子どものミカタ~ 不登校 ~

 不登校、30万人。そんなニュースが今年、流れた。増え続ける不登校。少子化で子どもの数が減っているのに、不登校は増える。何が起こっているのだろう?
 不登校が問題が指摘されると、その原因がまず言われる。最初に言われるのは「いじめ」次は本人の問題。無気力など、精神的、心理的な問題が言われる。そして、家庭の問題。最近ではヤングケアラーが言われたりもする。
 原因が言われると、対策が言われ、登校を勧奨せず、待つことが大事と言われる。自治体の対策としては、カウンセラーやソーシャルワーカーの活用が言われる。不登校が問題と指摘されるたびに、まるでセットのように同じ話が繰り返しされる。そして、次の年も不登校の数は増え続ける。
 不登校の数が増え続けるということは、原因の見立てとその対策は間違っているのかもしれない。でも、その検証はなされない。
 今年1年、教育委員会などが主催する研修会で話をする機会に多く恵まれた。先生方に会い、話をすると、多くの先生が先のことを考えてしまうと話す。先のこととは、進級、進学。学校は1年間のスケジュールで動く。今の学年であれば、このくらいの学習が出来ていないとダメ、今後を考えると、こうしないといけない。そんな基準が何となく存在している。その基準をもとに、子どもたちのことを先生方は考える。
 そんな先生方に、子どものことを考えていますか?と聞くと、先生方の全員が「考えている」と答える。でも、ここで不思議なことに気づく。本来、子どものことを考えているのであれば、先のことは考えない。今の子どもを見る必要がある。今の子どもの状況から今後のことは考える必要がある。
 でも、先生方の多くは子どもを通り越して、先を見ている。先を見ることが子どものことを考えることであると思っている。信じている。先を見て、今の状況を評価している。大事なことは先であり、今の子どもではない。今の子どもを見ていない以上、対応の仕方は間違ったものになる。
 先のことがなぜ気になるのだろう?先を気にしないといけない理由は何だろう?先を気にしないと何が起きるのだろう?教師だったら、当たり前。そうだろうか?それをしなければ何が起きるのだろう?それが説明できないのであれば、それを行う根拠はないように感じる。
 

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