見出し画像

芦沢さんとぼく(仮) 第3話 強い人になりたいです。

 評価をしない。計画を立てない。ただ、関係を築く。先輩の芦沢さんはそう言っていた。関係を築くことが大切なのは分かる。でも、それで私は何をするのだろう?評価もしない。計画も立てない。何のために私はいるのだろう?芦沢さんが言っていたことが繰り返し、私の頭の中を回るが、私にはよく分からなかった。芦沢さんは何をしたいのだろう?

 チャットでトラブルになっていた飯塚哲也さん(仮名)は変わらず、芦沢さんのところに来ていた。内容は、変わらずチャット内でのトラブル。チャット内で使用されているハンドルネームを言い、あの人からこう言われた。この人がこんな返事をしてきた。哲也さんはチャット内で起こったことを芦沢さんに報告していた。芦沢さんはそれに対して、「そんなことがあったんだね」と返し、聴いていた。トラブルになっているのであれば止めれば良いのに。哲也さんは止めない。芦沢さんも止めた方が良いと考えると思うのに、そのことを哲也さんに言わない。チャット内での会話を話題に繰り返し行われる会話に何の意味があるのだろう?無駄な時間のように私は感じた。そのような話題が続いたあと、芦沢さんが哲也さんに今後について聞いた。

 「哲也さんは高校に行っていますが、卒業後の目標はありますか?」
 「目標ですか・・」
 「目標と言うと難しく感じますが、どのような人になりたいですか?
 「僕は強い人になりたいです」
 「強い人?どういうことかもう少し教えてもらえますか?」
 「人のことを守れる人になりたいです」
 「人のことを守れるとは、具体的にはどのようなことをイメージしていますか?」
 「弱い者イジメをされている人がいたら、間に入って、助けられる人になりたいです」
 「哲也さんは優しい人ですね」
 「ありがとうございます」
 「人を助けられるように、何かしようと思っていますか?」
 「今、道場に通っています」
 「道場?どのような道場ですか?」
 「空手です」
 「いつから通っているんですか?」
 「先月からです」
 「先月。急に通おうと思ったんですか?」
 「チャット内でイジメる奴がいて、僕以外に僕が仲良くしている人にも悪口を言うので、助けてやりたいと思いました」
 「そうですか。空手は続けられそうですか?」
 「大変ですが、頑張ります。・・芦沢さん」
 「はい」
 「体力づくりを手伝ってください」
 「体力づくり・・どういう内容ですか?」
 「空手をやるにしても、基礎体力が必要です」
 「はい」
 「そのために、走っています」
 「走っている。そのくらいの距離ですか」
 「5キロです」
 「すごいですね」
 「ありがとうございます。あと、プロテインも飲んでいます」
 「そうですか」
 「走っていますが、持久力がつきません。どうすれば、持久力がつけられるか、教えてください」
 「持久力ですか・・・」

 どんな面接なんだろう。私たちの仕事は精神保健福祉相談。チャットや体力づくりの相談を受ける仕事ではない。私はそう思った。この場所はそのような話をするところではない。そう哲也さんに返すのが普通だと思った

 「持久力ですか?私は日常的に運動をしていないので、どうすれば良いか、分かりません。でも、哲也さんは今、それが気になっているのですね」
 「はい」
 「私には分かりませんが、障害者スポーツをしている団体があります。そこには指導員もいると思うので、聞いてみましょうか?」
 「はい」
 「聞いて、教えてくれると言われたら、どうしますか?」
 「行きたいです」
 「分かりました。私の方で団体に連絡を入れ、話をしてみます。その結果を哲也さんに連絡すれば良いですか?」
 「お願いします」
 「分かりました。では、今日はこのぐらいにしましょうか?」
 「はい」

 芦沢さんはこれまで通り、哲也さんの話に乗っていた。いつまで続けるのだろう?私は哲也さんを見送ったあとに、芦沢さんに聞いてみた。
 「芦沢さん、一つ聞いても良いですか?」
 「はい」
 「今日、哲也さんから持久力の話がありましたが、なぜその話に乗ったのですか?」
 「哲也さんが気になっていたからです」
 「気になっていたら、持久力以外の話でも芦沢さんは乗るのですか?」
 「乗れる話であれば、乗りたいなと思います」
 「乗ってどうするのですか?」
 「どういうことですか?」
 「持久力の話が出て、障害者スポーツ団体に連絡し、一緒に練習ができれば練習との話になりましたが、芦沢さんは哲也さんにそれができると思いますか?」
 「それは私が決めることではないですね。田中さんはどう思いますか?」
 「私はできないと思います」
 「できない理由は何ですか?」
 「高校の課題も自分ではできない。長く続けることが苦手な哲也さんが続けられるとは思えません」
 「そうですか」
 「続けられないのに、やる意味はあるのですか?」
 「やる意味を私は考えないです」
 「また・・やってみて、ダメだった場合はどうするのですか?」
 「ダメだったというのが分かり、その上でどうするのかを哲也さんと一緒に考えます」
 「私たちは何でも屋ではありません。哲也さんが言うことに振り回されてはいけないと思います」
 「田中さんは私が哲也さんに振り回されていると見ているのですか?」
 「はい。そう思います」
 「田中さんはどうしたら良いと思いますか?」
 「哲也さんにそれをすることは難しいことを伝え、哲也さんでもできそうなことを提案するのが良いと思います。失敗することが分かっていて、やらせるのは無責任だと思います」
 「そうですか。無責任・・田中さん、責任ってどういうことを言うんでしょうね?」
 「はい?」
 「どうしたら責任を取ったと言えるのでしょう?私がどうしていくのか、ぜひ見ていてください」

 芦沢さんは私の質問に答えていないと思った。逃げている。そう思った。芦沢さんは障害者スポーツ団体に連絡した。毎週、市内のグランドで練習をしており、その時間に行けば一緒に参加することはできるとの返事をもらった。芦沢さんは哲也さんに連絡を入れ、私たちは練習に参加することになった。
 市内のグランドに、私は練習開始の10分前に来た。走るのであればと考え、運動着と運動靴のスタイルで待っていると、芦沢さんも同様のスタイルで現れた。そして、5分後、グランドに来た哲也さんは、チノパンにTシャツ姿だった。芦沢さんが哲也さんに声をかけた。
 「こんにちは」
 「こんにちは」
 「哲也さんはその恰好で走るのは大丈夫ですか?」
 「大丈夫です」
 「はい。では、行きましょう」
 スポーツ団体の人に挨拶をし、準備体操の後に、100mダッシュをすることになった。走ったあとに、数分のインターバルのあとにまた走る。ダッシュを5本繰り返したあとに休憩になった。哲也さんはチノパン姿で走りにくそうであったが、どうにか5本走り抜き、走り終わるとグランドに横になった。横になった哲也さんに芦沢さんが「大丈夫?」と声をかけると「大丈夫です」と返し、グランドの端に置かれた自販機で飲み物を買い、哲也さんが飲み干していた。私は水やスポーツドリンクを買ったのだと思っていたが、哲也さんが買ったのは炭酸飲料だった。一気に飲み干したことで、暫くの間、哲也さんはゲップをしていた。
 休憩が終わり、先程と同様の100mダッシュが5本あった。哲也さんは前半のダッシュの疲れと炭酸飲料の影響もあり、ヘトヘトになっていた。5本のダッシュを終え、その日の練習は終了になった。芦沢さんが哲也さんに声をかけた。
 「哲也さん、お疲れ様でした。練習をしてみて、どうでした?」
 「疲れました」
 「そうですね。疲れましたね」
 「練習は毎週やっているそうです。先程、聞いたら、続ける気持ちがあるようなら、また来ても良いと言ってくれましたが、どうしますか?」
 「もういいです」
 「今日だけでいいですか?」
 「はい」
 「そうですか。では、その旨担当の人に話をしますね」
 「ありがとうございます」
 「哲也さん、一つ聞いても良いですか?」
 「はい」
 「哲也さん、休憩時間の時に炭酸飲料を買っていましたが、あの飲み物が好きだったんですか?」
 「違います」
 「どういうことですか?」
 「本当は水を買いたかったけど、ポケットの中に100円しかなかったので、100円で買える飲み物を買いました」
 「そうですか。運動のあとの炭酸飲料だったから、大変でしたね」
 「はい」
 「言いにくいかもしれませんが、大変な時は遠慮せずに言ってください。できることとできないことはあるかもしれませんが、どうすれば良いか、一緒に相談しますから」
 「はい。分かりました」
 「では、帰りましょう」
 今日の仕事はグランドで100mダッシュ。私は何をしているのだろう?芦沢さんは私に何を見せているのだろう?まだ、私には分からない。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?