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クラシックピアノを習っていた頃(8)〜 中学進学 編〜

僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)〜(7)』たくさんの方に読んで頂き、♡も多数頂き、感謝しています。

小学校時代の話はもうちょっとあるのですが、前回ふれた中学でのクラス合唱祭?の話に入る前に、そもそもの中学進学の話をします。


僕はいわゆる中学受験をして、中高一貫校に進学しました。

中高一貫校に青春の6年をかけて通うというのは、その人の人生の半分以上を決めてしまうものなのですね、と改めて思います。で、中学生時代、成績はほぼ最下位、というのは、小6の時に通ってた塾でも特進クラス所属とはいえ、毎回最下位だったからなのです。

塾には小5と小6、毎週土曜午後と日曜に国鉄!(また出た!)に乗って県を超えて通ってましたが、1時限目がテスト、2時限目がその解説、という変わったスタイルで、つまり習ってないところがテストに出て、順位が付くという、(なんでみんながテスト解けるのか?)最初は謎でしたね。

で、一ヶ月分のテストの結果で塾内順位が出るという、そのテストで毎月クラス最下位。まぁ、団塊ジュニア世代ですので、いくらでも駒はある、どんどんふるいにかける、という感じでしたね、塾は。

で、いよいよ中学受験の願書を出す時、当時全国で数えても上から10本の指には入る進学校を受ける、ということになり、塾の進路指導の先生からは「絶対に受かりマヘン!」と太鼓判を押してもろたんやけど、結果、たぶん最下位で合格しました。

不得意な国語が、受験当日だけはかつてなく点数が取れたのだという手応えはありました。現代文読解でタイトルは「富士山とフジツボ」。面白い話でした。やけにはっきり覚えています。


さてさて、そんなわけで、中学生になってからは、浮かれた気分で毎日、国鉄!とバスを乗り継いで片道1時間半、重いカバン持って通いました。今思うと週に6日もよく通ったなぁ、と思います。


部活は、硬式庭球部。(ぜんぜんピアノ出てこないですネ)

小学校の時、走るのが遅くて(最下位)、鉄棒もマット運動も、もちろん球技なんて何一つできなかった、通知表も5段階で2しかとったことない、というのがコンプレックスで、運動部に入部。で、テニス部の下積みの常識ですが、一年間はボールは打てないし、うさぎ跳びとか、数キロのランニングとか、そんなんばっかり。当時のことなので進学校でも、先輩による後輩いじめは日常茶飯事でしたねー。

でもね、僕はピアノはやめなかったんですよ。小学校の時はいつか辞めてやる、と思っていました。でも、母が恐くて言い出せませんでした。ところが、中学生になると、音楽が少しわかってきて、弾けるピアノ曲も増えて、たぶん楽しくなってきたんでしょうね。ほぼ毎日PM8〜9はピアノ練習の時間なのは変わりませんでした。


それでは、今日はここまで。お付き合い下さりありがとうございました。

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