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多様性?結局ここだなと思った話

先週、一時帰国しているロンドン時代の友人と3人で、諏訪大社に行ってきた。

彼女たちは、異国で妊娠・出産・育児を支え合った、正に身内のような存在。

海外在住と一言で言ってもいろんな形態がある。自力で海外で暮らす人と、会社の異動で駐在してくる人では、生活形態や心持ちが全く違うと思う。

駐在は、海外で生活しているとは言え、ベースは全て会社側が負担し、
心身ともに会社に守られているので、同じ国の同じ場所に暮らしていても、
根っこの部分はしっかり日本と繋がっている感じとでもいおうか、とにかく安心感が全然違う。

両方経験した私は、それがとてもよくわかる。

当時のわが家はオットの転職で、現地採用組だったので、長く深いつきあいになるのは、同じ立場の現地採用組や国際結婚カップルが多かった。  

今でもつきあいが続く面々は、わが家以外、皆いまだに英国在住。

異国で子どもを育てるのは、想像以上にチャレンジングな体験で、近くに頼れる親や親戚がいないせいもあってか、家族のチーム感?(絆と言ってもいいだろう)がどうしても強くなる傾向があるように思う。

何が起こっても、この子らは自分たちが守らねばならぬという覚悟?
が日本で普通に暮らすのとは違うのだきっと。

4年前に帰国し、周りを見回してみて、私自身が無意識にそういう在り方でずっと子どもたちに接してきてしまったことを感じる機会が沢山あった。

4年が経過し、沢山やらかしながらも、だいぶん子離れできてきたかなと感じる今日この頃だったのだけど…

これまではいつも子どもも一緒だったのが、母たちだけの一泊旅。

会った瞬間から久しぶり感ゼロで、弾丸トーク。ほぼほぼ子育ても終わったねーと話しながら、途中からあれ?え?
と思うことが沢山出てきて……

結論。彼女らはぜんぜん子離れしていなかった笑笑

けれど、そこで私が感じたのは、あ、それでも別にいいんだ!ということだった。

普通、子離れ・親離れできていないとなると、いつまでも子どもを庇護していては自立できない。とか、親子が癒着していて共依存状態。とか、とかく人はジャッジして、そのことをネガティブに捉えるし、その自覚があったりすると、そのことを隠そうとしたり、〇〇だからと、もっともらしい理由をつけて周りも自分も納得させようとしたりしがち。

だけど、この多様性の時代。
かつてのように唯一無二の正解なんてない。

一番大事なのは、そのことを本人たちがどう捉えているか

なのだなーと、なんというか心から納得したのだった。

個人主義で、基本“Up to you=貴方次第” 必要以上に他人に干渉しないお国柄もあり、この20余年を彼の国で過ごした彼女らは、所謂日本のジョーシキなんてもんはとっくに吹っ飛んでいるのだろう。

彼女たちは実に爽やかだった。

「(子どもからしたら)居心地良くて、自立しようって気持ちが起こらないよね」と皮肉を言っても、

「ほんとそうよねー」 とニコニコ。

先日、私が甘すぎだなと思いながら娘を車で送った話をすると、

「私だったら、当然よそれ。」とニコニコ。

ゲラゲラ笑いながら話し込んでいるうちに、(あ、私は、未だに性懲りも無く、日本のねば・べきにはまりこんで自分をジャッジしてたんだな)と気づいて、なんだか可笑しくなった。

人がどう言おうと、世間でどう言われようと、専門家がどんなふうに解説していようと、自分がこれで良し!と思えていることが、最強だし、何より一番安心で幸せなのだ。

結局、全て自分次第自分がいいと言ったら良し!
(但し、相互に心からそう思えていることが要!)

注:自立を阻む⁈ことを肯定しているわけではなくて、何を選択しても、その結果を自分が肯定的に受け止められたら良しだよなということ

晴れ渡る空の下、諏訪湖の向こうに富士山を拝みながら、可笑しくて、軽やかで、これでいいのだと笑う私だった。


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