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私と、チバユウスケと、The Birthdayと、ミッシェル・ガン・エレファントと。

そこまで熱心なファンでもなかったのに、長文の追悼文を書くのはどうかとも思ったが、いろいろ悩んだ末、やっぱり書き残しておこうと思う。
殴り書きした結果、話がそれて、フジイケンジとウエノコウジの話ばかりしているパートがあるが、ご容赦いただきたい。

私が初めてチバユウスケの声を聴いたのは、中学2年生の冬。
当時よく聴いていたラジオ番組で、The Birthdayの「さよなら最終兵器」が今月のヘビーローテーションに選ばれたのだった。

「日本にはこんなにかっこいい声のボーカルがいるのか!」と、私は衝撃を受けた。
そこから過去の楽曲をさかのぼり始め、The BirthdayとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの有名な曲はまあ分かる程度のライトなリスナーになっていた。

2013年の7月に放送された「ダイノジ大谷ノブ彦のオールナイトニッポン」でのミッシェル特集(ゲストがとーやま校長だった)に意気揚々とメールを送り、採用された記憶があるので、その頃にはまあまあミッシェルのことが好きだったと思う。

チバユウスケ当人の話からは若干それるが、2013年の10月からバスデのギタリスト・フジイケンジがDJを務める「フジイケンジのすてきなあなたに」という番組が、フジケンの地元である広島FMで始まった。
私は番組放送開始から、大学進学を機に広島を離れる2016年3月頃までこの番組を聴いていた。
そして、なんと初回放送でメールを読んでもらった。

また2016年1月に、地元イオンモールのサテライトスタジオで生放送をしていた「庄司悟のリクエスト魂」という番組に、フジケンがゲスト出演する機会があった。
当時受験生だった私にとって、その日はセンター試験前日。
私は親に「学校で夜遅くまで勉強する」と嘘をつき、番組に「あしたセンター試験なんで、頑張って!と言ってください!」というメールを送って、公開生放送を見に行った。

私はフジケンに、「本当にこんなところにいて大丈夫??」と真っ当に心配され、その上でフジケンに「頑張って」と言ってもらった。
ちなみにセンター試験はめっちゃ失敗し、志望校には落ちた。
マジでフジケンごめん。

高校生の頃から頻繁にライブハウスに行く許可が降りるような家庭ではなく、この時点では公開生放送でフジケンがしゃべる姿を見ただけで、チバも、キュウちゃんも、ハルキも、まだ生で拝んだことはなかった。

大学生になったら、いつかバスデのライブに行くんだ。
その思いを胸に、私は上京した。

しかし、人の気持ちというものは移ろいやすいものである。
大学入学後、私はロックではなく渋谷系の音楽に傾倒した。
たまにふと思い出したかのようにミッシェルを聴くことはあったが、バスデの新曲やライブの動向などは正直全く追っていなかったように思う。

転機が訪れたのは、大学4年生になった2019年の8月。
毎年参加しているサマソニ大阪公演に、バスデがラインナップされた。
22歳の夏、私はやっと初めてバスデのライブを見た。

とんでもない歌が 鳴り響く予感がする
そんな朝が来て俺

くそったれの世界/The Birthday

静寂の中、舞洲アリーナにチバの声だけが響く。
一発でノックアウトされた。
なんで今まで忘れていたんだろう、この最高のロックンローラーのことを。

「サマソニ大阪、きょうはお前らと一緒だ」。
そのチバの言葉を合図に「涙がこぼれそう」が披露される。
あまりのカッコ良さに、奇声をあげそうになる。
いや、実際あげていたと思う。

隣の若い男性が、「チバさん!抱いてーーーー!」と絶叫する。
お世辞にも行儀のいい発言とは言えないが、一瞬でチバの虜になってしまった私には到底非難できない。

フェスなので、披露された楽曲は9曲とコンパクトだった。
しかし、ギターボーカル・チバユウスケ、ハンドマイク・チバユウスケ、赤いマラカス・チバユウスケ、ハーモニカ・チバユウスケと、様々な形態のチバユウスケを、私はこの目に収めることができた。
どれもとんでもなくかっこ良かった。
特にハーモニカを吹く前、2回ぐらいチバがハーモニカ舐めた姿を見て、思わず卒倒しそうになった。

ラストに披露された「OH BABY!」は、サビで「OH BABY!」のみを連呼するのシンプルな楽曲だった。
世界一かっこいい「OH BABY!」だった。

30分強のステージで、私は一気にチバユウスケの虜になった。
新アルバムを購入し、10月のツアーのチケットも取った。
しかし残念ながら、ツアーは急用が入り、泣く泣くチケットを手放した。

ミッシェル熱も再熱した私は、まずちょうど復刻していたギタマガのアベフトシ特集ムックを購入した。

そして翌月、下北沢GARDENに武藤昭平 with ウエノコウジを見に行った。
ウエノさんを生で見るのは、2013年のサマソニ大阪で見たthe HIATUS以来だった。
なにげにミッシェルメンバーで、初めてライブを見たのがウエノさんなのだ。

下北沢GARDENの案内
本当のお目当てはSOLEILちゃんだった(小声)(渋谷系のオタク)

アコベを弾くウエノさんは、個人的にとても新鮮だった。
また、アコギでドラムソロを披露する(何この文字面)武藤さんの姿も印象的だった。

ライブ後、物販でCDを購入すると、ウエノさん武藤さんがサインをしてくれ、お写真も撮れるとのことだった。
新譜を1枚を買いたいと伝えると、ウエノさんは「え~~うれしい~〜〜」と、上機嫌でお返事してくれた。

ムトウエのサイン入りCD
ムトウエのサイン入りCD

ちょうどその月は、地元AMラジオ局でアンガールズがパーソナリティーを担当しているカープ番組「カーティスト」に、ウエノさんがマンスリーゲストで出演していた。
「毎週楽しく聴いています!私も広島出身なので、ウエノさんの広島弁がたくさん聴けてうれしいです」とお伝えした。
するとウエノさんは、「えーほんま!?あれRCCじゃろ?どうやって聴いとるん?……あー!radikoか!!(自己解決)」と、おっしゃった。
あのウエノコウジが私に広島弁で話し掛けてくれたという事実に、帰り道涙が止まらなくなった。

閑話休題。
バスデのツアーには残念ながら参加できなかった私だが、11月にチバだけをライブで見る機会があった。
それが、今はなき新木場スタジオコーストで開催された、スペースシャワーTVが主催する東京スカパラダイスオーケストラのイベントだった。

TOKYO SKA JAM "8"
TOKYO SKA JAM "8"

「ゴッドファーザー 愛のテーマ」から、間髪入れずに「カナリヤ鳴く空」が演奏され、袖からグラサンをかけたチバが登場した。

何度も何度も聴いた「カナリヤ鳴く空」が、全員そろった完全な状態(冷牟田さんはいないけれども)で演奏されている事実、それをこの目で目撃できた事実に、思わず胸がいっぱいになった。

スカパラの欣ちゃんとチバは、明治学院大学のバンドサークル「ソング・ライツ」で活動を共にしていた。

学生時代一緒に住もうとしていた茂木欣一とチバユウスケ
学生時代一緒に住もうとしていた茂木欣一とチバユウスケ
大事なことなので、もう一度書く
学生時代一緒に住もうとしていた茂木欣一とチバユウスケ

MCでは欣ちゃんが、「大学時代からチバはチバが愛称だった」「チバの実家で、チバ母が作ったおにぎりを4つ食べた」といった、大学時代のチバとのエピソードをたくさん話してくれた。
そんな欣ちゃんをチバは「もう曲にいこうよ」と、照れを隠すかのように制していた。

その後グラサンを外したチバは、当時の新曲「¡Dale Dale! ~ダレ・ダレ!~ feat.チバユウスケ」をスカパラと披露し、ステージを去った。

アンコール最後に、イベントのゲストボーカルが全員集合した。
チバは黒いハットをかぶって、ステージに戻ってきた。

最後に披露されたのは、当時はまだラジオでしか音源が解禁されていなかった「Jamaica Ska」。
音源では10-FEETのTAKUMAさんが担当するデスボイスパートをチバが歌う姿に、かなりの衝撃を受けた。

ライブ終了後、チバは黒いハットを手に持って観客に手を振り、挙句の果てには投げキッス繰り出した。
会場からは悲鳴が聞こえた。
私は声にならない声をあげた。

悔やんでも悔やみきれないが、これが私がチバユウスケを生で見た最後の日となってしまった。

また話がそれるが、その数日後に、私はJ-WAVEが毎年主催しているベースの日のライブを見に行った。
お目当てはウエノさんだった。

ウエノさんはMCなしで、洋楽のカバーがノンストップで11曲披露した。
センターでベースを弾くウエノさんの珍しい姿を私は目に焼きつけた。
さながら「ウエノコウジワンマンライブ」だった。

その後トークパートがあったり、後輩のパートに飛び入り参加したりと、ウエノさんのいろいろな姿を拝むことができた。
ウエノさんがプレベ以外のベースを弾く姿が、とても新鮮だった。
トークパートでは、私が質問ボックスに投函したものが最初に読まれて、とてもうれしい気持ちになった。

この月の下旬には、チバの写真展「潮騒」にも足を運んだ。

チバユウスケ写真展「潮騒」
チバユウスケ写真展「潮騒」
チバユウスケ写真展「潮騒」
チバユウスケ写真展「潮騒」

写真展に行き、「2020年こそ、バスデやウエノさんのライブをたくさん見に行くぞー!」と改めて意気込んだ。

その後、世界中を新型コロナウイルスの猛威がふるい、ライブやイベントが開催されない時期が続いた。
ライブに行けなくなったことが影響してか、2020~2021年あたりの私は、あまり音楽を聴かなくなってしまった。
コロナをきっかけに、聴かなくなってしまったバンドがたくさんいる。
とても申し訳ないことに、バスデもそのうちの1バンドだった。

2021年に行われたサンバーストのツアー。
11月5日に広島クラブクアトロ公演も行われていた。
(私事だが就職を機に、2020年2月をもって東京から広島にUターンしている。)
バスデが新譜を出したのも、ツアーで近場に来ることも知っていた。
しかし、私はサンバーストを聴くことも、ツアーのチケットを取ることもなかった。

そんな私が再びバスデの曲を聴くようになったきっかけは、ミーハー過ぎて恐縮だが、THE FIRST SLAMDUNKだった。

ハルキのベースから楽曲が始まり、キュウちゃんのドラムがのっかり、フジケンのギターが加わって、チバが歌い出す。
圧倒的なイントロのかっこ良さに魅了された。
フジケンのギターソロも最高だった。

私はなんでこんなにかっこいいバンドのことを忘れていたんだろう。
次にツアーが開催されたら、絶対にチケットを取ろう。

そう決意した数カ月後、チバが食道がんの治療のため休養することが発表された。

このショックは、自分が持ち合わせている言葉では当然表現できなかった。
チバは本当に戻ってこられるのだろうか。
不安で不安で仕方がなかった。

そう一人不安に思っていた夜に、チバと同じく食道がんを患った後、復帰を果たした武藤さんの投稿に救われた。
「大丈夫」。
そう信じながら、チバの復帰を待った。

9月には中津川ソーラーで、4年ぶりにウエノさんの演奏を拝見した。
吉川晃司バンドでの出演だった。

ウエノさんは遠目で見ても、相変わらずかっこよかった。
私が一番好きな日本人ベーシストは千ヶ崎学さんなのだが、一番かっこいいと思うベーシストとはウエノコウジだなと、改めて思った。
今回見たのはフェスだったので、吉川さんのワンマンを見に行きたいなと思った。
広島公演では、吉川さんと一緒にとんでもねえ訛りでMCを行うのが恒例らしい。

久々にムトウエのライブも見たいなと思った。
ウエノさんの地元ということもあり、コロナ禍でも頻繁に広島でライブを行っていたようだった。

2023年は、たくさんの大物ミュージシャンが亡くなった。
そのたびに、脳裏でチバのことが頭をよぎった。
チバまで逝ってしまったらどうしよう。
そんな最悪な不安に襲われるたびに、武藤さんの「大丈夫。」という言葉を思い出した。

2023年12月5日正午。
大好きな劇団から、春にプロデュース公演を行うとの発表があった。
私はそのうれしさを投稿したくて、SNSを開いた。

ひとしきり喜びを投稿した後、タイムラインにThe Birthday公式アカウントの投稿が流れてきた。
その投稿には、長文が記された画像が添付されていた。
中身を読む前から、嫌な予感しかしなかった。

職場だったので、泣きはしなかった。
一人でいたら、どうなっていたか分からない。
訃報を知った他部署の先輩が、「GT400」を歌っていた。
頭が混乱していたのと、最近そこまでミッシェルを聴き返していないことも相まって、とっさに曲名が出てこなかった。
そんな自分に嫌気がさした。

大学時代、2021年。
バスデはたくさんライブを打ってくれるバンドだから、ライブに行くチャンスは何度だってあったはずだ。
私は2回しか、チバユウスケを生で拝むことができなかった。
後悔したってもう遅い。

その日は早々と仕事を切り上げた。
ラスへブのライブ音源を聴きながら、前々から席を予約していた映画を見に、ショッピングモールへと向かった。
足取りは重かった。
映画は面白かったが、「見るのがこの日じゃなかったら、もっと純粋に楽しめたんだろうな」と思った。

2023年は、たくさんの大物ミュージシャンが亡くなった。
大変恐縮ではあるが、実際問題私にとっては年齢的に、直撃世代ではないミュージシャンがほとんどだった。

めちゃくちゃ失礼ながらパターン分けすると、

  • 世代じゃないしては割と分かる方だし、亡くなったことに対して悲しみはかなり感じるけれども、そこまでがっつり通っていたわけでもなく……(ツネさんやKANさんなど)

  • 有名な楽曲数曲しか知らない

  • 名前しか知らない

  • 本当に申し訳ないが、名前も知らない

以上の4つのいずれかだった。

チバについても、26歳の私にとっては正直直撃世代とは言えない。
だから、もし自分がラジオリスナーじゃなかったら、どこかで人生の歯車が狂っていたら、私はチバの音楽を聴く機会がなかったかもしれない。
「チバユウスケさんですか。スラムダンクの曲は知っていますが……」という人間になっていた可能性は、ゼロではない。

ミッシェルやバスデの曲をそんなに聴いていない空白期間があったことも、ROSSOについてはいまだにあまり聴いたことがないことも、バスデのライブに2回しか行けなかったことも、ワンマン公演を見に行かなかったことも、本当にめちゃくちゃ後悔している。
後悔してもしきれない。

しかし、生でチバの歌声を2回聴く機会に恵まれて、本当に良かったとも思っている。
1997年生まれの私は、どう頑張ったって、ミッシェルを、アベフトシを、生で見ることはできなかったのだから。

ファンであるとは全くもって声高には言えないが、6,000字超えの追悼文が書ける程度には、私の人生にチバユウスケの存在は刻まれている。
この表現が適切とは全く思わないが、チバの訃報をちゃんと自分事として悲しむことができて、心から良かった思う。

チバさん、
ずっと勝手に呼び捨てにしていたので、さん付けは慣れません。
天国でアベには会えましたか?

私はこっちの世界で、ウエノさんの、キュウちゃんの、フジケンの、ハルキのライブを、これからたくさん見ていきたいなと思っています。

あなたに出会えて良かったです。

スカパラをバックに歌うチバ
あなたの側で、生きてる音楽。

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