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ユース出雲かわらばん~小俣健三郎さんインタビュー~
小俣さんってどんな子どもだったんですか?
自分で言うのもあれですけど、「いい子」だったんですよね。ぼく。
三人兄弟の末っ子で、兄貴たちと父母にたくさんの愛を注がれてのびのび育ったんです。保育園では、まとめたり、仲裁するのが好きな子どもでした。1人対多数の状況をみると必ず1人の側に立って話し合ったり、親の喧嘩を「もうぼく出て行っちゃう!」とか言って仲裁したり。
悲しそうな顔や緊迫感のある状況を子ど
ユース出雲かわらばん~しまね高校生ラジオ インタビュー~
なぜラジオをやろうと思ったの?
布野:ぼく、ラジオが好きだったんです。最初はスクールオブロックを聴き始めました。その後、どんどん夜遅くまで起きているうちに、オールナイトニッポンを聴き始めるようになって。次第に、自分でやってみたい!って思うようになったんです。自分、雑談も好きだったんです。友達との雑談をラジオみたいにできたら楽しそうだなって思ったんです。
そこでまず自分が所属している生徒会に企画と
ユース出雲かわらばん ~池野優真さんインタビュー~
いけちゃんはどんな子どもだったの?
幼稚園のときから先生によく怒られてたんです。みんなの前に立たされて。今思うと「先生」とはかみ合わない人だったんですよね。おれ。
中学でも、先生が言っている方向と別の方向を目指そうとしたから、関わり方が分からなかったんだと思うんですよね。
一番古い記憶は、伊豆への家族旅行です。おじいちゃんおばあちゃんも含めて家族8人で行って。伊豆へは「おどりこ」で行きました。
ユース出雲かわらばん~岡日輪乃さんインタビュー~
なんで医者になろうと思ったの?
私自身、家族はもちろん、家族以外の周りの大人に見守られながら育てられてきたと感じています。母は温泉が好きで、近くの健康温泉に毎日通ってたんです。年間パスみたいなものがあって、それを使って温泉に行っていました。年間パスを使って、毎日来ている人が何人かいて、その人たちとは顔見知りでした。母が身体を洗ってくれている際、溺れないように見てくれたり、駐車場で転んだ時、慰めて
ユース出雲かわらばん~宮﨑航平さんインタビュー~
航平さんって、どんな学生だったんですか?
「友達多いよね」って、小・中・高と言われてきたんです。
小学生のときはスーパーマンだったんです、ぼく。親が忙しくておばあちゃんちで過ごす時間が長かったです。おばあちゃんが「宿題をしないと遊びにいけないよ」って、厳しいんです。だから、夏休みの宿題も10日くらいで終わらせていました。そしたら、「勉強せずに過ごすのはダメだ!」って追加で勉強するものを出されて。
ユース出雲かわらばん~三枝春香さんインタビュー~
どんな子どもだったんですか?
たぶん私、負けん気が強かったんですよね。
3歳のとき、犬に噛まれたんです。で、どうしたら克服できるかな…って思って、犬を飼いたい!って言ってました。子犬から育てて懐いてたら噛まれないかなって思ったんで。でも飼わせてくれなかったので、保育園児のときはペット屋さんになろうと思ってました(笑)
小学校のとき、バレーボール部に所属していました。周りの子は小さい頃からバレーを