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(103)「自己犠牲の愛」はあるのか?③

「学び」と「気づき」の拒絶

本当の理由は
②「経済的に夫に扶養してもらわないと生きていけない」が本音。

「離婚して自分が働いて生計を立てていく」ことと「夫に従い耐え忍んで生きていく」ことを天秤にかけて後者を取った。そのことを「正当化」しなければならないので「自己犠牲の愛」などと屁理屈を言っている。

その「矛盾」を私の親しい友人が、
"なんかおかしい??? "と思った真意と思う。

彼女の夫はそのことを見抜いている。夫の頑固さを強めたのは彼女自身。
なぜ「夫がルール」になったのか?
物質的にも、精神的にも、妻が夫に「どっぷり丸投げ人生依存」をしていたからだろう。
「夫」は妻と子供が重たかった。

そして妻が「自分(夫)の心」を救ってくれる存在ではないことへの「苛立ち」が「妻や家族を虐げる行為」に姿を変えた。
夫は心が強くないので、妻に「精神的よりどころ」を求めていた…ができなかった。一つは男のプライドから。もう一つは、妻がそれだけの懐の深い人間ではなかった。(そもそも…人間は皆心が弱いし生まれつき心の強い人なんていない。努力して克服していくもの)

ところで、なぜ彼女が
「自己犠牲の愛に満足」に走ったのか?

そこを違うと言ったら、
彼女の生きてきた人生全てが「全否定」されることになる。「自己犠牲の愛が成立」することによって、彼女は今生「自分の存在理由」の着地点を見出すことができ「正当化」できるからだ。

私から言わせるとただの「論点のすり替え」。
「私は悪くない」という、これも形を変えた「承認欲求」。彼女は好きでその立ち位置にいる。
だからそれでいい。
彼女はかわいそうでも薄幸な境遇でもない。
自分から不孝な境遇に「悦に入っている」だけだ。

すなわちお嬢さんを「心身症」にしてしまった超本人は紛れもなく「彼女」だ。

しかし私にはこの夫婦「似たもの夫婦」にしか見えない。双方が相手に対して「足りない。足りない。」と不満しか言わない。お互い「自分のこと」しか考えていない。この夫婦はその「学び」と「気づき」をお互いを拒絶しているのでいつまで経ってもこの状況から抜け出せない。

本気で相手に
と伝えてみたことがありますか?
「あなたのおかけで私と子どもたちは生きることができます。あなたにいつも感謝しています。ありがとう。」
と。

続く

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