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幼子の傷みを手放す

入院で家族から切り離されたことで、
本来の自分を取り戻したように見える母は、

時折は薄れゆく記憶に不安を膨らませながらも、本当に長きにわたり、ネガティブの権化のようだったあの頃に戻ることはなく、

日々を前向きに、自分で自分を鼓舞しながら精一杯生きている。

こうした日々を送れるのは、お父さんのおかげ。娘たちのおかげ。こんなに幸せで、いつ旅立っても一つも後悔はないわと、朗らかに、本当に幸せそうに呟く。

そして、感謝の気持ちでいっぱいと言いながら、

「お姉ちゃんは小さい頃から、本当にしっかりしていて、何の心配もなかったから」

と言われる度、胸の奥に傷みを感じる私。けれど、それを今さら母に伝えても混乱するだけ、私がわかってあげれば良いのだと自分に寄り添っていたつもりだった。

ある日の電話の切り際、母がいつものように、オットによろしくねと言い、続けて「〇〇ちゃん(オット)の顔を思い出すと、涙がポロポロこぼれちゃうの」と言った。

そうなんだと軽く笑い、電話を切ろうとすると

「〇〇ちゃんの優しい顔を思い出すと、涙がポロポロ出ちゃうのよ」

と、本当に愛おしそうに何度も繰り返す母に反応し、思わず

「私は?」という言葉が口をついた。

私の言葉は耳に入らず、壊れたラジオのように、オットに対し感傷に浸った思いを口にする母をさえぎり

「私のことは⁇」と聞いた。

「え?………お姉ちゃん⁇」と言うので、

「うん、そう。私。私のこと思い出すとどうなるの?」と聞くと、

「お姉ちゃんはしっかりしてるから」

と母。

(そうじゃなくて…)胸の疼きを感じながら

「しっかりしてる私のことは思い出さないの⁇ 」

努めて軽く聞いてみた。目には涙が浮かんでいたけれど。

長い沈黙のあと、母は

「お姉ちゃんを思い出すと…」

と言い淀んだ。

(お婿さんのことを思い出して涙をこぼすのに、実の“しっかりした”娘のことは思い出すこともないんだ…)

私の奥に巣食う強烈な拒絶の傷がむき出しになったようだった。

と、母が

「お姉ちゃんを思い出すと、勇気づけられる」と言った。

思いがけない返答に拍子抜けしたその瞬間、私の中で何かが弾けたような気がした。

(ああ、お母さんの人生の中の私は、徹頭徹尾しっかりもののお姉ちゃんで、それは変わることはないんだ)

当たり前の事実が、否応なく私の中に染み込み、ふっと力の抜けたような諦観が私の中に広がった。

あぁもういい。

しっかりしなきゃと必死にがんばっていた私のことはお母さんでなく、私がわかってあげれば良いのだ。

とても穏やかにそう感じる自分がいた。

「そうなんだ⁈  勇気づけられるんだ」と言って笑う私に、

「そうだよー。お姉ちゃんは小さい時からほんっとにしっかりしてて頼りになったから」と言って母も嬉しそうに笑った。



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