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【自己紹介】16-2 簡単に教えてもらえると思うなよ 2(Tちゃんのこと・前編)

引き続きお目汚しシリーズです。
今日もお付き合いくださってありがとうございます!


教えてもらうということは

森山未來さんの『世界ふしぎ発見!』

昨日は篠原かをりさんの『世界ふしぎ発見!』について書きましたが、今日は、森山未來さんのパプアニューギニアの回について思い出したことを。

古代から続く儀式や踊りを見せてもらうためにパプアニューギニアのジャングルの奥地へ行った取材班は、部族の長から「代表者一人でいいから豚を殺してほしい」と言われます。来訪者が殺した豚をその土地の方と来訪者で分け合って食べることによって、来訪者は迎え入れられるとのこと。
森山さんは自らその役割を担い、豚を殺して取材班と部族の人たちが一緒にその豚を調理してたべるところまでの一部始終が放映されていました。
このときの森山未來さん、めちゃくちゃかっこよかった。

部外者がその土地の文化を教えてもらうということは本来そういうことなのだと、思い知った覚えがあります。くらたもフラを習っています。フラは本来、ハワイの人たちが神様に捧げてきた踊りですから、他人事とは思えませんでした。

昨日「16-1」でも引用しましたが、改めて。

好きなものを訊くのって、ちょっと失礼になるかもしれないと今でも思っている。テスト前に、真面目な同級生のノートを借りる行為に似ている。その人が必死で探したものをすんなりと教えてもらうというのは、正しくないのである。本人にとって、好きなものとは、そのくらい神聖不可侵で、尊厳と孤独に満ち溢れている。

『いつか別れる。でもそれは今日ではない』(F/KADOKAWA 公式HPへリンク)13ページからから引用

「神聖不可侵で、尊厳と孤独に満ち溢れている」のは「好きなもの」だけに限りません。
何かを教えてもらうということは本質的に他人の「尊厳と孤独に満ちた神聖不可侵」な部分に入り込んでいく側面を持つ。そういう侵食性について、教わる側は自覚的であるべきだと、くらたは考えています。

大好きだったTちゃん

さて本題。

前提1:偏差値がIQが似た人の方が、そりゃ話しやすい

『ドラえもん』に、「出木杉さんとお話しているんだから邪魔しないで」としずかちゃんがのび太に言うシーンがありました。

事程左様に偏差値やIQが似た人の方が話しやすいというのは、経験的にもあり得ることだと思います。扱える語彙の数、知識の量、物事をとらえる解像度が似ているほうが、伝えるほうも受容するほうも疎通しやすい。脳は大食らいの器官なので怠惰で、疎通しやすい=説明不要なほうが、正直ラクなわけです疎通にコストがかからなければコンテンツにリソースを全振りできます。
相対的な話なので、くらたがくらたより語彙や知識の優れた誰かに「くらたは語彙が少なくて話したい話がすっと通らない。表現に配慮しないとくらたに理解させられない」という思いをさせることもあると思います。

前提2:偏差値やIQが似ていなくても、疎通もできるし好きにもなる

ただ、偏差値やIQが離れている相手について、直ちにコミュニケートできないわけでも、好きにならないわけでもありません。
しかし、扱える語彙の数、知識の量、物事をとらえる解像度が異なると、コミュニケーションを続けていくことには困難やストレスが生まれます。

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姉吉みたいに「やくしどころじゃなくてやくしょだよ!」と言えたらストレスも溜まりにくそうですが、相手との距離感によっては言い間違いって指摘しにくいですよね。
語彙が多くて細かい民は他人の言い間違いに気づく機会も多いので、指摘しない選択をし慣れている方も多いのではないでしょうか。

今日からは、そのことに関する挫折体験について書きたいと思います。

本題:会社の友達・Tちゃんのこと

Tちゃんは今の会社の同僚で年下。
くらたはTちゃんが大好きでした。

仕事に熱心で、正義感が強いけれど実は弱いところもある、というアンビバレントしたところに彼女の魅力がありました。
また、地元を歩いていたら白杖を持った女性が放置自転車で困っている場面に出くわしそのまま駅まで談笑しながら同行したとか、仕事がいやになって休暇を取って東南アジアの国にボランティアに行ったとか、そういう気さくで献身的な面も、くらたにはない彼女の美点です。
長いこと、Tちゃんにはよく遊んでもらっていました。

ただ、Tちゃんは、くらたより語彙が少なく言葉を間違えて覚えていることも多くありました。また敬語を正しく扱えず(尊敬語を端折ってしまったり、謙譲語が使えなかったりする)、それと連動して、悪意はないけれどぶしつけなところもありました。

しかし、その時のくらたにとっては、Tちゃんと話す際にくらたが言葉を選んだり説明を要することや、彼女が悪意なくぶしつけであることよりも、Tちゃんとコミュニケートするほうが優先事項でした。

Tちゃんと関係を継続すること > Tちゃんと話す際にくらたが言葉を選ぶ必要があることや、彼女が悪意なくぶしつけなところがあること

ところが。

続きます。
今日もお読みくださってありがとうございました!

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