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ユース出雲かわらばん~小俣健三郎さんインタビュー~

コミュニティナースカンパニーが運営する新しい拠点が出雲に出来ました。
出雲でどんな人がどんな思いで何を起こし、どんな未来へ向かっていくのか。
「ユース出雲かわらばん」では、ユース出雲の今をお届けします。
第6回は、東京で弁護士となり、縁あって島根県雲南市でNPO法人おっちラボの代表理事を務める小俣健三郎さんにインタビューしました。

小俣さんってどんな子どもだったんですか?

自分で言うのもあれですけど、「いい子」だったんですよね。ぼく。
三人兄弟の末っ子で、兄貴たちと父母にたくさんの愛を注がれてのびのび育ったんです。保育園では、まとめたり、仲裁するのが好きな子どもでした。1人対多数の状況をみると必ず1人の側に立って話し合ったり、親の喧嘩を「もうぼく出て行っちゃう!」とか言って仲裁したり。
悲しそうな顔や緊迫感のある状況を子どもながらに「これってなんか良くないことなんじゃないのか…?」って思っちゃってたんですよね。けっこううまくいくことが多かったので、自分がやれば場が収まるんだ!って自信になってたのかもしれません。

小2のときに印象に受けた大人は、野口英世でした。
囲炉裏に落ちて手が不自由なのにがんばって医者になったのがすごく印象的で、野口英世の伝記に釘付けになっちゃったんですよね。そしたら、黄熱病に罹って死ぬくらい命懸けでみんなのために研究していたことを知って。「医者になりたい」とかぼんやり考えていましたね。

ただ権力が見え隠れする高圧的な態度には敏感でした。兄貴がやっていたので野球を習い始めたのですが、コーチの「おーい!ボール取ってこい!」という怒声が嫌で1年で辞めてしまいました。今思うと「それくらい普通だろ」とか思うんですけどね。甘えん坊に育てられていたので、抵抗があったんですよね。学童保育も上級生の高圧的な態度が気に入らなくて2年でやめました。ストレスを感じながら過ごすより、1人で過ごしたほうがマシだと感じていました。

なので、推理小説を読みふけりました。明智小五郎シリーズは2年生〜4年生で全巻読みましたし、アルセーヌ・ルパンシリーズは4年生〜6年生で全巻読みました。だから遊ぶ友達も、ネアカ集団というよりも大人しめの集団のほうにいるような幼少期でしたね。

中学からは「学校」を満喫しました。中1のときの担任の先生が豪快な先生で友達みたいに関わってくれて。授業中もくだらない話をたくさんしてくれたんです。小学生のときに持っていた「まじめ」がはじけました。もう、学校行事が楽しかったんです。合唱コンクールに体育祭。生徒会や学級委員もやりました。中3のときにクラスで全部優勝したときは本当に嬉しかったですね。卒業前に中学が終わっちゃうのが嫌でしたね。下校中に友達みんなで箱ブランコに乗って、ぎゅうぎゅうになりながら揺れていました。ずっと笑っていました。

高校に入ってからも、すごく楽しかったですね。文化祭、体育祭、部活…すべてに全力を注ぎました。部活はラグビー部でした。ラグビーって、しんどくなってからどれだけ身体を動かせるかみたいなところが大事なので、練習もキツイことが重要視されるんです。監督が威圧的だったんですけど、ラグビーを通じて人生に必要なことを教えてくれているような気がして、愛も感じたんです。そんな大変なことをみんなで乗り越えるのが楽しかったですね。文化祭準備にも全力でした。高3の夏休みは「1人で受験勉強!」じゃなくて、「友達と文化祭準備!」でしたね。劇で主演もやりました。ただ、勉強はあんまり真剣にやっていませんでしたね。英語の授業以外はほとんど寝ていました。受験前の古文の授業中に隠れて漫画を読んでいたら「こういう時期に真剣に授業受けないの、本当に意味わからん」と怒られたのもいい思い出です。そんな態度だったので、普通に浪人しました。「先輩も浪人してるしまぁいっか」と思っていました。

大学の時は、AIESEC JAPAN一橋大学委員会の活動に夢中でした。日本の学生を海外のNGOや企業に派遣する活動をしていたのですが、ここに集う学生がおもしろいんです!国際会議に参加すると「〇〇な世界にしたい」って熱意のある人が世界中から集ってたんです。中国人や韓国人の友達もたくさんできました。国境を越えて対話が成立するんだ!と感動しました。
一方で大学の法律の授業は本当につまらなくて単位を取れるギリギリの「C」ばかりでした。

小俣さんが「ひらいた」と感じた瞬間について教えてください

矢田明子さんにおっちラボに誘ってもらったときですね。
大学を卒業したあと、自己分析もよくせずに弁護士を選んじゃったんです。私がやりたいのは商いよりも、社会正義の実現の役に立つこと。「とりえあえず資格があれば役に立てるんじゃないか?」と思い弁護士資格を取りました。そして、弁護士事務所に所属してキャリアを積みましたが、弁護士の仕事には、心を動かされなかったんです。過去の裁判の文献を読んで弁護を考えるのですが、大学の法律の授業をおもしろいと思えなかった私にとっては苦行です。また弁護士って、「構造はこうなっています。構造内でできることを考えましょう!」という姿勢で物事を考える必要があるんです。これも「そもそも構造に問題があるのでは?」と考えたい私とズレていたんです。
だから4年で独立して自分の事務所を持ったんです。自由な時間をつくって「人生どうしようかな」って探そうとしていました。そんな時、友人の紹介で知り合った矢田さんから声をかけられたんです。

「あなたのキャリアが地域のために活きると思うよ」そう言われて、「私の力が活かせるかもしれない」と思ったんですよね。地域課題解決のためにチャレンジする人材を増やすと聞き、何をやるのかイメージがついていなかったけれど、やってみよう!って思っちゃったんです。矢田さんが地域をダイナミックに縦横無尽に駆け巡っている様子を感じて、なぜかすごくワクワクしてしまったんです。学生時代に憧れていた働き方は、これじゃないかと思いました。

コミュニティナースやユース出雲の取り組みに受けた影響や、可能性を感じていることがあれば教えてください。

おっちラボの仕事を始めて気づいたのは、段取りを組んで、決められたことをきっちりやるよりも、即興的にその場にあるものを活かしながら地域に必要なものをつくる方が自分に合っていたということです。そのことに気づいたとき「マニュアル通りに生きることは人を安心させるかもしれないが、人の力を削ぐ」って思ったんです。「このようにせねばならない」「生きねばならない!」そんなマニュアルの「よりべ」が心からなくなったとき、「自分から心からやっているか?」に従って、エネルギーが最大化されるんじゃないのかと思うんですよね。

だから「赤信号、みんなで渡ってみてもいいんじゃない?」というような連帯が生まれる場所になっていってほしいと思います。「学校が、親がこうだから難しい」ではなくて、「自分の心が、美学がこう言っているからこうしたい!」と思っている人が集える場所になったらいいなと思うし、おっちラボも、そのような人たちの応援者でありたいと思うので、応援しています!!

これから関わるユース世代にメッセージがあれば教えてください!

大人が言っていることはコロコロ変わります。
だから、自分が尊敬できると思える、信じたい人の姿勢、言葉を、信じてください。親が〜…先生が〜…と言うけれど、「あなたはその人を、信じたいのか?」と自分に問いかけてみてください。
すごく勇気のいることだと思うけれど、「信じたい」の連続で形成される「信じたいセンサー」はあなたの心のエネルギーの支えになってくれると思います。
わたしたち大人より、若者のほうが可能性があると思います。応援しています!!!

▽NPO法人 おっちラボ

若者応援サポーター募集!

プロジェクトの詳細は、以下のリンクからご覧ください!


インタビュアー ひびき
愛媛県出身。能登地方で夏は塩づくり、冬は酒造りの季節労働でお金を稼ぎながら、田舎暮らしで、生きる知恵を身に着けている20歳。塩づくりがはじまるまで、コミュニティナースカンパニーのお手伝いをしている。


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