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ともすれば生まれなおし

いま思えば、私はかなり早い段階で自分を諦めていたのだと思う。「私自身」が持ち得ているものはとても少なく、何かを身につけることで武装しようとして懸命に走っていた気がする。勘違いされることも多い人生だった、妙に目立ってしまうから。好きなことを楽しみたいだけだったけれど、「得をする側の人間」として扱われる機会も度々あった。本当はいつもなんだか物悲しく、なんだか寂しく、切なかったけれど、そういう部分を拾ってくれる人は実際少なかった。

見せてこなかった自覚もある。他人のせいにしたけれど、そもそも放出する強さが私にはなかった。がっかりされるのが怖いから、ひとまずはとにこにこやってきたのだ。時として「この人になら話してもいいかも」という瞬間が訪れたけれど、抱え込む癖がついていた私には上手に外へ放つことができず、思ったように伝わらない虚しさで余計に傷ついたりした。

泣き虫だったのに、大学生になった頃から人前では涙が出なくなった。感情の波が一定の線を越えるよりも先に、もう一人の自分が客観的に自分を見つめるようになったからだ。心の動きに呑まれやすかった私にとっては生きやすくなったわけだが、水面を揺らさないように些細な痛みには目を瞑り始めたとも言える。

その頃から自分をそのままに委ねても大丈夫だと思える出会いが増えて、いい意味で鈍くもなり、だんだん自身の底の方まで晒すことができるようになった。意識的に出そうとしなくとも勝手に溢れることもあった。感情の揺れ動きを静かに止めていたこれまでが崩れ始めたのだと思う。

先日、初めてパートナーの前で泣いた。
大人になったばかりの頃、友人と思っていた人からひどい裏切りを受けた。私の人生でも最も恐ろしく、声を失うような経験だった。心も身体も忘れることができなくてフラッシュバックを数年の間繰り返した。
時が経ち、痛みは大分薄れたつもりだったけれど、パートナーと一緒にいる時にふいに蘇り小さくパニックを起こしてしまった。事の経緯はひとつも話せなかったけれど、内側で起きている嵐を全部包むように抱えてくれた。どれほど願っても手に入らないと思っていた"癒し"の時間だった。傷痕を誰にも見せずに一人で忘れることに努めようと諦めていたのに、痛かったねと撫でてくれる人がいる。生きてきた中で一番安心した気がした。

肩に力をいれなくとも、生っぽい感性で付き合っても、居心地良く共に暮らせる人がいるということを今更知った。そうして何を焦ることもなく、ようやく諦念とは無縁で自分を受け入れられるようになってきた気がする。長い道のりだった、だけど私はまだ三十年も生きていない。

ここからなのだと思う、私はまだここから進むのだ。そしてきっとまた自然な流れで変化していく。その変化を受け止めたり反発したりすることで柔らかくも硬くもなれるのだろう、顧みれば今までがそうだったから。人間みなひとりぼっちだと骨身までわかったうえで、一緒に歩く人を信じ続けていよう、そして私のこともどうか信じてもらおう。そういう自分でいたいのだ、今は明るく想う。

日が長くなってきて春がそう遠くないことを感じる。苦手だった年の瀬を嬉しいままに超えた私、出会いと別れの代名詞である春を今年こそうららかに迎えたい。

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