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[アメリカで幸せを探す旅①]仕事を休職し30歳でアメリカに渡った話。

noteを始めたのはちょっと前。今は2歳と5歳の育児に追われて、じっくりと書く時間が取れなかったり、自分の考えていることや経験をありのままに書くことに、躊躇いもありモチベーションが続かずにいた。最近、パリに住む会社の元同期であり、親友がnoteでとても活躍し、エンジョイしていていて、note始めなよ、気張らずに、日々思うことをそのまま書けばいいんだよ、と言ってくれて、もう一度書き始めることにした。過去の自分との語り合い、想い、経験、学びを書くこと📝を続けていこうと思う。
わたしはアメリカに住んで6年と4ヶ月になる。6年前、夫の海外転勤について、アメリカに暮らすことにした。入社したかった会社に入社し、大手のメーカーで一生懸命に働き、お金も困らない程度にはあり、結婚し、それなりに土日は自由な時間もあり、充実しているはずだった。でも、心はどこか満たされない、我慢して毎日をこなし生きている、誰かの人生を頑張って生きているような、そんな感覚があった。夫が渡米することが決まった時、仕事と子どもを生みたいという気持ちとの間で心が揺れていたが、会社の恩師が、会社を退職するということが分かり、また夫が発ち、部屋から荷物がなくなり、がらんとした部屋に1人残り、全身にストレスからくる湿疹がでた。寂しさ怖さ不安あらゆる感情が身体に出たんだとおもう。人の体はとても素直。身体に出てしまう自分の弱さを責めたし、多忙に働く周囲からも、精神面のことで体調を崩すなんて精神的に弱いと思われていた。私の居る場所、それは夫のそばだと確信して、会社を休もうと決意した。優秀な同期達は、未婚でバリバリ働いていて、どんどん成長しキャリアを積もうとしている中、私1人ドロップアウトしたような、後ろ髪を引かれるような思いだった。でも頑張っていても満たされていない、人の目や評価を気にして生きている、本当にしたいことができていない気がするという気持ちで日々悶々としていたわたしにとって、自分を見つめる時間が、必要だったと思う。あのまま1人キャリアにしがみつき、諦めない我慢の日々を送っていたら、と思うと身体を壊していただろう、それにもとより欲しかった子どもも出来なかったし、広い価値観、世界を知ることもなかっただろう。30歳からのアメリカ生活、これは、日本社会、世間体から離れ、自分自身が心の底からしたいと思うこと、自身の幸せを探す旅だったように思う。
頑張って頑張って、仕事、健康、お金、結婚を掴んでも幸せだと言いきれなかった…。幸せって何だろう…そんなことをいつも考えていた。
人の評価軸を気にしていたり、常に人の期待に応えることが自分の幸せだと思い込んでいた。いつもどこか自分の意見や気持ちを抑える、そんなことを続けていったら、本当に自分が心地よいこと、好きなことを見失い、好きなことで楽しむ仲間がいないという気持ちになっていた。今思うと周りの人達が優秀で美しく輝いて見えて、自己肯定感が低く、自己否定が強かったように思う。心の整え方を知らなかった。なので、当時心と体が調和してヘルシーなライフスタイルをしているように見える人にとても憧れていた。しなやかに強く生きる人になりたいと思っていた。しなやかな人、それは、自身の心に素直に生きられて、心から大切な友だちとの関係を大切にしてひとの個性や違い、多様性を認められる人。ひとつの精神性のあるものにどっぷり浸かることで、気づきを得て、自信をもてて、心と体の調和がとれ、幸せに近づけるのではないかと思った。
アメリカに移住してから、TOEIC450点レベルで海外在住経験なしではあったけれど、自分を変えたいという気持ちで、アメリカで全米ヨガアライアンスに申し込んだ。ヨガ🧘‍♀️は数年間続けていたことで、自分自身にフォーカスできて、気持ちが、爽やかになれる時間だった。アメリカ人の中へ、英語のできないアジア人が1人入り、7ヶ月間のトレーニングを受けるという、まさに孤軍奮闘の経験だったけれどそこでの出会い、未知なることへの挑戦と脱皮を経験するきっかけとなった。
ただシンプルに幸せを感じ、好きだと思う友だちに囲まれ、自分の好きなことが分かっていてそれを続け、能力やスキルを活かすまたは磨き、それを語り合える友だちがいて、健康であり、家族が笑顔でいること。それが幸せであり、心を支えるものだと思う。
過去の自分に伝えたいコト
●自分の幸せを知る、書く、貼るそれをすることで気持ちが和らぐ、幸せを感じることほっとする、安らぐ時間をもつことを自分にリマインドする
●自分が人生の主役であることを知る。したいと思うことがあるなら、でも、無理な理由を考えず、と言わずにどうしたらそれが出来そうかを妄想を膨らまし幸せな気持ちに浸るあとは、Plan Do check Act
●100%出来てなくても、自信がなくても初めて仕舞えばいい。知識や経験は走りながらついてくる
●資格なんてなくても、何かの先生になれる

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