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5 学びあいたい人が集まれば、そこが大学—釜ヶ崎芸術大学

 2011年頃から、喫茶店のある商店街を歩く人が減り、高齢化が加速したことを実感しました。おじさんたちの行動範囲がどんどん狭くなっているようでした。2012年から、まちを大学に見立て「釜ヶ崎芸術大学」(以下、釜芸)をはじめました。地域のなかにある施設を会場に講座を出前します。炊き出しをしていた施設、野宿の人たちの居場所となっている施設、アルコールの問題に取り組む教会の施設などを会場にお借りしたのは、おじさんたちの馴染みのある施設だから。哲学や音楽、ダンス、天文学、詩、ガムラン、お笑いなど、多彩な講座を開催しています。超一流の先生と釜ヶ崎の人々、そして地域外からもさまざまな人が出会い、お互いに学び合う場・釜ヶ崎芸術大学をつくりました。参加は無料(カンパ歓迎)。一回だけの参加も可能です。釜芸はココルームの場づくりを基本理念としながら、単年度の助成金を下支えに参加費無料、カンパ歓迎で運営しています。今では大学院もあり、年間100講座程を開催。助成金として財団から年間100万〜200万円程を得て、開催しているため、採択されなかった場合の運用についても考えなくてはなりません。
釜芸が「ヨコハマトリエンナーレ2014」に招聘され、ココルームの店内を移築したような展示を行いました。その後、台湾や群馬のアーツ前橋など、いくつかの展覧会に招かれています。

 ヨコトリへの参加の覚悟として、どう見られるのか?という不安がありました。これまで、わたしに向かって「偽善者だ」と言う人もありました。「困った貧乏な人たちに関わるより、じぶんの作品を作りなさい」と言われたこともあります。いちばん多かった批判は芸術の「質」の問題です。釜ヶ崎の人たち・表現の訓練を重ねてきていない人たちの表現は質が低い、と言うわけです。表現の訓練のできるような環境に生育しなかった人たちに対して、配慮のないことばと思いますが、アカデミズムのなかでもこうした表現を支える言説はありませんでした。「アールブリュット」というジャンルもありますが、日本では「障がい者のアート」、「卓越した表現のこだわり」と捉えられることが多く、ここに入れられることはほぼありません。だから、ココルームでは活動の節目節目にじぶんたちでことばを紡ぎ、業界を問わず対話者をさがしてきました。そして、わたしは批判されることも覚悟しました。しかし、誰がなんと言おうとわたしは、これらのおじさんたちの表現が好きだと言い続けようと、開き直ったのです。その気持ちの現れとして、作品未満のものたち、メモの紙切れや手紙、差し入れられた新聞記事、落ち込んだときに読んだ原稿、落書きのような絵などを圧倒的物量で展開しました。展示を手伝ってくれた人たちが、ゴミか展示するものかどちらかわからなかったという感想を持つくらいのごちゃまぜでした。そしてその見せ方は潔いものでもあったので、ある種の突き抜けてゆく感覚があり、鑑賞してくださった方々がいまでも「ヨコトリで見て興味をもって、いつか訪ねたかった」と言って、ココルームに足を運んでくれます。


現在、ココルームはピンチに直面しています。ゲストハウスとカフェのふりをして、であいと表現の場を開いてきましたが、活動の経営基盤の宿泊業はほぼキャンセル。カフェのお客さんもぐんと減って95%の減収です。こえとことばとこころの部屋を開きつづけたい。お気持ち、サポートをお願いしています