ヶ崎で教わった 大阪市西成区通称釜ヶ崎、動物園前商店街にココルームが拠点を移したのは2008年1月。喫茶店のふりをしているココルームに元日雇い労働者の地域住人・おじさんたちが
#01 「弱さ」を抱えて、生きる中山博晶 「教授*¹はなんでかまぷーに入ろうと思ったの?」 今回の「わたしと釜芸」を始めるにあたって話し合いをしていたとき、突然私に話がふられた。 「調査のためですよ」と冗談っぽく話していたが、内心そういえば同じようなことを聞かれたことがあったなと、釜芸で初めてインターンをした日のことを思い出していた。 その日、私は常連客から「なぜ釜ヶ崎に来たの?」と質問攻めにあっていた。長々と研究関心を話しても「なぜ」「どうして」と切り返される。彼は、
今日のココイチ(ココルームの一枚) 自家製ジンジャーエールシロップを作りましたー♪ 明日から550円で飲めるよー♪ おいしーよー!
今日のココ日(ココルーム日記) ひと月ほど前、釜芸のバザーにやってきた二体のドール。 見る人が見たら「いいもん」と分かるらしいが、しばらくの間売れずにいた。 時には帽子が行方不明になり、時には一体が無料コーナーに入っていたりと、その都度ピンチはあったが、スタッフたちのケアもあり、二体はこの一ヶ月仲良く揃ってバザーの箱に入っていた。 昨日の夜、閉店作業中に店先からスタッフしょうゆちゃんの声が聞こえてきた。 誰かに話しかけているようだが、他に人は見えない。 僕は少し気
今日のココ日(ココルーム日記) 今日はかなよさんの娘さんがお墓参りに行きたいというので、急遽お店をお客さんとして来ていたココルームの理事やお料理ボランティアのケエコさんにお任せして(笑)、かなよさん以下スタッフ全員で阿倍野にある大阪市設南霊園に向かった。 南霊園には、釜ヶ崎で亡くなった身寄りのない人たちの遺骨が納められている慰霊碑がある。 かなよさんによると、孤独死したり、亡くなった後、一年間引き取り手がいない遺骨はここにやって来るのだという。 雨の合間を縫って墓地に
今日のココ日(ココルーム日記) スタッフのふーゆちゃんがコロナから復帰して数日たった。 釜芸に来る常連さんたちも、「あー、ふーゆちゃん!おかえりー!」と嬉しそうだ。 ふーゆちゃんは相変わらずふわふわした笑い声で楽しそうに働いていて、見ている僕も楽しくなる。 復帰初日の朝、テラスからいきなりふーゆちゃんの笑い声が聞こえてきた。 「なになに?」 僕が見に行くと、「なんか見つめ合ってる」と並んで置いてあった扇風機を指差した。 二台の扇風機の首振りのタイミングがぴったり
今日のココ日(ココルーム日記) 今日の午後にお客さんとしてやってきた大学院生さん。 ココルームの活動に興味があり、釜芸でインターンをやってみたいと言ってくれた。 さっそく夜のまかないご飯の準備を手伝ってもらう。 武道をずっとやっているという院生さん。 大学になって始めた合気道は現在二段の腕前らしい。 それを横で聞いていた釜ヶ崎の伝説の活動家・ミノルちゃんが目を輝かせて言った。 「俺小さい頃からずっと合気道やりたかったんだよ!周りに教えてるところが無くてなぁ、諦め
今日のココ日(ココルーム日記) コロナになってしまって二週間自宅待機していた、今日は久々の出勤。 ココルームの1日は二週間の自宅待機期間をさらってしまうほど、やっぱり濃い! 掃除、開店準備からのラジオ体操だけで、なまった体がひーひーいう。そうそう、これこれと思い出す感覚。ラジオ体操の常連のたけちゃんとのいつものおしゃべり、スタッフのげんちゃんの創作料理、テンギョーさんの淹れてくれたコーヒー、ココルーム初来店でびっくりしている人たちの顔、みんなで囲むごはん、誕生日の人を祝うハ
今日のココ日(ココルーム日記) ワシントン大学准教授でアジア文化研究者・日本語研究者のジャスティン。 ココルームの活動に興味を持って、ここ数年は假奈代さんの論文を英訳したり、ココルームの英語版YouTubeラジオに登場するなど、友情を育んできた。 かつて、取材も大してしていないある海外の研究者が「影響力は小さいが、ココルームは釜ヶ崎のジェントリフィケーションに加担している」という内容の心無い記事を論文の中で発表した時には、ジャスティンがいち早く假奈代さんにその旨を知らせ
今日のココ日(ココルーム日記) 釜ヶ崎の夏まつりが終了して二日が経つが、ココルームのスタッフは僕を含めみんな体力的に回復し切っておらず、釜芸合唱部のリーダーとして大活躍を見せたゲンちゃんも疲れのあまり早退することに。 それでも二年ぶりにステージが復活した夏まつりは、僕たちココルームのスタッフにとっても思い出深いものとなっている。 僕はカフェやゲストハウスを回すために夏まつりのイベントには殆ど参加しなかったが、最終日の釜芸がやっている書道のブースに行った時のことが印象に残
釜ヶ崎夏祭り最終日。 釜ヶ崎芸術大学合唱部は3年ぶりのステージで熱唱。夏祭りの繁忙期、スタッフは仲間たちの助けをもらいながら、頑張りました。僕は初めての合唱部で、すべての力を使い果たし、三角公園から釜芸ってこんなに遠かったっけ?と思うほど、灰になりました笑 それでも、今夜は後期の釜芸がどんなことをやるのかスタッフ会議がありました。 疲労困憊なんだけど、次のことを決める会議はなんだかワクワクする。別の体力のスイッチが入る。不思議だ。かまぷーのみんながいるしね。 写真は会
今日のココ日(ココルーム日記) "古老は語る" 釜ヶ崎夏祭り1日目。 釜芸はお昼過ぎから書のコーナーを開いている。 3年ぶりの開催となった今年の夏祭りは、新型コロナの急拡大により規模が縮小になった。 お祭りの出店がなく、ステージイベントも夕方からになり、例年と比べて物寂しい雰囲気の漂う三角公園。でもその分中央に建てられた櫓と慰霊祭の飾りが際立っていた。 テント下で書のコーナーを始めると、地域の人たちは物珍しそうにこちらを覗いてくる。 「こんにちは。一筆どうですか
今日のココイチ(ココルームの一枚) 木々が生い茂った釜芸の庭。 テラスからコンポストへの道の途中で、バナナとイチジクの葉っぱがあいさつを交わしていた。