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【短編小説】残酷な日曜日

「最近アイロンがけが辛いのよね」

母がそんな風に愚痴をこぼしていた。
日曜日の夕方。風呂掃除を終えた私はふーんと相槌を打つ。確かに。60近い年齢の母にとっては重労働だろう。

「ほら、正樹が最近リモートワークじゃなくなったでしょう?だから週5で5枚もアイロンをかけなくちゃいけなくって」
「何それ。自分でやらせればいいじゃん」

というか驚きだ。正樹、自分でアイロンかけないんだ。
私は学生の頃から自分のワイシャツは自分でかけていたけれど確かに弟の正樹はやらなかった。
風呂掃除も洗濯物を畳むのも。洗濯物を取り込むことすらしなかった。

でもさすがに彼ももう25歳だ。実家にいさせてもらえてる。家賃も光熱費も支援してもらえているこの好待遇の中、なぜアイロンがけという簡単な行為ができないのか。
ひとり暮らしをしてきた私には理解できないし、情けないと思えた。
自分のことは自分でやるべきだと思って私は声を掛ける。

「ねえ、正樹」
「何?」

彼はスマホを片手に横になっていた。年も離れていないし、ゲームや漫画の話で盛り上がれるほどに私達の仲はそこそこ良い。

「ワイシャツにアイロンかけたことある?」
「たぶんない」

スマホから片時も目を離さずに答える。

「じゃあ掛けてみなよ。母さんも自分でやってくれると助かるって言ってるし……」
「……」

急に無言になった。
あ。これって機嫌が悪くなった時のやつ。
それで引き下がるような私ではなかった。

「ねえ、聞いてる?自分のことは自分でやんなよ」
「……」

はい。聞こえないふり。あからさまにイライラし始めたのが分かった。
私もイライラし始め、つい口調が強くなる。

「母さん。正樹のもうアイロンかけなくていいから!」
「え?でもぐちゃぐちゃだよ」
「やんなくていいよ」

すると正樹が声を上げた。

「……いいよそのままで」

ム・カ・つ・く!
でました開き直り!そう言えば最終的にやってもらえると思っているのだ。
この甘えた根性が!

「……なんかムカつくんだけど」

そして挙句の果てに正樹は一言そんなことを呟いたのだ。
こっちの台詞ですが!
久しぶりに私の頭もプッチンする。
まさか自分の弟がここまで日本の典型的な「家事をやらない男」になっているとは思わなかった。恐怖すら感じる。
そりゃあ、まあ完璧な人間なんてこの世にいないと思うけど。せめて生活していく上で必要なことは協力する姿勢をみせてくれてもいいんじゃあないか?

「そう……?でもこれじゃあんまりにもぐちゃぐちゃじゃない」

母も母で正樹に甘い。自分で辛いと言うわりには正樹の肩を持つ。
これでは何故、私はあんな愚痴を聞かされたのか分からない。あれ?これって私が怒り損してるやつ?

何故私は日曜日に日本で問題になっている「家事の出来ない男」の誕生に立ちあっているのか……。

「いいよ。母さんがそれでいいならいいけど。正樹もそのままでいいんだったらもうこれ以上は何も言わないよ」

私がアイロンがけするよ!は何だか違う気がする。
だってワイシャツを着る本人は部屋のそこらへんに転がっているのだから。

「別にね。家事はこれだけじゃないから……。食事も、掃除も、洗濯物もあるし。私もまだ動ける年齢だから今回はやっておくわ」

なんだそれ!
やっぱり私の怒り損だったのだろうか。結局正樹のワイシャツは母によって綺麗にアイロンがけされてしまった。
正樹の思う壺である。

私はひとり、抜け殻になっていた。

結局母は「家事をみんなに分担してもらいたい」と思って口にしたのか、単なる愚痴だったのか。思惑は分からないままだ。もしかしたら正樹ではなく私にやってもらいたかったのかもしれない。
思い直してみればなんて子供じみた言い争いだったんだろう。
たかが「アイロンかける。かけない」だ。

そっか……。私達、「子供のまま」なんだ。
家事の出来ない男、というか協力しようとしない人は思考が「子供」なのかもしれない。子供のころの習慣でもう「家事はお母さんがやってくれるもの」とインプットされてしまっているのかもしれない。

家事に時間をかけるよりも自分の好きなことをしていたい。それを邪魔するものなら不機嫌になる。
「少しは手伝って」と協力を仰いでも駄目。
完全に子供だ。いや、家事を手伝っている子供に失礼だから……幼い頃の思考のまま年を取ったと言うべきか。

私も正樹に言えるほど自立した大人とは言い難い。体調を崩したっきりパートで働いているし。それでも自分の身の回りのことは自分でする。
母も母だ。
なんだかんだ弟には甘い。だから弟も楽でいいならそれでいいと思っている。

これって「家事をしない男」を育てる温床になってしまっているんじゃないか。

母にも少し問題があるように思える。それを指摘しても「だったら真樹が手伝ってよ」と言われそうだ。
考えてみれば口うるさくお手伝いのことを言われたのは私だけだった気がする。何故か正樹にしつこくお手伝いを強要していない。

それってやっぱり……性別のせいなんだろうか。

私は幼いころから「家事は手伝うもの」とインプットされてきたからイライラしたり不機嫌になることなく家事をやっているのであって正樹は……。

考えれば考えるほどドツボにはまる。
日本社会で嫌というほど問題視されている……男女の役割の問題と家事育児。
この令和の時代、まさか我が家でまるごとその根源を目にするなんて。令和と言っても私も弟も平成生まれ。母は昭和生まれだから古い家といえば古い家なのだが。
気が付いてはいけないことに気が付いてしまって背筋が凍る。

時代が新しくなろうとも。テクノロジーが進もうとも人間の思考は古いまま。なんなら幼い頃にインプットされたまま。アップロードしようとすらしない。

新しい時代に適合しようと思ったらその考えを受け入れる柔軟性や協調性がなければならない。それが全人類の頭に備わっているかと言われたら……そんなことはないのだ。

私が正樹に物申したのは正しい行いではなかったのか?
SNSで起こりがちなあの「行き過ぎた正義」というやつに当てはまるのだろうか。
自分の心に靄がかかる。なんだか胸のあたりが気持ち悪い。
結局彼の心は変わらず、彼の機嫌を損ねただけで終わってしまった。
きっとこれからも正樹がアイロンがけをすることはないのだろう。

「いつかは自分でやんなきゃなんないからさ」

そう言って母は正樹のワイシャツにアイロンをかけていた。
じゃあ、そのいつかっていつなの?
これって正しいことなの?
私はそう思えないけど!

言葉にならない叫びが頭の中に浮かんでは消えていく。

正樹はいつになったら大人になれるんだろうか。
母が死ぬまで気が付かないのか。
それも何だかぞっとする。
そういう私もいつまでも実家にいるわけにもいかない。
体調を整えて自立しなければ。
大人になるんだ。

日曜日の夕方。
テレビからサザエさんの愉快なオープニング曲が聞こえてくる。
嫌というほど現実に直面する残酷な時間だと思った。








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