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好きな調性

ショパンのピアノ曲を弾いていて、よく出会う調性に、主題が深刻で鬱々とした短調なのに、中間部がお花畑のような天上の長調、という曲が多いと漠然と感じていた。

子供の頃に習った♫ポロネーズ1番Op.26-1もその一つで、cis-mollの主題の後にDes-durの中間部が続く。つまり、シャープ4つのショパンらしい短調から異名同音のド♯を軸にレ♭に切り替わった後のフラット5つの長調の調性を味わう時にそれを感じていた。Des-durを弾いているときは黄金色に輝く麦畑のような草原が頭に浮かぶ。♫子守歌Op.57を弾いても同じ光景が浮かぶ。

Op.26-1 主題
Op.26-1 中間部
Op.57

大人になってピアノを再開した時に習った♫幻想即興曲Op.66がOp.26-1と同じ転調の変遷を辿る事を知った時に、それを理屈で考えれるようになって、漠然とした想いに裏付けを得た。

Op.66

ところで、このフラット5つの調性は、短調のb-mollだと滅法難しい、というか掴めない。こういう、平行調になると途端に弾きにくい(私が苦手なだけ?)調性というのはあるなぁと思う。♫ノクターン1番Op.9-1は弾きやすい方だけど、感覚で鍵盤を抑えに行くとものすごい外し方をするので要注意と思っている。

Op.9-1


で、最近気付いた事があって調性についてツラツラ書いていこうと思う。

話をb-mollに戻して、それをその主音のまま長調にするにはシャープを3つ追加すればいいので(私の楽典の覚え方)フラットが5-3=2個の調性、即ちB-durになる。これはまた天上の調性で、雲上の明るさの曲が多い様に思う。
でも、フラット2つが明るいのではない。平行調のg-mollになると、それこそ大地が割れんばかりの慟哭を聞く事になり♫バラード1番Op.23はその典型だと思う。Ⅴ7(属七、5度セブン)のレファ♯ラドからⅠ(1度)のソに落ちる音形の連続は身に切々と迫るものがある。

Op.23

ところが、その同主調のG-durはもう、5線譜にシャープが1個だけ乗っているのを見るだけで素朴に明るい気持ちになれる。
のに、シャープ1個の短調というのは、主音が3半音降りる(短3度降りる、とはあまり言わないだろうが私はそう覚えている)ので単にミとなり、e-mollとなる。この調性の悲劇性は凄まじくて♫ピアノコンチェルト1番Op.11第1楽章が一例に挙げられると思う。なお、この曲は中間部の2回目がさっき取り上げたG-durで奏でられ、それが現れるところなんて本当に美しいと思う。

Op.11 冒頭の辺り
Op.11 2回目の中間部

そして、こうやって主音を辿る旅も最終節、E-durとなる。
♫エチュードOp.25-5は跳ねる音形におどろおどろしい悲劇を載せるe-mollの冒頭だが、中間部はシャープを3つ加えて、全てに許しを与えるかのような旋律のE-durとなる。

Op.25-5 主題
Op.25-5 中間部

この調性はシャープが4つあるが故に鍵盤楽器では2と3の指、3と4の指がセットで自然に黒鍵に載り、極めて自然な長調の音階を奏でるように思う。メンデルスゾーン無言歌集の第1曲目Op.19-1も終始E-durのアルペジオの上に歌が歌われる所が普遍的な人気のある曲である理由だと思う。

メンデルスゾーン Op.19-1

E-durの平行調はcis-mollであり、ここでこの話の先頭に帰着する。

シャープやフラットの数を変えずに主音が3半音降りる事で長調から短調に移って、そこで主音を変えずにシャープを3つ加えて短調から長調に移って、を繰り返しているのだから、辿ってきた主音を並べると、ド♯(レ♭)ーシ♭ーソーミと下がるディミニッシュコードになるのはディミニッシュの定義そのものだから何の不思議もないのだが、楽典は独学の私が勝手な事を言うのを許してもらえれば、このディミニッシュコード(下からレ♭ミソシ♭)こそ、ショパンの多用する響きのような気がする。そして決してそれはドミ♭ソ♭ラでは無い気がする。