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ユース出雲かわらばん~宮﨑航平さんインタビュー~

コミュニティナースカンパニーが運営する新しい拠点が出雲に出来ました。
出雲でどんな人がどんな思いで何を起こし、どんな未来へ向かっていくのか。
「ユース出雲かわらばん」では、ユース出雲の今をお届けします。
第4回は、地域・教育プラットフォームなどで、若者が楽しんで暮らせる出雲づくりの実現を目指す宮崎航平さんにインタビューしました。

航平さんって、どんな学生だったんですか?

「友達多いよね」って、小・中・高と言われてきたんです。
小学生のときはスーパーマンだったんです、ぼく。親が忙しくておばあちゃんちで過ごす時間が長かったです。おばあちゃんが「宿題をしないと遊びにいけないよ」って、厳しいんです。だから、夏休みの宿題も10日くらいで終わらせていました。そしたら、「勉強せずに過ごすのはダメだ!」って追加で勉強するものを出されて。それで、小学生ではぶっちぎりに頭が良かったですね。順位はでなかったけれど、学校の中で10番以内には常に入っていたと思います。おばあちゃんにいろんなことをやらされていたので、絵も出雲で1番になったり、習字も特選をとったりして。歌も合唱団に入ってうたっていました。自慢になっちゃいますけど、ほんと、何でもできたんです。スポーツも、地域のサッカークラブでキャプテンになったり、陸上の大会に数種目選手として選ばれたり、体操大会に出たり。どれも1番じゃないけど何でもできたんです。その頃は「いい自分でありたい」と思っていて、「何でもやりたい」という好奇心が強かったと思いますね。

でも、中学に入ってからは、一気にサボるようになりましたね。親の管理化からぬけた反動で、なんのためにがんばるのかわからなくなっちゃって。「本気じゃない」って感じになりました。勉強とサッカー部を適当にやりながら友達や女の子と遊ぶって生活でした。学校が楽しくなかったので、たまに仮病を使って休んでゲームとかしてましたね。それでも200人中50人くらいには入れていたので、出雲高校に進学できたんです。まぁギリギリだったんですけどね。高校は、親に褒められるかなって理由でなんとなく選びました。

出雲高校に入ってからは、勉強はどん底でした。とにかく友達と遊ぶのが楽しかったですね。サッカー部の友達とはノリが合ったんで。勉強はできなかったのですが、グループをしきる人の立ち位置にはいましたね。学校中に友達がいました。自分が誰かを嫌いになることはないし、怖いって思われることはあるけど嫌われることはないって感じでしたね。

あまり勉強をしていなかったので、案の定受験には失敗しました。親が教員だったので、将来は教員になるだろうなと思って教育学部のある大学に進学しようと思って大学受験に臨んだんですけど、センター試験が450点しかなくて。普通に国公立の大学には行けないし、有名私立にも受からない。学校で勉強することが好きじゃなかったので、予備校に行って浪人しました。でも「失敗した」とも思わなかったんです。「勉強してなかったし、そりゃそうだろ」って思って。浪人して、関西大学に進学しました。

大学生で大きな変化があったんですよね

大学に入って、フットボールサークルと、ミスコンの実行委員をしたんですけど、ミスコンを「つくる」ってのが、すごく面白くて。やってるとき、「不思議」だったんです。ミスコン開催に必要な資金300万円を学生だけで集めるんですけど、そのチームに自分も入ったんです。だけど、ぼく、これまである程度何でもできたんですけど、やり方を知らなかったんです!知らない世界があることがとにかく衝撃でした!!それで、すごく面白くなっちゃって。実行委員で一緒にやっている同い年の子に、なんでもできる子がいたんです。プログラミングができて、人を巻き込むのが上手で、プロジェクトを動かすこともできる…その子と一緒に学生団体をつくって学生と企業をつなぐビジネスをはじめました。最初は学生が就職するときってだいたい合同説明会ってのに行くんですけど、そこに1人紹介するだけで5000円がもらえたんです。こんなお金の稼ぎ方もあるんだと驚きでしたね。

大学時代はとにかくモテたかったので、モテるためにはなんでもやりました。所属していたフットボールサークルってだいたい100人くらい人がいたんですよね。「フットボールサークルって人いるんじゃね?」って思って関関同立のフットボールサークルの会長たちに協力者になってもらったんです。すると、2000人とのつながりができたんです。そうしたら、もう、学生とつながりたい大人から連絡されるようになって…稼ぎすぎちゃったから起業しちゃいました。個人事業主になったんです。同時に飲食店支援の仕事も始めました。居酒屋の外販事業部というところでも週5で完全歩合で働いていて、自分が集客した人が飲み食いした分だけ自分の給料が上がっていくんです。めっちゃがんばりましたね。結果として大阪にある、70店舗のつながりができて、学生コミュニティ活用やSNSを活用した支援サービスを作ったりしていました。

そんな活動を学生でしてたんですけど、普通に就職活動はしました。大手飲料メーカーや、大手ITメーカーからも内定をもらいました。
けど、ベンチャーにも興味があったので、大学4年生の春学期に、自分で仕事もしながら飲食店支援をしているベンチャー企業で、インターンをはじめました。「大阪に支社をつくるメンバーになって、大阪の取引先を増やして欲しい」というミッションをもらってやっていましたね。そこで出逢った支社長が本当にかっこよくて、この人と一緒に働きたいな!って思ったんです。だけど、卒論を書くために1度会社を抜けると、その支社長辞めちゃってて。「もういいや〜自分でやっちゃおう」と思って見よう見真似で会社経営をはじめました。これまでは個人事業主だったんですけど、会社を立ち上げたんです。いろんな事業をやりました。飲食店、人材育成、工場でのライン管理や現場仕事も経験しました。とにかくなんでも経験したくて。…どれもやったことはなかったのですがやって覚えました。やって失敗して、やって失敗して…すると自分にやれることが見えてくるんですよね。その結果24歳くらいまでにいろんな事業をやっていました。

24歳になにか転機があったのですか?

はい。25歳からは島根に帰ってきました。
24歳の時に大失敗しちゃって。かなり落ち込んだんです。それで親にも助けてもらったりして。その時「今までやってきたことは自分じゃなくても誰かができることだな」って思ったんです。「自分にしかできないことってなに?」ってすごく考えました。自分にできることは「島根で、起業家支援やUターンなど、若者が挑戦しやすい環境づくりを行うこと」だなって思ったんです。失敗した経験も活かせるし、生まれ育った島根を変えられる。これは自分にしかできないことだなって思ったんです。25歳の10月に島根にUターンしました。

帰ってからは、お仕事紹介してくれる団体に「起業家支援とか、若者の教育の支援をやれる仕事場ありますか?」って相談したんです。そしたら「君が求めていることを実現できる環境は島根県にはあまりないよ。自分でやったほうがいいかもね」って言われたんです。仕事を紹介してもらうために行ったのに、その仕事はないと言われたんです。。起業も考えたのですが、せっかくならどこかの会社で働いてみたいと思い、自分で徹底的に調べてみたんです。そうすると、エブリプランと、地域・教育魅力化プラットフォームと出逢って。両方魅力的で。だからどっちか一つに選べなかったんです。どうにか両方で働けないかなと思って相談してみたんです。自分のわがままを聞いてもらって、週3エブリプラン、週2地域・教育魅力化プラットフォームで働けるようになりました。

そして、今年度からは地域・教育魅力化プラットフォームを主に、エブリプランとも継続的に関わりながら、MIXコミュニティの事務局もやりながら、人材育成や若者が楽しく働ける環境づくりに全力を注ごうと考えています。楽しく働く若い人が島根にもっと増えてほしい!やりたいことを実現するって田舎でもやろうと思えばできるんだよ!と思ってもらいたいという熱意を持って働いています。

ユース出雲に感じている可能性があれば教えてください。

ぼく、「好奇心をさらけ出している高校生」をみると応援したくなるんです。
ユース出雲にはそんな高校生や若者が集まりそうな気がしていてワクワクしています。そんな人が集まった場所に「出雲おもしろくないよね〜」と言っている人が来たら「出雲おもしろい!」に変わると思うんです。そして「出雲おもしろい」って思う人が増えると出雲がおもしろくなる!そんな未来を実現する可能性を持った場所だと思います。

「好奇心をさらけ出している高校生や若者」の話を聞いて、やりたいことを伸ばすのは一緒にやりたいですし、ぼくだけで助けが足りなかったら、おもしろい友人たちを紹介しますよ。「おもしろい!」と思える人と出逢えるまで、紹介し続けます!昔から人と仲良くなるのが得意だったので。
ありったけのやる気をもって飛び込んで来てくれるとこっちも本気で向き合います。本気だったらモテたい、親に褒められたい、お金稼ぎたい…なんでもいいんです。さらけ出された好奇心と出逢えるのを楽しみにしています!

宮﨑 航平
1995年島根県出雲市出身。関西大学卒業。様々な価値観を持つ 。同世代との出会いに影響を受け在学中に起業。就活支援、飲食店の集客支援、飲食店向けウェブマーケティング、学生営業組織の組織マネジメント、人材業等に携わる。「島根は何もない」という友達の言葉から島根の可能性に気づき、2021年4月に地方から最先端の取り組みを行う地域・教育魅力化プラットフォームに参画。(株)エブリプランとMIX事務局にも所属しながら、島根県の人材育成・人材環流、起業家発掘・育成に取り組む。

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プロジェクトの詳細は、以下のリンクからご覧ください!


インタビュアー ひびき
愛媛県出身。能登地方で夏は塩づくり、冬は酒造りの季節労働でお金を稼ぎながら、田舎暮らしで、生きる知恵を身に着けている20歳。塩づくりがはじまるまで、コミュニティナースカンパニーのお手伝いをしている。

ユース出雲の足がかりとなった2022年のクラウドファンディング

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