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“今”を生きる

わが家の真横は、地元の公立小学校

日中、時にこちらの集中を欠くほど熱心に指導する先生の拡声器を通した熱い声とそれに従う子どもたちの元気な声。

運動会が近いのかな?と思っていたら、朝早くからの賑やかなアナウンスやラジオ体操の音で、 その当日を迎えたことを考える知った。

出かけるのに、学校の横を通った。

校庭から溢れるほどの保護者たち

忙しそうに駆け回る先生たち

そして、子どもたちの元気な声

準備して迎えたこの日を楽しもうという空気感が、学校の周りにも広がっていて、懐かしさと共に、なんだか私まで嬉しくなった。


その空気を感じながら歩いていると、私の内から(娘たちの時、私はこんな気持ちでいた?)という問いがやってきた。

当時の気持ちがよみがえる。

(朝までに、応援に来てくれる義父母の分までのお弁当を用意しないと…)

数日前からメニューを考え、買物し、前夜に仕込み、早朝から唐揚げを揚げて…

今思うと、本当にどうでも良いことで頭がいっぱいで、運動会に向けて娘たちがどんな気持ちでいて、何を感じているのか、その話を楽しんで聞く余裕が当時の私にはまったくなかった。

記憶は朧げだけど、多分【知識】としてはそうする(気持ちを分かち合う)ことが良いことだとは知っていて、
彼女らにその問いを投げてはいたと思う。

けれど、きっとワクワクと分かち合ってくれたであろうその話を、一緒にワクワクと受けとめることができなかった。

自分で聞いておきながら、やらねばならぬことに意識が向いていて、
子どもたちが溢れる気持ちのままに取り留めもなく話すそのかわいい
話を、内心は面倒だなと感じ、聞き流していた。

だからちっともおもしろくなかった。

子どもたちとの毎日はやることが満載で、だけど子どもたちの世界に
【効率】という概念は存在せず、
それまでの人生で効率=善になっていた私は、常に小さくいらだちながら過ごしていたのだなと今更気づく。

そんな態度がどんなに彼女らをがっかりさせていたか、今ならわかる。
なんて残念なことをしていたんだろう。

そしてそんな私の態度は、母の私に対するそれと全く同じだったことに
気づき、その切なさに胸が疼く。

【こうあるべき】にがんじがらめになって、どれほど多くの優しく豊かな
時間を通り過ぎてきてしまったのだろう。

それを犠牲にしてまでやらなばならないことも、そうすることで手に入れるほど価値のあることもなかったのに。

あの時に気づけていたら…という思いはぬぐえないけれど、

だからこそあの頃の私のように、子どもとの日々を心から楽しめず、そのイライラが結局子どもに向かってしまい、そんな自分を責め苦しくなっている、愛情たっぷりな不器用なママたちに、

過ぎてしまえばあっという間の、瑞々しい、子どもと織りなす豊かな時間を満喫して欲しいという願いが
私の活動の原点。



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