対話を届け、声を伝えるプロジェクト   つむぎ

ソーシャルワーカー|精神保健福祉士・社会福祉士・ジョブコーチ|単著「ひきこもりでいいみ…

対話を届け、声を伝えるプロジェクト   つむぎ

ソーシャルワーカー|精神保健福祉士・社会福祉士・ジョブコーチ|単著「ひきこもりでいいみたい」「ふすまのむこうがわ」共著「ソーシャルワーカーになりたい」|「ソーシャルワーカーのミカタ」(生活書院)発刊|環境と折り合うことに悩む人たちの話を聴いています

マガジン

  • ステイホームーコロナに揺れる、ひきこもごもな生活ー

    コロナ渦のひきこもりについて、支援の現場から見えてきたことについて報告します。

  • ソーシャルワークのまなびかたー原因と結果のあいだの話―(仮)

    原因と結果の話が溢れ、それを繋ぐ話が抜けている。そんな問題意識から、関わってきた事例のプロセスを紹介し、改めてソーシャルワークを考え、まなぶ機会になれたら良いなと思います。

最近の記事

  • 固定された記事

ひきこもり女性(家族を含む)の声を集めています。

 声を集める。そんな想いから始めた取り組み「つむぎ」。 対話を届け、声を伝えるプロジェクト~つむぎ~|やまひぽ 山梨県ひきこもり情報ポータルサイト (yamahipo.net)  相談室でもなければ、自宅でもない、第三の選択肢。そんな考えで始めました。始めてみて、①連絡をしてくるのは家族、②家族は本人と話ができず、対話の場に本人を招くことができず、家族だけの話を希望、③本人からの連絡はあるものの、第三者が対話に入ることに対する不安が強く、家族同様に本人だけの話を希望、④

    • 高年齢の未婚の女性がひきこもりに至るプロセス 

      ひきこもりは男性の問題とされてきた。これまで、国は3回の実態調査を実施している。2016年に実施された初めての調査では、15歳から39歳が対象とされ、37%が女性との結果が示された。ただ、分析対象として「家事手伝い・専業主婦」を除外していたことから、ひきこもり女子会を運営する「ひきこもりUX会議」は、内閣府の調査結果を受け、2017年にひきこもり女性を対象にインターネット等を通じた調査を実施し、回答者369名のうち、4分の1が既婚者だったとの結果を報告した。  また、ひき

      • 過去でも、未来でもなく、今

         ひきこもり支援を行い、これまでの支援を文章にまとめるに辺り、私の中で浮かんだキーワードは「今」でした。「今」という単語が浮かんだ理由は2つありました。  一つは、ひきこもり支援を通して私自身が感じたことに由来します。ひきこもりの相談に訪れるのは多くは家族。なかでも母親。これまで本人に関わってきたものの、上手くいかず。キッカケを受け、私のところに来ます。キッカケとは何かといえば、親の退職、失業、病気など。それをキッカケにこのままでは将来が困るとの思いから相談にきます。家族が

        • 何もしないことに頑張る日々

           「何もしない」、それが本当は難しい。支援者という職業を選ぶ人は、基本はおせっかい。世話を焼き、相手の状態が良くなることに喜びを感じる傾向があります。それが一方的になり、大きなお世話になることもありますが、支援者は何かをすることに価値を求める。でも、私はひきこもり支援を本格的に行うようになり、何もしないことに価値を求めるようになりました。どういうことだろう?以下、一人の男性との関わりから見ていきたいと思います。  男性は30代。高校を卒業後、人との関係に苦手さを感じ、自宅に

        • 固定された記事

        ひきこもり女性(家族を含む)の声を集めています。

        マガジン

        • ステイホームーコロナに揺れる、ひきこもごもな生活ー
          6本
        • ソーシャルワークのまなびかたー原因と結果のあいだの話―(仮)
          5本

        記事

          子どものミカタ~ 不登校 ~

           不登校、30万人。そんなニュースが今年、流れた。増え続ける不登校。少子化で子どもの数が減っているのに、不登校は増える。何が起こっているのだろう?  不登校が問題が指摘されると、その原因がまず言われる。最初に言われるのは「いじめ」次は本人の問題。無気力など、精神的、心理的な問題が言われる。そして、家庭の問題。最近ではヤングケアラーが言われたりもする。  原因が言われると、対策が言われ、登校を勧奨せず、待つことが大事と言われる。自治体の対策としては、カウンセラーやソーシャルワー

          対話を届け、声を伝えるプロジェクト~つむぎ~ 親子って・・

           親子。親であること、子どもであることに私たちはどこか特別な価値を、意味を込めてしまう。込めたくなってしまう。「親だから・・」、「子どもだから・・」と話すことで、起きている出来事を正当化してしまう。責任をそこに求めてしまう。親子の絆という言葉に象徴されるように、それは素敵なところもあるのかもしれない。でも、それによって親、子どもの行動が制約されること、重圧になることもある。  この1か月、50代の息子又は娘と一緒に暮らす母親からの相談が増加している。今までも相談はあった。で

          対話を届け、声を伝えるプロジェクト~つむぎ~ 親子って・・

          支援しないことが支援になる

           11月25日、山梨県笛吹市で講演会を開催した。タイトルは「生きづらさの声でつむぐ ラジオとくるま」。事前に「生きづらさ」をテーマにメッセージを募集。講演会はNHKの栗原アナウンサーとともに、メッセージを紹介しながら、感じたことを話していくというもの。  メッセージは、細かく指定せず、「生きづらさ」というテーマだけで募集しました。取り上げるメッセージも順番は決めず、ランダムに。メッセージを受け、話す内容も決めず、その場で感じたことを話す形にしました。講演会でありがちな事前の決

          「生きづらさの声でつむぐ ラジオとくるま」

           11月25日(土)、山梨県笛吹市で講演会「生きづらさの声でつむぐ ラジオとくるま」を開催しました。事前申込で130名ほど。当日はそれよりも多い方の参加がありました。申込時に「生きづらさ」のメッセージを募集。27件のメッセージが寄せられました。開催前、募集しても集まらないのでは?との予想は良い意味で外れました。  講演会は2時間。講師で招いた「みんなでひきこもりラジオ」のMCである栗原アナより、ひきこもりラジオの内容、ラジオを始めたことで起きた変化などの話を前半でして頂き、途

          「生きづらさの声でつむぐ ラジオとくるま」

          「それでも、ソーシャルワーカーになりたくて(仮)」第3回

           毎朝、病院から貸与されたPHSの電源を入れると、すぐにアカネさんの病棟から電話が入る。表示される病棟名。「またか・・」と電話に出て、「B病棟の田中です。アカネさんから面接希望が出ています。午前中は作業療法が入っているので、午後が良いかもしれません」との話を聞き、「分かりました」と返事。それがルーティンのように続きました。アカネさんの話は、「家族と連絡が取れましたか?」から始まり、「まだ取れていません」と返事をすると、これまで家族との関係でどれだけ苦労してきたのかの話をアカネ

          「それでも、ソーシャルワーカーになりたくて(仮)」第3回

          「それでも、ソーシャルワーカーになりたくて(仮)」第2回

           本棚の前に立ってみると、自分自身が何に関心を持ってきたのかが分かります。今回、改めて本棚に並ぶ本を見ながら、影響を受けた本を探してみたところ、1冊の本のタイトルに目が止まりました。尾崎新さんが編集した「「ゆらぐ」ことができる力―ゆらぎと社会福祉実践」。読んだのは精神科病院に就職した頃でした。埃を少し被った本には、細長い黄色の付箋が付けられ、付箋部分を開けてみると、その当時の私が気になったところに線が引かれていました。  最初の付箋が貼られたところを開いてみました。「「ゆら

          「それでも、ソーシャルワーカーになりたくて(仮)」第2回

          「それでも、ソーシャルワーカーになりたくて」

           ソーシャルワーカーになりたくて。私は福祉の大学に行きました。ソーシャルワーカーになりたくて。社会福祉士、精神保健福祉士の資格を取得しました。ソーシャルワーカーになりたくて。精神科病院などに就職し、仕事をしてきました。でも、私はソーシャルワーカーになれたとは思えませんでした。正直に話せば、今も思えていません。どうすれば、ソーシャルワーカーになれるのだろう?なれたと思えるのだろう?もしかしたら、なれたとは思えないのだろうか?など、様々な思いが浮かんできました。  2020年、私

          「それでも、ソーシャルワーカーになりたくて」

          ひきこもり支援 ~本人と家族は別~ 

           ひきこもり。本人から話を聞く。自分の状況を家族が理解しない。家族の心配ばかり自分に話される。早く自立しろと言われる。家族から紹介された相談機関に話をしても、外に出ること、何かすることを促される。自分の辛さを周りは聞こうとしない。そう話す。  家族から話を聞く。本人は家族の状況を理解しない。自分の辛さばかりを話す。家族なのだから、協力するのが当たり前。ここは自分の家なのだから、居ても良い。そう言われる。知り合いに紹介され、相談機関に行くと、家族の対応が良くない、本人が動くまで

          ひきこもり支援 ~本人と家族は別~ 

          特別なものはいらない。

           ひきこもり支援。相談窓口が設置される。プログラムが用意される。本人が通える場所が作られる・・。本人の状況に合わせてとの話と共に、特別なものが作られる。相談員に対しても、ひきこもりの気持ちが分かる人が良いと希望する家族も多い。でも、本当に特別なものは必要なのだろうか?特別なものを作り、それに乗れる人はどれくらいいるのだろうか?ひきこもりの状況を理解して作られたはずの居場所に、あまり人が来ない、来ても同じ人しか来ないとの話を聞く。特別なものは特別な人しか利用できないものになって

          支援の目標は、支援がいらなくなること

           支援という言葉が嫌い。支援という言葉が持つ良いことをしているという響きが嫌い。支援をしている人は、良いことをしている人であり、その人がすることが正しいという捉え方をされていそうで嫌い。  家族がいつまでも家族をするように、支援をしている人はいつまでも支援をしたがる。自分たちの関与が残るように動く。支援は魔物。している方はそれで満足感を得て、それをすることが自身の存在証明になってしまう。  親が親をしている間は、子どもは子どものままであるのと同じように、支援者がいつまでも支援

          支援の目標は、支援がいらなくなること

          家族は支援者ではなく、家族。

           ひきこもり支援。家族支援が大事と言われる。本人は自ら相談に来ない。一緒に暮らす家族が心配し、相談に訪れる。家族を支えることが本人を支えることになる。そんな考えから、そう言われる。  その話の中で、家族は本人の身近にいる支援者、家族がまず本人の支援者になる必要があるとの話に出会う。私はそこに違和感を感じる。  家族は支援者なのだろうか?自身に置き換えた時、家族のことを支援者だと思ったことはあるだろうか?私はない。なぜなら、家族は家族以外ではないから。  家族が支援者になった場

          過去から今、そして未来 ~ 自分の立ち位置を改めて考える

           令和5年9月29日、県内で開催された「ひきこもり支援市民講座」に参加しました。講師は白梅学園大学の長谷川俊雄先生。先生の話を聞くのは4回目。先生の話は毎回、実践を振り返る、自己と対話する大事な時間だと感じています。  ただ、今回それと共に、私自身の変化を感じました。先生の話を聞いたのは・・。ふと、そんなことを思いました。先生の話を初めて聞いたのは7年前。その当時、所属していた機関が主催する研修会に先生を招きました。  私はひきこもり支援に取り組み始めて4年目。私は、先生

          過去から今、そして未来 ~ 自分の立ち位置を改めて考える