Chika/cocomichi@じぶんのいしずえ研究家

海外在住4カ国15年、沢山の出会いの中、何度も価値観がひっくり返る体験をし、2020年…

Chika/cocomichi@じぶんのいしずえ研究家

海外在住4カ国15年、沢山の出会いの中、何度も価値観がひっくり返る体験をし、2020年、帰国。 これまでの経験・学びをフルに活かした個人セッション、エネルギーワーク、ワークショップ等を通じ、 本当の自分と出会い、安らぎと喜びで生きるサポートをしています。

最近の記事

10年ぶりのハワイで-1

10年ぶりにハワイ(オアフ島)来訪。 1996年〜2000年までの4年間を暮らした場所。 私にとって初めての海外在住、そして初めて人生がスタックしたところ。 それまでは何か起こっても全て自分で対処し、そういう自分をヨシ‼︎と思っていた私にとって、 突然体調を崩し、それが全く良くならずどんどん痩せ細っていく自分に、(このままでは死んでしまう)とパニックになり、身体だけでなく、心のバランスまで崩れ、八方塞がりになった時、周りに心配と迷惑しかかけられない自分が苦しくて、本当

    • 幼子の傷みを手放す

      入院で家族から切り離されたことで、 本来の自分を取り戻したように見える母は、 時折は薄れゆく記憶に不安を膨らませながらも、本当に長きにわたり、ネガティブの権化のようだったあの頃に戻ることはなく、 日々を前向きに、自分で自分を鼓舞しながら精一杯生きている。 こうした日々を送れるのは、お父さんのおかげ。娘たちのおかげ。こんなに幸せで、いつ旅立っても一つも後悔はないわと、朗らかに、本当に幸せそうに呟く。 そして、感謝の気持ちでいっぱいと言いながら、 「お姉ちゃんは小さい頃

      • 多様性?結局ここだなと思った話

        先週、一時帰国しているロンドン時代の友人と3人で、諏訪大社に行ってきた。 彼女たちは、異国で妊娠・出産・育児を支え合った、正に身内のような存在。 海外在住と一言で言ってもいろんな形態がある。自力で海外で暮らす人と、会社の異動で駐在してくる人では、生活形態や心持ちが全く違うと思う。 駐在は、海外で生活しているとは言え、ベースは全て会社側が負担し、 心身ともに会社に守られているので、同じ国の同じ場所に暮らしていても、 根っこの部分はしっかり日本と繋がっている感じとでもいおう

        • 書く瞑想

          あとは本当にこつこつやるべきことをやるだけだなぁと思うこの頃。 ずっと途中で止まっていたのは、 本当には今まで長く続けてきた 生活のプライオリティを変え、 私個人として動き出すのが怖かった のかもしれないな、とふと思った。 さんざんそこで止まって、おどけて、 自分を蔑んできた。 そうしながら、本当に少しずつ少しずつだけど進んできて、ついにここまできたのだ。 ここに来るまでに気づいた沢山のこと ここに来るまでに手に入れた沢山のこと ここに来るまでに手放した沢山のこと

          日本人である私たち

          一昨日、実に約5年ぶりに対面で講座を開催した。 海外生活の中では、当たり前と言えば当たり前だけど、自分が日本人であることを強く意識させられることがある。 歴史も文化も全く異なる4つの国での生活の中で、ずっと私が感じ続けてきたこと、それがきっかけで始まった、わが祖国日本と、自分のルーツである日本人への探求。 そこで得た知見は、多分、自分という人間のルーツにとって何より大切なものなはずなのに、今の日本でフツーに日本人として生活している中では触れることがない。 人々に”共通

          当事者意識

          当事者意識:当事者意識とは、問題やテーマに対して、「自分が解決する/自分が行動する」という意識のこと 大きな時代の変化の時 ダイバーシティ グローバリゼーション これらの言葉を枚挙のいとまがないほど、 日常のそこここで耳にするようになって久しい。 だけれど、それを【ジブンゴト】として受け止め、とらえている人は 果たしてどれくらいいるのだろうか? 情報溢れる現代、気になるワードは検索エンジンに入力すれば、 秒でバラエティに富んだこたえを与えてくれるし、ちょっと調べて 咀

          ただ違うだけ

          人にはそれぞれその人特有のモノの見方がある。 つまり、一人一人が自分専用のメガネをつけてこの世界をみているようなもので、目に映る事象は同じでも、それをどう認識し、そこにどんな感情が湧くのかは千差万別。 そんなことは少しでも心のことを学んだ人なら、誰でも知っている。 知っているけど、今日もまたそこここで、 「あの人にこう言われたけど、どういう意味???」とか 「あんな風に言うなんてひどい」とか 日々起こるあれこれを、自分のメガネから見えた景色で判断し、嬉しくなったり悲

          そこにはもうすでに「ある」

          noteを無自覚に休んでいた期間に私がこれでもかと体験したのは、 自分はもうすでにじゅうぶんに満たされていたのだということだった。 人は放っておくと(無意識に過ごしていると)「ない」に注目してしまう 生き物だ。 (ゲシュタルト心理学で有名な「欠けた円」(ゲシュタルトの輪)は 人間は欠けている部分に注目するという例で有名) 人間は完全なものより不完全なものが気になるように無意識が働くた め、長所より短所、いい部分より悪い部分、つまり足りない部分に意識が向きがちということ。

          偶然じゃないんだな

          腰を痛めて通っている整体の先生が超自由な感じでとても良い。 なんていうか、もうみるからにその人そのもの、ありのままに生きていて、 自分が自分であることに1000%安心している感じ。 絶対的な安心基地だった父が認知症になり、唯一のそれを失った私は、 そこから徹底的に一見明るくて、 すっとこどっこいで、超絶さっぱりタイプ(これも1人の自分)だけど、 実はうんざりするほどめんどくさい自分に向き合ってきた。 自覚的に生きづらさを抱え、それを何とかしたくて向き合うのとは違い、

          “今”を生きる

          わが家の真横は、地元の公立小学校 日中、時にこちらの集中を欠くほど熱心に指導する先生の拡声器を通した熱い声とそれに従う子どもたちの元気な声。 運動会が近いのかな?と思っていたら、朝早くからの賑やかなアナウンスやラジオ体操の音で、 その当日を迎えたことを考える知った。 出かけるのに、学校の横を通った。 校庭から溢れるほどの保護者たち 忙しそうに駆け回る先生たち そして、子どもたちの元気な声 準備して迎えたこの日を楽しもうという空気感が、学校の周りにも広がっていて、

          ビッチ発動‼︎

          一度も施術を受けぬ間に破産した美容クリニックの破産管財人からクレジットカード会社に返金手続をするようメールがきた。 手続きしようとクレジットカード会社のURLを見たが、レアケース故か記載なく、ナビダイヤルでトライするも繋がらず😓 経験のないことで状況把握も難しく、まずは破産管財人の弁護士と話す。 持って回った話し方で長々と説明されたが、トドのつまり自分でクレカ会社に手続しろと。 ねー最初にそう言ってくれたら、数分で話終わったよね💢と珍しくイラつき、そのまま再びナビダイ

          春の終わりに

          春は出会いの季節というけれど、 私にももれなくそれはやってきた。 元々移動の多すぎる人生なので、 人との出会いと別れの数も幅も 一般の平均以上であることは 自覚しているけれど、 この春は自身が長いお母さんシフトから抜けたこともあってか、例年とは比較にならないほど多くの出会いに恵まれている実感がある。 そしてそれが役割(母・妻・娘)と してのものではなく、 純粋にこのワタシ起点100%であることが嬉しくもありがたく、 ただただ流れに乗っていくうちに その範囲は予想を超えて

          素直とうのみ

          私という人間を良く知る人に、 私ってどんな人⁇と聞いたら、 おそらく大半の人が【素直】 という言葉挙げてくれると思う。 それくらい、これまでの人生で 多くの人から、時には驚きをもって この言葉を贈ってもらってきた。 そして、本当につい数年前まで、 素直であることは良いことで、 そう言ってもらえることは、 最高の褒め言葉くらいに思っていた。 しかし、ものごとには必ず陰陽がある。 素直であることは、人のいうことを鵜呑みにしてしまうという側面もある。 人に言われたことを、

          愛と希望

          先週末、ご縁あってとあるコーチングの勉強会に参加させていただいた。 詳細をよく把握しないまま参加してみると、そこに集った人の多くが40〜50代、現役の管理職サラリーマンの方々だった。 そう、結婚以来私が個人として接する機会がほとんどなく、だけれど、心の探求をしこの活動を始めてから、ずっと接したいと願ってきた人たち。 私は主にこれまで、結婚や妊娠・出産、子育てなどのライフイベントで 大きく人生が変わり、    その変化の中で、必死にサバイブし、気づかぬうちに自分を見失い

          母の日

          私の母が施設にお世話になって、この秋で2年になる。 入居時、リピートは多く時々混乱するものの、まだごくごく軽度だった認知症は、徐々にしかし、着実に進行しているようだった。 だけれども、 それまで「私は苦労するために生まれてきた」といい、 過去を悔やみ、未来を憂いで、側から見ても生きづらそうだった母が、 薄れる記憶の中で、過去の恨みごとを昇華させ、 すっかり前向きになって、”今”を懸命に生きる姿は、それまで悲しく切ない病だと感じていた認知症という病気も、彼女にとっては命

          認知症がおしえてくれたもの

          一昨日の厚生労働省から、65歳以上の高齢者がピークを迎える2040年に 高齢の認知症患者が584万人、認知症予備軍とされる軽度認知障害(MCI)患者が613万人に上るとの推計結果を公表された。 65歳以上の7人に1人が認知症患者になる時代がやってくる。 超高齢化社会の中で、認知症が大きな社会課題であることは知っていたが、自分の親のそれに直面するまでは、年をとればそういうこともあるよね、くらいの認識だった。 母はケガの後遺症の高次脳機能障害の症状が数年前から出ていたが、 深

          認知症がおしえてくれたもの