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どんな環境でも時間は未来にしか進んでいかない。Netflixオリジナル作品「ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」鑑賞記録。


作品概要


2020年Netflixオリジナル作品。

「ヒルビリー・エレジー: アメリカの繁栄から取り残された白人たち」
という、J・D・ヴァンスによって執筆された原作が元となる本作。
ロン・ハワード監督、エイミー・アダムス、グレンクローズ主演作品だ。


あらすじ

主人公であるJ.D.ヴァンスは名門イェール大学に通っている。母の世話のため、自分の生まれ故郷に帰ることを強いられる主人公。忘れたいと思っていた過去を否が応でも思い出してしまい、過去を回想しながら、現代との2つの時間軸で物語は進みます。シングルマザーである母と、主人公、彼の姉。母は男性に振り回されてばかりで、薬物にも手をだし、終始精神状態は不安定。そんな母の姿から目を背けるように、徐々に非行に走りそうになる主人公ですが、近所に住む祖母と暮らし始めるようになり、イェール大学に進む現代へと話は繋がって行く。

「生まれる環境を人は選べない。」

女三家族で住み、祖父母に育てられながら母子家庭で育った私には刺さりすぎるフレーズだった。

破天荒の代名詞では?と思われるような父を持つ私も、主人公のJ.D.ほど賢くはないが、母と祖父母に支えられ、私立大学を卒業し、一般企業へ営業職として就職して約2年が経つ。

母の教育に背き、祖父母の人生アドバイスを聞き流していたら、本作中の言葉を借りると、私も道を誤っていたかもしれない。(何を持って道を誤まると言うかは定かではないが)

いわゆる生まれ育った環境というのは、良くも悪くも人生を左右しかねない大きな要因になり得る。

今回紹介する本作を紹介するに当たって、昨今、文学・映像作品共にテーマとして扱われることの増えた「毒親」について少々触れたい。

「毒親」というワード自体は米スーザン・フォワードによって生み出されたもので、今では広く浸透している概念のよう。(※学術的概念ではない)

恐らく、親が子にとっての絶対的な存在であった時代から、子供も親に対して権利を主張できるようになった時代への移り変わり。

子どもが親を訴えると言った訴訟もあるくらい、人間それぞれが自身の権利や多様性を認めて自覚し、主張できるようになった時代に私たちは生きている。

親子である前にそれぞれがひとりの人間であるということ。

これまではタブー視されていなかった親子関係のあり方にスポットが当たり始めてきたのだろう。


ここで、近年、上記のような話題を題材にした作品の中でも印象的だったものをいくつか。

「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」 2017年 アメリカ

クレイグ・ギレスビー監督、マーゴット・ロビー主演作

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マーゴット・ロビー演じる、実在のスケート選手トーニャ・ハーディングの生涯を描いた本作。

天才であるが故の彼女自身の苦悩はもちろん、彼女を取り巻く絶望的な周囲の環境にも注目だ。特に、物語序盤で登場する、アリソン・ジャネイ演じる母ラヴォナの毒親(と呼んでよいのか怪しいが)っぷりも本作では強い存在感を放っている。


「ジュディ 虹の彼方に」 2019年 イギリス

ルパート・グールド監督、レネー・ゼルヴィガー主演作

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2019年度アカデミー賞にて、レネー・ゼルヴィガーが主演女優賞を受賞したことでも話題のこちら。オズの魔法使いで一躍有名になり、子役として活躍していたジュディ・ガーランドが、幼少期に受けた母親の影響は計り知れない。幼少期に過度なダイエットを強いられたことによる摂食障害は大人になっても尚まとわりつく。加えて、幼い頃からろくな睡眠を取らずとも馬車馬のように働くために摂取していたアンフェタミンは彼女を薬物依存に陥らせた。


「MOTHER」 2020年 日本

大森立嗣監督、長澤まさみ主演作

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長澤まさみの高い演技力が話題になったMOTHERも同様のテーマが描かれていただろう。

行きずりの男たちと関係をもち、ギャンブルと酒に溺れる母親。

ろくな教育も受けられず終始罵倒、暴力に晒される息子の周平。

どんなに酷い扱いを受けても、物語終盤にかけて強く感じ取れる母への忠誠心と歪んだ愛情を見ると、彼は生まれついた時から、母親によって一種の洗脳状態を受けているようにも見受けられる。

これらの作品を一見すると、著名な社会学者、Pierre Bourdieuの著書Distanctionでの定説が思い浮かぶ。

子が親から相続されるのは経済的資産だけではなく、自身の身振りや教養、趣味など文化的遺産も多く継承されるのだという説だ。

これを聞くとなんだか絶望的だと感じる人も多いであろう。

その家庭環境が悪い=人生の終わりなのでは?なんて想起してしまう。


これまでの毒親作品と「ヒルビリー・エレジー」における相違点


今回取り上げる「ヒルビリー・エレジー」は、上記ラインナップと同様に一見すると毒親の支配から逃れられない絶望的な物語にも見えるが、私たちに全く違った観点をもたらしてくれた。

エイミー・アダムス演じる母親は前述の通り挙げた毒親ラインナップにしっかりと肩を並べる役柄だ。

辛い出来事が起こるたびに何度も薬物中毒に陥り、薬物から逃れられず、交際する男は代わる代わる、禁断症状から子供達に八つ当たりをしてばかり。

そんな家庭で育ち、反抗期真っ只中な主人公に、近所で暮らす祖母が道を必死に正そうとするこんなセリフが印象的だ。

You gotta take care of business, go to school, get good grades to even have a chance. 

小言を言われ続けても全く響かなかった主人公に徐々に祖母の言葉が刺さり、最終的にはイェール大学に進学するまでに目覚ましい学業を修める努力の道を進むことになる。

作品の終盤、幼少期を懐古した彼は自分は祖母に2回救われたのだと語る。

そのうちの1つ、彼の祖母の教えを語るシーンのセリフが非常に私自身の心に刺さるものであった。

Where we come from is who we are, but we choose every day who become. My familly's not perfect, but they made me who I am and gave me chances that they never had. My future, whatever it is, is our shared legacy. 
生まれは変えられないが、未来は変えられる。私の家族は完璧じゃないけど、家族が私を作り、自分たちがこれまで持ち得なかったチャンスをくれたんだ。私の未来はそれが何であろうと、家族で共有する共通の未来でもある。

いわゆる毒親論で目にするものは、過去の出来事にひたすらフォーカスしたものが多いように感じる。

特に生まれ育った家や、幼少期に体験したトラウマ的出来事について、幼少期からの生い立ちを順に追ってストーリー展開をする、あるいは大人になった主人公の視点から過去を懐古して行く2パターンがお決まりだったりする。

迎える結末は大抵悲劇的で、観る者を絶望的ななんとも言えない感情にさせるものが多い気がしていた。

けれど、本作ではそんな経験を踏まえた主人公自身が作り上げようとする未来への希望はもちろん、その未来は家族で共有するものになり得るとまで語っている。

過去から引き継いだものを悔いるのではなく、自分の家族が経験し得なかった未来を自身の家族に自分が共有するのだと語っているのだ。

どんな環境下にいても、時間は未来にしか進んでいかない。

どんなに過去がよかったと懐古しても、どんなに変えたい過去があっても、現代において過去にタイムスリップが叶うデロリアンは存在していないし、時間は未来にしか進んでいかない。

実話とは言え、どんな環境下でも頑張れ、強く生きるなんてなかなか綺麗事まみれのメッセージ性を感じる作品かもしれない。

世界がこんな状況だったと未来の私たちは、コロナ禍の今を辛かった出来事として思い出すかもしれない。

思い出すその時は一体誰と一緒にいて、どんな状況で、自分が何をしているのか、少しだけワクワクしながら未来に向かって生きていこうと思わされた作品でした。



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