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芦沢さんとぼく 第7話 こんにちは。そしてお帰りなさい

 私が哲也さんの面接に同席するようになり、半年が過ぎた。過ぎたあとも私は哲也さんの面接に同席した。自分のために、これからどうなっていくのか見ていきたい。そう思い、お願いした。年をまたぎ、哲也さんの通信制高校の卒業も決まった。嬉しいはずが、1月に入ってからの相談は卒業後の不安を哲也さんが口にするようになった。
 卒業したら何をしたいですか?芦沢さんが聞くと、哲也さんは「警察官になりたい」、「ビルの管理人になりたい」、「消防士になりたい」とコロコロ違う職業を希望した。その都度、芦沢さんは「調べてみるね」と言い、哲也さんに調べた内容を伝え、哲也さんが聞いた内容から、「僕には無理ですね」と話すことが続いた。
 それが続いた2月下旬の木曜日の夕方、17時を少し回るころに事務所の電話が鳴った。私が出ると、「そちらでお世話になっている飯塚哲也の母です」と相手は名乗った。「哲也さんのお母さん」、私はそう思った。芦沢さんを目で探し、少々お待ちくださいと言い、保留にし、芦沢さんに哲也さんのお母さんから電話ですと伝え、電話を繋いだ。
 「お電話、変わりました芦沢です」
 「哲也の母親です」
 「こんにちは。お母さん。どうされました?」
 「哲也が昨日からいなくなったんです」
 「はい?どういうことですか?」
 「最近、あの子の様子がおかしく、芦沢さんは哲也がチャットをやっているのを知っていますか?」
 「本人から聞いています」
 「あの子、また言い合いをしたみたいで、一昨日の夜に哲也の部屋から声が聞こえると思ったら、哲也が携帯に向かって「お前、ふざけるなよ。俺にだってやれるんだよ。バカにしやがって」と大きな声で話していました。「静かにしなさい」と私が言うと、「うるさい」と言い、扉を閉めてしまいました。その後も何か話していたようです。私は日中仕事をしていますから、気づかず、昨日の夕方に家に帰ったら、哲也はおらず。今日になっても帰ってきていないんです。芦沢さん、何か知りませんか?」
 「このところ、哲也さんが高校卒業後の進路について悩んでいたので、そのことと関係があるのかなとも思いますが、直接的な理由は分かりません」
 「そうですか」
 「お母さん、どうしようと思っていますか?」
 「これまでも家に帰らないこともありましたが、一昨日の騒ぎがあったので気になってしまって」
 「そうですね。警察に行方不明届を出されましたか?」
 「まだです」
 「もし、御家族の方で宜しければ、警察に行方不明届を出されてはどうかなと思います。そうすれば警察が見つけたら、連絡をしてくれます」
 「そうですか。これから警察に行って、話してこようと思います」
 「お母さん。私のところに連絡があったら、ご連絡します。お母さんのところにご連絡が来るようでしたら、私にもお手数ですが、ご連絡を頂けると有り難いです」
 「分かりました」
 電話を切った芦沢さんに私は声をかけた。
 「芦沢さん、哲也さん、大丈夫ですかね」
 「どうだろう。哲也さんに何があったんだろうね。何が・・」
 その日はその後、連絡は来なかった。次の日、いつものように電話を取り、来所してくる人の相談を受けたが、頭は哲也さんのことを考えていた。 
 午後の3時20分、鳴った電話を私が取った
 「こちら、長野県警の後藤と申します。相談員の芦沢さんはいらっしゃいますか?」
 「はい、少々お待ちください」
 私は電話を芦沢さんに繋いだ。
 「はい、芦沢でございます」
 「私は長野県警、地域課の後藤と申します。相談員の芦沢さんで間違いがありませんか?」
 「間違いありません」
 「ご家族から行方不明届が出ている飯塚哲也さんを保護しまして、今うちの署の方にいます。家族に連絡を入れ、迎えに来て頂こうと思ったら、本人が家族への連絡を拒否しまして、であれば家族以外で連絡をしてよい人はいますかと聞いたら、芦沢さんの名前を言いましたので、ご連絡しました」 
 「ありがとうございます。本人に電話を代わって頂くことはできますか?」
 「少々、お待ちください」
 少しの時間のあと、哲也さんが電話に出た。
 「哲也です」
 「哲也さん、こんにちは」
 「こんにちは」
 「お母さんから哲也さんが帰ってこないと連絡を受けました。何があったのか、教えて頂くことはできますか?」
 「芦沢さん、僕は価値がないんですか?」
 「どういうことですか?」
 「チャットで僕が「高校を卒業する」と話したら、「卒業して何をするんだ」と聞かれたから、「世界平和を目指す」と言ったら、「バカなことを言っているな。お前はいつも口だけ」と言われ、「お前、ふざけるなよ。俺にだってやれるんだよ。バカにしやがって」と怒りました。その後も嫌なことを言われ、携帯を窓から外に向けて投げてしまいました」
 「そうですか。それでどうしました?」
 「その後、眠れず。外に出て、夜の間、歩き続けました」
 「そうですか。その後はどうですか?」
 「歩いていたら、知らない人が声をかけてくれ、食べ物をくれました。それを食べて、電車に乗り、ついたら、長野でした。日中はお寺にいました。屋根があり、ちょうどベンチもあったから、そこで横になっていました。昨日はそこで寝ました。今日、起きて、歩いていたら、警察に呼び止められました」
 「そうですか。大変でしたね。哲也さんはどうしたいですか?」
 「僕は生きていく自信がありません。僕は何をしてもダメです。周りの人は僕をバカにしていると思います」
 「そうですか。哲也さんの状況を考えれば、そう感じても仕方がないように感じます。でも、私は哲也さんからこうやって電話をもらえて本当に嬉しいです。本当に。ありがとうございます」
 「いえ、ありがとうございます」
 「哲也さん、大変なことは今後もあるかもしれませんが、一緒に相談しながらやってみましょう」
 「こんな僕でも芦沢さんは相手にしてくれるんですか?」
 「勿論ですよ。ぜひ相談をさせてください」
 「ありがとうございます」
 「哲也さん、御家族には私から話をさせてもらえませんか?哲也さんは事情があって、今そこにいることを説明します。御家族から怒られることはありません」
 「どうしようかな」
 「お願いします。哲也さん」
 「芦沢さんがそこまで言うなら。母に電話をしてください」
 「分かりました。電話を後藤さんに代わって頂いても良いですか?」
 「お電話、代わりました後藤です」
 「御家族には私から連絡します。その上で後藤さんに御家族から連絡を入れますので、よろしくお願いします」
 「承知しました。よろしくお願いします」
 電話を切ると、芦沢さんは哲也さんのお母さんに連絡を入れた。翌日の朝、哲也さんのお母さんより「夜には迎えに行き、哲也を連れて帰ってきました」との連絡が入った。
 その日の午後、哲也さんは事務所に姿を見せた。
 「こんにちは」
 「こんにちは。哲也さん。そして、お帰りなさい」
 「昨日は、申し訳ありませんでした」
 「いえ、無事に帰ってきてくれて、ホッとしました。大変でしたね」
 「大変でした。もう歩くのは嫌です」
 「沢山、歩きましたものね」
 「歩きました。豆ができました」
 「豆?どの辺ですか?」
 いつもの面接が始まった。変わらない面接。変わらない哲也さんと芦沢さんの関係性。以前、芦沢さんは本当に哲也さんが困った時に連絡が来るか否かのためにやっていると言っていた。今回哲也さんは芦沢さんに連絡をしてきた。
 芦沢さんは変わらないと言っていた。年を重ねれば、環境も変わる。人も置かれた環境が変われば、変わっていく。変わる変化に哲也さんは戸惑い、悩み、どうして良いか分からなくなる。でも、芦沢さんは変わらない。
 変わらない芦沢さんのところに来ると、変わらない関係性がある。そこに安心が生まれるのかもしれない。芦沢さんは何もしない。ただただ哲也さんの話を聞く。聞き続ける。周りから見たら、何をしているのか分からない。無駄のようにも感じる。でも、本人が大変な時に大事なのはそんな一見すると無駄に思える時間なのかもしれない。
 今日も芦沢さんと哲也さんの変わらない話は続く。それは明日も、明後日も。

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