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言葉なんか、忘れさせて


性の欲する生き方がなんなのか、記事を書こうと思って、下書きがとっ散らかってしまった。

綺麗な気持ちだけを掬って描こうとすると、なんか、リアリティーがない。嘘くさい。

かと言って、事実をありのまま描いてみようとしても、それを公にしたくはない、わたしだけの大切な秘密、心の聖域にしておかなければ、わたしが癒されないし満たされない。

そんな気持ちが溢れては萎んで、その繰り返しで、違った表現で描いたふたつの下書きを、行ったり来たり。

やっぱり出せない。これを目に見えるカタチにして残してしまったら、わたしがわたしでなくなってしまう。

わたしが今しようとしていたことは、行間を言葉で埋め尽くそうとする行為だった。

行間は行間のままで、空白、空間として存在させておきたい。

そこになんとなく流れ込むもののまま、色づくがままに、漂わせておきたい。

あぁ、そっか、これがわたしの性が欲しているもの、魂からの答えなんだって、なんかわかった気がした。

何かを無理にカタチにしようとするのではなくて、溢れるまま、流れるまま、辿り着いた先でもカタチにならないまま、カタチなきカタチを変えながら、息づいていたい。

わたしの心は自由なのです。

心が惹かれるものの元へ、これからもただ流れていきたいだけなのです。

何かこれと言ったカタチを望んでいるわけではないのです。

欲するものに素直でいたい。

官能的でいたい。

恍惚を感じたい。

裸になりたい。

気持ちよくなりたい。


性の望みって、多分そんな感じだよね。


じゃあ現実的にどうするの?


それは自分の心と身体が動くから、多分自然と必要な体験のもとへ運ばれていく。そこで意地張ったり、怖がったり縛られていたりしなければね。


やっと、納得いく言葉が並んで、肩の荷がおりました。

秘密が好き。聖域が好き。何にも誰にも触れられたくない。

自分の心を本当に満たしてくれるものは、表には出てこない。

言葉にならない。

言葉にできない。

だから、わたしは、これからも、ただ、行間に溢れんばかりの愛を込めて、言葉を綴ります。

わたしの愛の成分は、せつなさでできているので、少し翳りがあります。

でもそれがわたしの色であり個性です。

人間として生まれてくるときに選んだ個性。

どうせ死んだら、みんな透明で、きらきらで、影なしなんだよ。

少しの影は、いろんな奥行きを楽しませてくれる。

太陽の日もあれば、雨の日もある。

雪の日もあれば、嵐の日もある。

そして雲は流れる。


わたしは自然。


喜怒哀楽を抱きしめて、今日も生きる。

そう思ったら、身体がうれしそうに笑った。

いろんな人がいるから、楽しい。

あなたの苦しみを教えてくれてありがとう。

生きる気力が湧いてくる。

苦しんで苦しんで、ここまできたあなたがほんとうに大好きです。

苦しみは、素敵なものしかくれないから、安心して苦しんでね。


なんだか、思いもよらぬところへ、着地してしまいましたが、描こうとしなければ、スマホに触れる指は自然と動く。


生き方も感じ方も、素敵だと思える人もものも、人それぞれだから、わたしはわたしの性が欲するものとともに、ただ、流れこむまま、色づくままに。


久しぶりに奥深くから揺さぶられた歌。

命がけで歩んできた軌跡を感じる。

美しいって、歪だね。

そういう人の表現が好きです。



言葉なんか、忘れさせて。


宇多田ヒカル featuring  KOHH   『忘却』



影は、カタチあるものの宿命。

光は、何にも侵されない聖域。




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