f-t-note
ショパンのピアノ曲を弾いていて、よく出会う調性に、主題が深刻で鬱々とした短調なのに、中間部がお花畑のような天上の長調、という曲が多いと漠然と感じていた。 子供の頃に習った♫ポロネーズ1番Op.26-1もその一つで、cis-mollの主題の後にDes-durの中間部が続く。つまり、シャープ4つのショパンらしい短調から異名同音のド♯を軸にレ♭に切り替わった後のフラット5つの長調の調性を味わう時にそれを感じていた。Des-durを弾いているときは黄金色に輝く麦畑のような草原が頭に
この夏、ロンドン・パリまで往復フライトして、両国間の国境は列車で越える旅をしたので、記録しておきます。 ⬜️ 羽田空港〜ロンドンヒースロー空港〜ロンドン市内 羽田空港では滑走路が複数本あるせいか、ひっきりなしに離発着する飛行機を展望デッキから眺める事ができた。当日は西向きの着陸と南向きの離陸が重なり、旅の始まりに心踊る風景だった。 国際線専用の第3ターミナルは、京浜急行の専用駅から降りてすぐ、とアクセス性が抜群によく、数年前に成田空港でNEX(成田エキスプレス)を降りて
連日の37℃に至る酷暑の東京を出て、最低気温18℃のパリに着いた夏のある日、私は前後の事情からほんのわずかの時間でしかなくなったパリの滞在時間で、ショパンの居所(跡)を探す小さな旅に出た。 F.F.ショパン(1810-1849)のピアノ曲の作曲年を手掛かりに「この場所であの曲が書かれたのか」と気ままな想像をする事で、次にその曲を弾く時に訪れるであろう、頬に感じるわずかな風の色合いの変化を期待したいのである。 ⬜️ ヴァンドーム広場 ショパンの住んだ時期 : 1849年
僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)〜(13)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝しています。 さて今回はこの連載のトビラ写真の曲を弾くに至った経緯です。 ショパンのワルツを弾いてピアノが面白くなってきて、次はポロネーズでした。 1番を習い始めて、こんなにも力強いショパンがあるとは!と驚きました。 その次に3番:通称「軍隊ポロネーズ」を習い、気分をのせて弾けるようになっていく、という感触を持ち始めてい
僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)〜(12)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝しています。 さて、中学生高校生の頃に習っていた曲を、この先数回に分けて紹介していこうと思います。 ショパンのワルツに続けてノクターンなどはやらず(ポロネーズは少しやりましたが)、他の作曲家の曲を先生は強く勧めて下さいました。 その中でも、出会いが印象的だったのはブラームスです。 当時、正直、”だれ?”という感じで、も
またまたしばらくぶりです。 僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)〜(11)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝しています。 今回は文章だけです。 2年ほど前ですが、上の子がソナチネアルバム1に進んだ時、僕は内心「簡単〜」と思ってました。(彼は苦労してました。)彼の楽譜を借りて巻頭解説を読むと、ソナタ形式とは、ということが詳細に説明されていました。 衝撃を受けました。 僕はピアノを何年もやってきた
またまたしばらく間が空きましたが、この連載、再開します。 僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)〜(10)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝しています。 さて、中学生にもなり、アイデンティティの確立と共に(?)、ピアノへの取り組みも”イヤイヤ弾かされている”、から「面白いなー」と思えるように変わって、小学生の時とはだいぶ弾き方が変わったように思います。曲の雰囲気や旋律から作曲者の事を意識するようになっ
しばらく間が空きましたが、この連載、ボチボチ再開します。 僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)〜(9)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝しています。 さて、小学生の時のピークは多分小3から小4で、メンデルスゾーンの無言歌集を少し弾いて、”なんて美しいんだろう”と思っていたら、”ショパンはもっといいのよ”の旨、先生からお話あり、ショパンのワルツも少し弾いた気がします。 その後は鳴かず飛ばずでしたが、
僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)〜(8)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝しています。 さて、(5)(6)でお話したところの経緯があって、”素養としてのピアノおけいこ”、に進路を決めたわけですが、このnote記事では再度、具体的に習っていた曲から思い出になっている曲をワンシーンずつ、記憶の糸をほぐしながら書いていきたいと思います。 1バッハ 2ツェルニー 3ピアノソナタ 4近現代 5連弾
僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)〜(7)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝しています。 小学校時代の話はもうちょっとあるのですが、前回ふれた中学でのクラス合唱祭?の話に入る前に、そもそもの中学進学の話をします。 僕はいわゆる中学受験をして、中高一貫校に進学しました。 中高一貫校に青春の6年をかけて通うというのは、その人の人生の半分以上を決めてしまうものなのですね、と改めて思います。で、中学生時
僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)〜(6)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝しています。 さて、僕のピアノは”素養としてのおけいこ”、に定まったわけですが、学校ではクラス単位で合奏や合唱をする機会がありました(30年以上たった今でもあると思いますが)。僕は小学校4年生から高校2年生まで、いつもピアノ伴奏に立候補して、友達との間のコンペで負けない限りは弾いていました。 中学・高校ではライバル多く(そ
僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)〜(5)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝しています。 さて、前回、進路を決めたヤマ場だったわけですが、もうひとつ、その頃の脳裏に焼き付いているシーンをお話したいと思います。 ピアノレッスンのお教室の発表会に、”聴きに”行った話です。 小学校3年生くらいの頃(わけもわからずツェルニー30番弾いててーー演奏速度は遅いーー)か小学校4年生の頃(ピアノソナタ系の教材が
僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)(2)(3)(4)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝しています。 さて、 小学校4年生の時だったと思います。東京藝大、という名前を聞いたのは。 そこを目指して本格的にレッスンしていきますか?と僕と母に先生から問いがあったように記憶しています。即答したような一週間後に回答したような、いずれにせよあまり時間はかけずに、「その方向は考えてません」と母が先生に言ったのは
僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)(2)(3)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝しています。 さて、今回は具体的に習っていた曲から思い出になっている曲をワンシーンずつ、記憶の糸をほぐし(ほつれさせ?)ながら書いていきたいと思います。 1バッハ 2ツェルニー 3ピアノソナタ 4近現代 5連弾 の5冊を同時にやっていた話は(1)話(2)話で紹介しましたが、その中の3に属する「ソナチネ」からの
僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)(2)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝です。 さて、今回はピアノの先生の家まで毎週通うのがたいへんだったという話です。今でこそ、ご近所まで歩いて通ったり、マイカーで片道15分くらい親が送ったり、ずいぶんラクしてるなー、と自分の子供達を見て思います。 僕の場合は片道1時間以上かけて通っていました。自宅からバス停まで徒歩10分?バスで駅まで20分?国鉄!に乗って4駅
僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)』たくさん読んで頂き感謝です。♡も、どの記事よりも多く、びっくりです。 さて、B5ノートに毎週書いてレッスンに持っていった、 1 バッハ 2 ツェルニー 3 ピアノソナタ 4 近現代 5 連弾 の5曲ですが、記憶にある1〜3はこんな曲集を使って進んでいきました。 1 こどものバッハ(という名前だった気がする) →インヴェンション →シンフォニア