たもとの会

ますいよしえと申します。自分でも何をどうしたいのかわからないけれど、人やモノと出会って…

たもとの会

ますいよしえと申します。自分でも何をどうしたいのかわからないけれど、人やモノと出会ってその場で交わされる諸々。生きること死ぬことしあわせについて。

マガジン

  • 死とともに生きることを学ぶ 死すべきものたちの哲学

    リアルたもとの会で読んでいる本。 https://www.polano-shuppan.com/introduction 振り返りなど、この本にまつわる記事をまとめています。

  • 太母さん

    菊池霊鷲(僧侶)の通称で「たもさん」と読みます。今まで生きて出会った人の中で一番影響を受けた人物。そして一番大好きな人。もう亡くなりましたが、この方から教わったこと、エピソード、そしてこの方を思い出されるような出来事など。太母さんにまつわる物事について。 参考:(http://www.iii.ne.jp/kikuchi/tamo-1.htm)

最近の記事

溝の縁

1つ違いの兄とは趣味嗜好も価値観も重なるところが少ない。仕事上で行き来があるので顔はよく合わすがあまり話もしない。 小さい頃は年子という年齢の近さもあってか、よく喧嘩をした。 喧嘩はしても、兄弟姉妹という同じ屋根の下で物心を付けて行ったという、あまり自覚はないがアイデンティティのベースのような部分に共通するなにかはあったように思う。(うまく言えませんが。というより言いたいことがよくわからない) 「兄は嫌い」と小さい頃から思っていたが、本当に嫌いではなかったというか。兄は独特の

    • 「不知」の自覚こそ「知を愛し求める」という探求的活動の出発点となるのだ。

      遠い記憶に出会う一週間前の9月26日 たもとの会で1冊の本を読み終えた。 今年1月から毎月細々と1章ずつ読み、この日が終章だった。 会の翌日、山歩きの会に参加した。終盤に兵庫区にある烏原貯水池を通った。 わたしはこの貯水池の近く清水町というところで生まれた。2歳くらいのときに引っ越したのだが、その当時同居していた祖父母の会話のなかに出てきた「水源地」という言葉が記憶に残っている。場所からして、祖父母の会話に出てきていた「水源地」はこの烏原貯水池(かつては神戸市の水源地のひと

      • 世界のうちに拠り所を得ることーbeing at home in the world

        あちこちで見かける小さな雑な石仏たち。気に留めることもなく通り過ぎて…。 私の曾祖母は夫を見送ったあと出家したと聞いています。 曾祖母は、お大師さん(真言宗のお寺)の参道脇に不動明王の祠をたてました。わたしは幼い頃、そのお不動さん(不動明王の祠)でよく遊びました。お不動さんは、ちいさなお地蔵さんやらよくわからない石仏を誰かわからないけれど、捨てるように置いていかれ、だんだんと石仏の数が増えたそうです。この名もなき仏さんたち、何処から来たのでしょう。誰がどういう思いでこの仏さ

        • 生(死)の諸課題はその人のもの。親(子)といえどもそれを奪ってはならない。

          7月24日から25日にかけての未明の時間、神戸は激しい雨と雷が鳴っていました。夜中に聞く激しい雨音と雷は、じっとりとした湿気も手伝って子供の頃同じような夜に目が覚めたとき、言いようのない恐れに囚われたときの感覚を呼び起こします。 子供の頃から「死」を想い、怖くてたまらなかった。今も怖いですが、なぜあれほど怖かったのだろうかと思います。未知のものだから、わからないことだから、それでだったのかなと思いますが、それだけだったのでしょうか。 25日は朝方までよく降っていましたが、昼

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        • 死とともに生きることを学ぶ 死すべきものたちの哲学
          16本
        • 太母さん
          2本

        記事

          かんたんにネ、「共に生きる」なんてネ、言いますけどそれ、むずかしくないですか?

          あらたまって言うのもアレなんですが・・・。 「たもとの会」って、コミュニティでも何かの会合でもないんですけど、たまたま今はリアル「たもとの会」を月イチでやっていて、そこで今は本を読んでますが、「たもとの会」は読書会というつもりでもなくて、色々思いつきでやっています。まぁ敢えて言うなら「たもとの会」はなんでもない、ただこのnotoのタイトルというくらいのものです。(←なんとなく言っておきたくなった)ということで、先般6月27日土曜日にリアル「たもとの会」ありました。 竹之内裕文

          かんたんにネ、「共に生きる」なんてネ、言いますけどそれ、むずかしくないですか?

          ほぼごきげんにいてますが、沈むときもありまして

          このところ、自分の暗部の店開き的なことがちょこちょこあり、常にはそこまで向き合わずに済まされていること、見ないふりしていること、に改めてこんにちはしています。 まぁまぁな自分をまぁまぁ受け入れてもらいながらまぁまぁ生きていて、こんなもんでまぁまぁしあわせなのかもね、感謝というものもまぁまぁ真似事しながら、そこそこな感じでいたものですから。 姑息な自分に出会うのはやっぱり辛い。 外側から突きつけられるのはやはりきつい。 姑息って小狡いみたいな意味かと思っていたのですが、本来は

          ほぼごきげんにいてますが、沈むときもありまして

          わたしたちは日常的に、自らの自然観と死生観を表明してしまっている。どのようにして?

          5月24日日曜日、摩耶山を起点に山を楽しむ「大人の下山部」(ネーミングセンスいいですよね)という活動に参加しました。今回は六甲山縦走路の一部、半分より少なめですが摩耶山頂から宝塚まで24キロもの距離を8時間ほどかけて歩きました。かなり疲れましたが、リーダーのとても行き届いたナビゲートと自然な距離感を持てた参加者の方々のおかげで、とても心地よい一日を過ごすことができました。ナビゲートしてくださったUさんが「膝大爆笑します」というのも可笑しく、でも帰ってからほんとに納得で、「足さ

          わたしたちは日常的に、自らの自然観と死生観を表明してしまっている。どのようにして?

          動物を食べること

          生活ができないとは、お金に困っていることです。 わたしもお金に困って不安な生活をしていた時期がありました。 ですが、本当に困ったことはないかもしれません。 今に限ったことではないと思いますが、ご時世ですね、、路上生活を余儀なくされている方のインタビュー、お財布に小銭だけしかない様子がテレビニュースで映し出されていました。わたしはお財布がもう空になってその後そのお財布にお金を入れる当てがないという経験はありません。 胸が少し詰まりますが、横目でニュースを見ながら自分はのうのうと

          動物を食べること

          半分しか死なないこと そして「よく生きる」とは?

          **5月9日土曜日たもとの会で本を読みました。** 読んだのは 竹之内裕文著 「死とともに生きることを学ぶ ――死すべきものたちの哲学」 第3章  土地における「生」の継承――死者と共にある農村との出会い 「農」の営みは「自然」と「世界」の境界にあり、両者を橋渡しする役割 と書かれています。わたしは「世界」というものが人間特有のそれこそ「世界」だったという認識をはじめてしたのですが、この認識はかなりしっくりきました。 人間の世界。そして自然は世界とは別。さらにそれをつなぐ

          半分しか死なないこと そして「よく生きる」とは?

          遅いって。たもとの会第3回レポートと第4回のお知らせ

          たもとの会レギュラーメンバーのAZさんの第3回終わってのレポート、受け取っておりましたが、ここにアップするのが随分遅くなってしまいました。 AZさん、ありがとうございます。ごめんなさい。 -------------------------------------------------------------------------------------- こんにちわ、たもとの会参加者のAZです。 レポートとまではいかないけれど、第2回、第3回とおこなってきた、この少し変

          遅いって。たもとの会第3回レポートと第4回のお知らせ

          イタドリの塩漬け

          思いがけない物が届きました。 高知の知人からイタドリの塩漬けです。高知の人なら誰でも大好きなイタドリ。わたしは高知出身ではないのですが、徳島高知で合わせて20年近くを過ごしました。四国に住むまではよく知らなかったイタドリですが、本当においしくて大好物になりました。 タイトル画像は水にさらして塩抜きをしているところです。 油炒めが定番ですので、シンプルに炒めて少しあまから味で鰹節を山盛りかけていただきました。本当に美味しい。 こういうものを遠くにいてもいただけるって、すごい贅沢

          イタドリの塩漬け

          太母式玄米の炊き方

          情報って不思議なものだと思います。 触れたり見たりしたものではないのに、本当のことだと思えてしまって(きっとだいたい本当のことなんでしょうね)大変な影響を受けます。(もちろんわたしも受けております) でも世界中には「コロナ、なにそれ?」なひともいるんだろうなと思います。そして人間目線ではなく山河草木禽獣虫魚の目線でいくと、ワラワラしているのは人間だけなのでしょう。そうは言っても人間以外の地球の住人の方々にはわたしたち、相当ご迷惑おかけしてお騒がせもしているんだろうなと思います

          太母式玄米の炊き方

          死すべきものの責任とは

          3月28日土曜日の朝、2年くらい音沙汰のなかったIさんから着信がありました。 以前、亡き父(診療所の医師でした)の患者さんだった女性で、時々わたしの運営している事業所に顔を出してくれる方でもありました。かつては食堂をされていて、今は引退して息子さんがあとを継いでおられたようです。その食堂で使いきれずに余った食材(主に魚介類)を冷凍してためていて、「冷蔵庫に入り切らないからもらってほしい」と時々差し入れてくださっていました。不意に来られた際にわたしが不在だと申し訳ないので、来ら

          死すべきものの責任とは

          わたしたちはともに主体的な存在として

          昨日、2月29日たもとの会第2回を無事開催することができました。 それにしても間違ってないですけど、「開催」って大袈裟ですね。他の言い方ないのかしら。催す、開く、なんとなくどれもこれもぴったりこないんですよね。難しいです、言葉。 お集まりくださいました方々へはほんとに感謝しかないです。わたしと一緒に本を読んでくださって、そして感じたこと考えたことを交わし合う時間。それだけなのですけれども、表現しがたいものをその時間に頂いています。 今回は冷たい雨も降る中でしたが、7人集まっ

          わたしたちはともに主体的な存在として

          リアルたもとの会第2回に向けて

          第2回で読むところについて少し前フリを・・・。 今、リアルたもとの会では一冊の本を少しずつみんなで読み、その時間を通してお互いに生まれてきたものを交換しあっています。ただそれだけなんですが、前回やってみてまたこの次も楽しみになっています。 読むのは 竹之内裕文さんの本 「死とともに生きることを学ぶ――死すべきものたちの哲学」 1章 介助することと哲学すること――「自立ホーム」で学んだこと 読んで来てもらっても読まずに来てもらってもどちらでも大丈夫です。 「介助」という

          リアルたもとの会第2回に向けて

          第一回たもとの会の参加者の方からレポート届きました。

          1月30日のたもとの会に参加してくださったAZさんからレポート届きました!! あの場で感じたことをこのようにテキストで届けていただけると、「あぁ、こんなふうに感じてあの場にいらっしゃったんだ」と感慨深く、自分とは違う感覚が面白く、また共感できることが書かれていたらうれしく、ほんとにこういうご報告はなんていうのか、とにかくありがとうございます!です。 企画した者として、冥利につきます。 (書いている内容について、その場にいなかったらちょっとわかりにくいかと思うのですが、2時間の

          第一回たもとの会の参加者の方からレポート届きました。