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「不知」の自覚こそ「知を愛し求める」という探求的活動の出発点となるのだ。
遠い記憶に出会う一週間前の9月26日 たもとの会で1冊の本を読み終えた。
今年1月から毎月細々と1章ずつ読み、この日が終章だった。
会の翌日、山歩きの会に参加した。終盤に兵庫区にある烏原貯水池を通った。
わたしはこの貯水池の近く清水町というところで生まれた。2歳くらいのときに引っ越したのだが、その当時同居していた祖父母の会話のなかに出てきた「水源地」という言葉が記憶に残っている。場所からして、祖
世界のうちに拠り所を得ることーbeing at home in the world
あちこちで見かける小さな雑な石仏たち。気に留めることもなく通り過ぎて…。
私の曾祖母は夫を見送ったあと出家したと聞いています。
曾祖母は、お大師さん(真言宗のお寺)の参道脇に不動明王の祠をたてました。わたしは幼い頃、そのお不動さん(不動明王の祠)でよく遊びました。お不動さんは、ちいさなお地蔵さんやらよくわからない石仏を誰かわからないけれど、捨てるように置いていかれ、だんだんと石仏の数が増えたそう
生(死)の諸課題はその人のもの。親(子)といえどもそれを奪ってはならない。
7月24日から25日にかけての未明の時間、神戸は激しい雨と雷が鳴っていました。夜中に聞く激しい雨音と雷は、じっとりとした湿気も手伝って子供の頃同じような夜に目が覚めたとき、言いようのない恐れに囚われたときの感覚を呼び起こします。
子供の頃から「死」を想い、怖くてたまらなかった。今も怖いですが、なぜあれほど怖かったのだろうかと思います。未知のものだから、わからないことだから、それでだったのかなと思い
かんたんにネ、「共に生きる」なんてネ、言いますけどそれ、むずかしくないですか?
あらたまって言うのもアレなんですが・・・。
「たもとの会」って、コミュニティでも何かの会合でもないんですけど、たまたま今はリアル「たもとの会」を月イチでやっていて、そこで今は本を読んでますが、「たもとの会」は読書会というつもりでもなくて、色々思いつきでやっています。まぁ敢えて言うなら「たもとの会」はなんでもない、ただこのnotoのタイトルというくらいのものです。(←なんとなく言っておきたくなった)
ほぼごきげんにいてますが、沈むときもありまして
このところ、自分の暗部の店開き的なことがちょこちょこあり、常にはそこまで向き合わずに済まされていること、見ないふりしていること、に改めてこんにちはしています。
まぁまぁな自分をまぁまぁ受け入れてもらいながらまぁまぁ生きていて、こんなもんでまぁまぁしあわせなのかもね、感謝というものもまぁまぁ真似事しながら、そこそこな感じでいたものですから。
姑息な自分に出会うのはやっぱり辛い。
外側から突きつけら
わたしたちは日常的に、自らの自然観と死生観を表明してしまっている。どのようにして?
5月24日日曜日、摩耶山を起点に山を楽しむ「大人の下山部」(ネーミングセンスいいですよね)という活動に参加しました。今回は六甲山縦走路の一部、半分より少なめですが摩耶山頂から宝塚まで24キロもの距離を8時間ほどかけて歩きました。かなり疲れましたが、リーダーのとても行き届いたナビゲートと自然な距離感を持てた参加者の方々のおかげで、とても心地よい一日を過ごすことができました。ナビゲートしてくださったU
もっとみる半分しか死なないこと そして「よく生きる」とは?
**5月9日土曜日たもとの会で本を読みました。**
読んだのは
竹之内裕文著 「死とともに生きることを学ぶ
――死すべきものたちの哲学」
第3章 土地における「生」の継承――死者と共にある農村との出会い
「農」の営みは「自然」と「世界」の境界にあり、両者を橋渡しする役割
と書かれています。わたしは「世界」というものが人間特有のそれこそ「世界」だったという認識をはじめてしたのですが、この認識は
遅いって。たもとの会第3回レポートと第4回のお知らせ
たもとの会レギュラーメンバーのAZさんの第3回終わってのレポート、受け取っておりましたが、ここにアップするのが随分遅くなってしまいました。
AZさん、ありがとうございます。ごめんなさい。
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こんにちわ、たもとの会参加者のAZで
死すべきものの責任とは
3月28日土曜日の朝、2年くらい音沙汰のなかったIさんから着信がありました。
以前、亡き父(診療所の医師でした)の患者さんだった女性で、時々わたしの運営している事業所に顔を出してくれる方でもありました。かつては食堂をされていて、今は引退して息子さんがあとを継いでおられたようです。その食堂で使いきれずに余った食材(主に魚介類)を冷凍してためていて、「冷蔵庫に入り切らないからもらってほしい」と時々差し
わたしたちはともに主体的な存在として
昨日、2月29日たもとの会第2回を無事開催することができました。
それにしても間違ってないですけど、「開催」って大袈裟ですね。他の言い方ないのかしら。催す、開く、なんとなくどれもこれもぴったりこないんですよね。難しいです、言葉。
お集まりくださいました方々へはほんとに感謝しかないです。わたしと一緒に本を読んでくださって、そして感じたこと考えたことを交わし合う時間。それだけなのですけれども、表現し
リアルたもとの会第2回に向けて
第2回で読むところについて少し前フリを・・・。
今、リアルたもとの会では一冊の本を少しずつみんなで読み、その時間を通してお互いに生まれてきたものを交換しあっています。ただそれだけなんですが、前回やってみてまたこの次も楽しみになっています。
読むのは 竹之内裕文さんの本
「死とともに生きることを学ぶ――死すべきものたちの哲学」
1章 介助することと哲学すること――「自立ホーム」で学んだこと